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Data No. 180


Data: 
訪問日: 2010年6月11日〜13日
地域: 群馬県・長野県・新潟県
八間山標高: 1,934.5m
天候: 晴
同行者: FKさん、T夫妻、Fさん


  
シラネアオイ満開の
八 間 山
    
そして秘境 秋山郷の旅
 


シラネアオイに魅せられて

          気品あふれる姿のシラネアオイ
 
  毎年、初夏の頃、FKさんと、泊りがけでの「花の山旅」を恒例にしている。FKさんの花情報キャッチは、いつも正確であり、毎年、最盛期を外したことは無く、加えて、いつも天候に恵まれている。これは、実に有難く、素晴らしいことだ。

  今回は、シラネアオイを求めて、上信越高原の最奥地、野反湖(のぞりこ)湖畔の八間山(はちけんざん)をターゲットとした。シラネアオイは、月山と飯豊山で出会ったことがあるが、ほんの数株だった。それでも、なかなか簡単に見られる花ではなく、天女の羽衣のような、優雅な淡いピンクの花びらを、ゆったり大きく広げたその姿は、気品を感じさせて、大いに私を喜ばせた。八間山では、一度は消滅しかかったシラネアオイの群生地を、地元の人々が復元のために手を加えたものではあるが、素晴らしい大群落を楽しめるとのこと。今回はFKさんの他に、Tご夫妻とFさんが賛同し、5人で秘境秋山郷の探訪も兼ねて計画した。

  「シラネアオイ」についての、ウィキペディアの説明文を、そのまま転記します。

  シラネアオイ(白根葵、Glaucidium palmatum)とはキンポウゲ科(シラネアオイ科として分けることも多い)シラネアオイ属の多年草。深山の植物。日本固有種の1属1種である。北海道〜本州中北部の日本海側にかけて分布している。高さは20〜30cm。花期は5〜7月頃。花弁はなく、7cmほどの淡い紫色の大きな萼片が4枚あり、大変美しい姿をしている。和名は、日光白根山に多く、花がタチアオイに似ることからシラネアオイ(白根葵)と名づけられた。別名で「山芙蓉(やまふよう)」、「春芙蓉(はるふよう)」ともいう。
 

上信越高原の最奥へ

  6月11日(金曜日)夜、関越道渋川から一般道を走り、長野原から山へ向かう道に入る。途中の旧六合(くに)村(今は中之条町に合併)にある「道の駅」で、5名が車中とテントに分かれて就寝。

  土曜日早朝、狭い山道を延々と登り、上信越高原国立公園の最奥地とも言える野反湖(のぞりこ)を目指す。そして、登り切った富士見峠(野反峠)の休憩舎前に車を停める。足元には、ゆったりとした深山の草原の中に、野反湖が空よりも蒼い水を湛え、四囲の山々は新緑が鮮やかに萌える。まだ午前7時過ぎ、ほんの数台のハイカーの車があるのみだ。

        富士見峠から望む野反湖

   富士見峠から仰ぐ八間山

        八間山登山口から山道を登って行く 


見事に咲き誇っていたシラネアオイ

  シラネアオイの群落は、野反峠から、車道を隔てた右側にある八間山(はちけんざん)登山口から山道に入り、僅かに登ったところから、山腹を左側にトラバースするように別れる道を進む。その途中の露地は、一ヵ月後にはコマクサの群落が姿を現す場所だ。イワカガミはもう咲いていた。

  ほとんど登るでもなく、やがて新緑の森の中に突入すると、木洩れ日の射す濃い緑色の山の斜面に、淡いピンクの羽衣をまとった大勢の天女が、あたかも浮いて遊んでいるような、シラネアオイの大群落が、我々を迎えてくれた。其処にたどり着くまでの、「花の盛りはもう過ぎているのではないか...」という杞憂を、見事に一蹴した眺めだった。日陰の森の中で、天女の羽衣は朝露をたっぷりと身にまとい、やや重たそうに下を向いているものが多かったが、多少明るい場所では、凛とした気高い姿で、4枚の羽衣を誇らしげに、大きく正面に広げている。(この羽衣は花びらではなく、萼片(がくへん)とのこと。)

   朝露で重たそう...

