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Data No. 182


Data: 
登頂日: 2010年8月8日〜9日
地域: 静岡県・山梨県
標高: 3,776m
天候: 霧雨
同行者: T夫妻、FKさん、FMさん



富士山再び!
 
そして 宝永山
 



忘年会でのノリが実現へ!

  「来年は夫婦で富士山に挑戦しようかと思ってるんだ...。」

  昨年暮の忘年会の席で、Tさんがポツリとつぶやいた。Tさんはアルコールを一滴も飲めない人だから、酒の勢いで言ったことではない。それを聞いたのん兵衛3人(女性一人含む)が、酒の勢いで、Tさん以上に、俄然盛り上がってしまった。「よお〜し、みんなで登ってみよう!」、「いつにする?」、「8月のお盆前、混雑する土曜日は外した日がいいね。」、「じゃあ○月○日にしよう。」

  あらあら、日取りまで決めてしまって、もう引っ込みつかないよ...。

  Tさんは、山登りなんて、ほとんど縁がない人だったが、それ以降、夫婦で近場の山へトレーニングに出かけたり、6月には、このメンバー全員で上州の八間山にもでかけて、足慣らしも行い、実行日が近づいていった。でも、途中で醒めて「いち抜けたぁ!」なんて、誰も言わなかったのは偉い。
 

いざ富士宮へ!

  メンバーには還暦を過ぎた人が二人。従って、なるべく負担を軽減するために、山頂への距離が一番近く、登り易いという「富士宮ルート」を選び、高度順応するため、7合目の山小屋に一泊してから山頂を目指すという設定にした。前回私が登ったのは山梨県側の富士吉田口ルートだが、今回は、その反対側の静岡県側のルートである。

      富士五湖道路から富士山を真正面に見る    


          
                      二合目、水ヶ塚駐車場から仰ぐ富士山と宝永山(右)

  8月8日(日曜)午前中に当地をマイカーで出発し、富士宮口二合目の「水ヶ塚公園」駐車場に正午頃到着。マイカー規制のため、そこからシャトルバスに乗り換えて約30分で、標高2,400mの新五合目に到着。

  この日の天気は曇りだが、富士山のかなり高い位置まで遠望は利いていた。しかし、明日の予報は雨。数日前までは、しばらく炎天が続き雨の心配は無いという予報だったのに、相変わらず天気予報の信頼度は低い。
 

ひたすら我慢我慢の登高

  新五合目には立派な売店やレストランがあり、登山客に加えて、観光客の姿も多い。観光案内所や、おまわりさんが駐在する場所もあった。今日の行程は、ここから標高差約600m、標高3,010mの七合目の小屋までだ。仰ぐ富士山の斜面は、さすがに頂上までは見えないが、幾つか小屋が見えていた。それが何合目の小屋なのかは分からない。

             
        今回のルート図、正面の富士宮ルートを登り、山頂からは右の御殿場ルートを下り、宝永山を経て戻る予定。

        
                     元気に新五合目を出発します。この付近は観光客の姿も多い。

  13:35、出発。もう森林限界を越えた高さなので、火山礫の斜面の登りだ。ゆっくり、ゆっくり行きましょう。

  六合目には、あっけなく到着した(13:55〜14:05)。ここから宝永山へのルートが分かれていて、歩いている人の姿が良く見える。そして足元には、雲の切れ間に駿河湾や御殿場〜箱根がジオラマ世界を展開する。

    
         六合目は、まだ賑やかな場所                      白木の杖に焼印を押してもらいます

              駿河湾が足元に!

   
        宝永山を右手に見ながら登る                      物資輸送の巨大なキャタピラー車が通ってゆく

     
               Tさん、がんばれ〜!                          泊る小屋が見えてきたぞ!

  登山道は、危険箇所は無くて、ひたすら我慢の連続だ。麓で購入した白木の杖に、各合目で200円を払って焼印を押してもらい、それを励みにひたすら登る。本格的登山は初めてに等しいT夫妻に合わせて、ゆっくり登った。FKさんは、もう登山の経験はかなり豊富になり、減量も成功して(?)身が軽いので、先頭を歩いてもらう。女性のFMさんは他のメンバーよりも若いので、足取りはしっかりしていて危なげない。
 

一万尺の山小屋でリラックス、しかし...