   凛として正面を向く気品ある姿 

     天女の群れ遊ぶ斜面

  期待以上の花の群落に、皆の顔は当然ほころぶ。シャッターチャンスは限りない。森の木々の間には、野反湖の青い湖面も覗いている。しばし、この天女の聖地を貸切で楽しむ。
 

花いっぱい、八間山への道

  シラネアオイを探勝後は、八間山頂上を目指す。頂上へ行くには、一旦分岐点まで戻り、明るい尾根道を登ってゆく。この山道では、シラネアオイよりもずっと小粒であるものの、さまざまな高山植物の花が我々を慰め、励ましてくれた。

   
       イワカガミ                 ナエバ キスミレ                    ミツバオウレン

   
       キジムシロ               サラサドウダンのつぼみ(?)         ハクサンシャクナゲ

      ムラサキヤシオツツジ

  八間山へは、幾つかの小ピークを越えてたどってゆく。3つほど小ピークを越えた後の、最後の本峰の笹原の登りが一番労力を要求した。それも晴天であればこそ、山頂での憩いのために頑張れる。本峰の、この笹原は麓から見るとゴルフ場のグリーンのようで、まだ山経験の浅いTさんは、人工的に手入れをしているものと勘違いしたほどだ。

   山頂直下、明るい緑の笹原を登ってゆく

  シラネアオイ見物を含め、登山口から約2時間半で、標高1,934.5mの八間山に到着した。晴天に恵まれて、感動もひとしお。ここは、群馬県であるが、長野県と新潟県の県境に近い、いわば上信越高原国立公園の、一番奥に位置する場所である。八間山の山頂から続く稜線の彼方には、三県の県境に聳える白砂山(しらすなやま、2,140m)が大きく稜線を両側に伸ばして威容を誇り、野反湖の左奥には草津白根山、志賀高原の横手山、残雪を抱く岩菅山や烏帽子岳が、別世界の山のように中空に浮かぶ。

   
         八間山頂上にて記念撮影!             彼方には草津白根と志賀高原の山(花はオオカメノキ)

    山頂から見る白砂山方面 

  山頂は、我々に貸切だった。誰にも遠慮することなく、ゆっくりと時間をかけて、ブランチ宴会を催した。といっても、昨夜は各自、自宅で夕食後に出発し、深夜1時過ぎに道の駅に着いてから飲み食いして、今朝は6時過ぎに朝食をしっかり食べて、まだ午前9時半で、盛大に山頂の宴会である。これでは、いくら山登りで汗をかいても、痩せるわけはありませんね...反省 (^_^;)>。

  山頂での快適な宴が終る頃(午前10時半過ぎ)から、次第に山頂に到着するハイカーが増えてきた。中には白砂山方面へ縦走するタフな人々もいる。人が増えたのを潮時に、我々はゆっくりと往路を戻る。そして正午に富士見峠帰着。数十人の団体ともすれ違ったし、峠から見上げると、シラネアオイの花畑や山頂へ続く道は、人出のピークに達していた。やはり、早起きは三文の徳。
 

大回りして、時間をかけて秋山郷へ

  実は、この野反湖は人造湖であり、群馬県にありながら、その水は関東平野へは流れない。信越国境の秋山郷へ中津川として流れ下り、やがて津南町で日本一の大河、信濃川に合流し、新潟市から日本海へ注ぐ水だ。野反湖は人造湖とはいえ、その昔は同じ場所に、ずっと小規模の「野反池」というものはあったらしい。

  尾瀬の水も、野反湖の水も、北関東にありながら、一滴たりとも首都圏の人口密集地へは流れず、そのすべては越後の日本海に注ぐ。越後の穀倉地帯を潤す大切な水であるが、その昔、尾瀬を水没させてダムにし、流れを変えて、首都圏の水がめにしようという計画があった。そんな人間の欲望に、身を呈して逆らった、先人の努力の賜物として、今の貴重な大自然は存在している。

  野反湖から流れ下る川に沿って歩くと、今宵の宿、秋山郷は直線距離で10数kmしかない。
  しかし、車が通れる道は無い...。

       途中で立寄った草津白根火山
 

秋山郷とは

  そもそもが上信越高原の最奥地である野反湖への山道を往復した後に、人里の草津へ下り、再び2,000mを越す志賀高原にぐんぐん登り返し、またまたそこからガードレールも無い狭い曲がりくねった山道を延々とドライブして下って行き、本来は野反湖から10数キロメートルしか離れていない秋山郷には、大回りも大回り、約3時間ものドライブを強いられる。