  新七合目(15:10〜15:20)を経て、16:00過ぎ、元祖七合目、標高3,010mの山口山荘に到着。出発してから約2時間半。今日の行程は此処でおしまい。ちょうどガスも濃くなってきたので、良いタイミングで到着した。山小屋は予約しておいたので、二段ベッドの部屋の下段に、決められたスペースが確保されていて、決してゆったりとは言えないが、楽に寝られそうだ。

   
  七合目からは八合目の小屋はすぐ近くに見えたが..            休憩室で今日の苦労をねぎらって一杯!

   
          山口山荘の寝室内                        夕食のカレーライス、辛口と甘口を選べます

  週末を一日ずらして、日曜〜月曜のスケジュールにしたお陰で、噂に聞くひどい混雑からは免れた。当初の予定では、夕食後すぐに就寝し、午前1:30起床、2時過ぎ出発で、懐中電灯を灯して登り、山頂でご来光を拝むはずだった。

  しかし、皆が寝室で横になってから、屋根を叩く雨の音が賑やかになり、それがずっと続いた。そして、私はほとんど眠れなかった。長年山登りをしているが、山小屋で熟睡できたことなんて、全くといって良いほど無いのだ。

  起床予定時刻に宿の人が、天気が悪いので、しばらく出発を見合わせるよう告げに来た。もちろん、他の誰も、深夜の雨の中を出発なんてしない。
 

よし、行くだけ行ってみよう!

  外が明るくなっても雨は止まなかった。しかし不思議なことに、富士宮の市街も駿河湾も、下界は良く見えていた。それなのに、何でこんなに雨がザアザア降るの?出発予定を大幅にずらし、休憩室で持参のおにぎりやパンを朝食として腹に詰め込む。7時頃まで様子を見て、回復の見込みが無かったら下山しよう、ということにした。

  それから空が更に明るくなり、6時過ぎに雨は小降りになった。じゃあ、行けるところまで行ってみようか...。雨具を装着して、6:45に山小屋の玄関を出たら、なんとすっかり視界が利いて、雨が止んだ。

  伊豆半島と沼津の町が眼下に

   宝永山と、左奥には相模湾が見える 

      雨具を装着して、6:45出発!

  猛暑の夏といえど、さすがに標高3,000mともなれば、とても寒い。雨具がちょうど防寒着の役目にもなる。雨がザアザア降った後の登山道は、火山礫の地質のため、水はすぐに吸い込まれるので、ぬかるみは無く、それだけはありがたい。しかし、出発時には天気が回復するかもという期待をもたせたが、やはり一時的なもので、登るにつれて、再び霧雨が吹き付けるようになった。

  八合目(7:25〜7:35)を過ぎてしばらくしたとき、T夫妻からギブアップ宣言が出た。寒さがきついし、もう十分富士山の雰囲気を満喫したから、皆さんで行ってきて、下で待ってる、と仰る。Tさんは昔、心臓の病気も患ったこともあり、無理は勧められない。ここでFKさんか、FMさんのもう一人が下山に同調したら、全員下山を決断したと思うが、お二人は頑張るという。帰路はしっかりしているし、気を遣い過ぎるのもT夫妻には悪かろう。下山ルートには、何ら心配もないので、二手に分かれることにした。
 

冷たい霧雨の中、感動で心は熱く!

  それから、残った3人は、ちょっとしんみりとして、言葉少なに登り続けた。九合目(8:15〜8:20)を過ぎて、手もかじかむ寒さの中を九合五勺に到達し(8:50〜8:55)、最後の焼印をもらう。ガスもだんだん濃くなってゆくが、もうここまで来たら、やるっきゃないね!

  
            九合五尺にて                             山頂の鳥居が見えてきた〜!

  「わたし、山頂に着いたら泣いちゃうかもしれない...」とFMさんがつぶやく。

  そんなの見たら、オラもホロリときちゃうかなあ...。

  ぴゅうぴゅう冷たい霧雨が吹き付ける中、9:20に山頂の鳥居をくぐった。FMさんは満面の笑顔だった。涙は無かった。日本一の富士山の頂上に立ったのだ。景色は何も見えないが、やはりうれしい。やはりめでたい。

           
                            富士宮口山頂到着。おめでとう!!

  
                       白木の杖に押してもらった焼印と、山頂神社の御朱印

  山頂神社では、参拝後、これまでのような焼印ではなく、御朱印を300円で押してもらう。これで五合目からの足取りがすべて「証明」された。びっくりするほど人が少なかった。神社の隣の食堂兼土産物屋の中だけが大賑わいだった。ここまで来たら、この天気に、最高峰の剣ヶ峰には、わざわざ行かなくても良いだろう。
 

御殿場ルートを下山し宝永山へ

  下山には少し山頂のお鉢を左に回ったところから始まる「御殿場ルート」をとる。9:45出発。人出がガクンと減った。このルートは、歩く距離がとても長いので、人出が一番少ないのだ。だから、山小屋の数も少ないし、廃業した小屋跡が目立つ。どこか風の当たらないところで、湯を沸して熱いコーヒーを飲みたかったが、行けども行けども、そんな場所は無かった。そもそも、富士山の山小屋には、登山者が荒天時に自炊できるような休憩場所を設けていないのだ。

  何とか八合目の小屋前のベンチで、湯を沸し、春雨スープとコーヒーを飲んだ(10:50〜11:20頃)。五臓六腑にしみわたる味だった。

   
      御殿場ルートは岩の質が異なるようだ                八合目の小屋前で、やっと熱いスープとコーヒーを

  六合目を過ぎて、砂走りを下る途中で、ようやく宝永山への分岐点が現れた。この下山ルートは、行けども行けども、「御殿場ルート」としか表示が無くて、宝永山を経て富士宮口に行けることなど、途中のどこにも表示されていなかったので、大いに不安だった。これは管理者に一考を促したい。

  砂走りの途中から宝永山へは、傾斜が緩んで、とても歩きやすい道になった。

        やっと現れた宝永山経由ルートの表示

     映画の一シーンみたい! 

  宝永山(標高2,693m)は、どこが頂上なのか分からないような山だった。山頂かと思って、ぶっ壊れた方向指示盤のある場所に来てみると、歩いてきた方角のほうが高く見えるし、戻ってみると、また後ろの方が高く見える不思議な山だった。何はともあれ、どちらが高いにしろ、山頂は踏んだことになる(12:45)。

   
           宝永山の山頂と思しき所で                    新五合目へ、宝永山のすり鉢の中を下ってゆく

  この宝永山経由のルートは、以前皇太子殿下が富士山登頂に使ったルートなので、「プリンスルート」という別名がある。人が少ないので、警備上の理由から選んだのか。

  宝永山を後に、砂礫のザクザクとした、すり鉢の中の斜面を富士宮口新五合目へと戻る。もう足はくたくただった。でも、気分は充実していた。終点かと錯覚した土産物屋は、まだ六合目だった(13:30)。バスの発着する新五合目には13:50に到着。

  T夫妻は、ちょうどランチを終えて、テラスのベンチで休憩していた。お二人で、お土産をたくさん抱えて、ニコニコしていた。山頂は断念されたが、日本で第2位の標高の北岳よりずっと高いところまで登ったし、初めて雲を見下ろすような高いところに行ってきたので、良い思い出ができたと仰る。今回は悪天候に災いされたが、まだまだ年齢的には余裕があるので、再挑戦のチャンスはいくらでもあるだろう。

  私自身にとっては二度目の富士山登頂だったが、同行の皆さんが、喜んでくれたことだけで、大きな大きな達成感をいただいた。最初に登ったときは、晴天には恵まれたものの、物凄い人出、カネだけが目当ての山小屋、大迷惑な富士登山マラソンに辟易し、強烈なストレスを感じ、「富士山なんか、もう二度と来るまい」とさえ思ったものだ。

  しかし近年、2年余り契約社員として、肌に合わないK市の企業に車通勤した際、出勤時に朝日を全面に浴びた真っ白な富士山が見えると、俄然元気が出て、帰宅時には、国道16号の真正面に富士山が大きくシルエットに浮かんでいると、大いなる安堵感を味わい、勇気をもらったものだ。富士山は神様に等しい。そんな富士山に、再度登る機会を与えてくれた仲間の皆さんに感謝したい。日本一の富士山は、自分にとって、より一層親しみ深く、より一層大好きな山となった。■

 

参考: 1984年に初めて富士山に登頂したときの記録は、こちら

 

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