  「秋山郷」とは、私の郷里(十日町市)から近い新潟県津南町と長野県栄村の、中津川(野反湖から流れ下る川)沿いの、苗場山(なえばさん)と鳥甲山(とりかぶとやま)に挟まれた幾つかの集落からなる、冬には5mを越す積雪に閉ざされる山奥であり、その昔、平家の落人が落ち延びた地とされている。戦国の世を忌み嫌った平和愛好家や平家の落人が、完全に俗世間との縁を絶ち、自給自足の生活を営んできた辺境だ。

  昭和の初めに、測量隊がこの地を訪れたとき、住民から「源氏は、まだ栄えているのか?」と真面目に尋ねられたというほど、この世のブラックホールのような世界だった。

           
              苗場山(中央奥)に抱かれて、ひっそり佇む秋山郷の集落(2007年6月撮影)

  現在の秋山郷は、半分が長野県栄村であるが、しばらく前までは新潟県津南町側からしか交通アクセスが無くて、電話番号も新潟の十日町局(0257)であり、言葉も風習も文化も、信濃というよりは越後圏である。今は苗場山の登山口として、秘境探訪の観光地として、訪れる人も多い。
 

秘境の宿での一夜

  「もうこんな山道のドライブは、5年は遠慮したいね!」と、FKさんがウンザリしてつぶやいたほど、これでもかこれでもかと、カーブの連続する狭い山道をドライブした後、午後4時半に、秋山郷上野原集落にある今宵の宿、「のよさの里」にたどり着いた。

            
           Welcome !!                                  長い廊下を隔てた我々が泊った離れ。左は本家

   
               囲炉裏のある離れの一室              鳥甲山を正面に仰ぐ露天風呂(じゃらんHPより)

  ここは谷間を隔てて鳥甲山を真正面に仰ぐ高台にある、古民家を移築した温泉宿であり、7つの宿泊棟は、山の斜面につけられた長い廊下を隔てた「離れ」形式になっている。幸い、我々の宿泊棟は、本家から一番近い場所だったので、食事場所と温泉を行き来するには一番楽な場所だった。宿泊者の年齢を見て、配分してくれたのかもしれない(としたら、我々が一番の高齢者だったのか?)。

  離れには2つの和室寝室、トイレ、冷蔵庫や流しのある、囲炉裏付の居間がある。隣の離れとは思いっきり離れているので、かなり騒いでも影響は無いほど。しかし、この日はむやみと暑くて、とても囲炉裏に薪をくべて温まろうというシチュエーションではなかったのが残念だ。

  それでも、夕食前に、ゆっくりと山の汗を流してリラックス。宿と露天風呂の正面には、深い谷を隔てて、屏風のような鳥甲山の岩壁が、黒々と威圧するように、こちらを向いている。
 

山里料理で下山祝い

  夕食は分家(離れ)ではなく、本家(母屋)に集まって、午後6時から。快晴に恵まれての花見物と八間山の登頂を祝って、ゆっくりと楽しむ。メニューは、山里料理で、肉類やマグロの刺身なんて一切なし。若い人には物足りない内容かもしれないが、良いお年をこいた我々には、充分楽しめる。

  注文してから、15分以上かかってでてきた「岩魚の骨酒」が、えもいわれず美味だった。そして、酒が空になった後の岩魚は、料理の「塩焼き」よりも美味しかった。

     
     素朴な山里料理が並ぶ(刺身に見えるのはエゴ練り)        行者ニンニク醤油漬の冷奴

     
       山菜のてんぷらを揚げたてで                           葉わさびソバ

         絶品の味!岩魚の骨酒!


南越後を周遊して帰京

           
                       6月13日、宿の前で鳥甲山を背景に

  翌朝も、良く晴れていた。前日は黒々としていた鳥甲山の岩壁も、明るい朝陽を浴びている。日の長い季節なので、朝食前に、朝風呂もコーヒータイムも、周辺のそぞろ歩きも、しっかりと楽しめた。

  秋山郷から南越後は、同行の皆さんにとって初めての地なので、これを機会に私が案内させていただいた。くどい解説は抜きで、ハイライト写真を紹介します。下線付き箇所は、該当地のホームページにリンクしています。

  津南へ向かう途中、苗場山が姿を見せる

        松之山温泉の[美人林」(十日町市) 

              松代付近の棚田(十日町市松代)

      小嶋屋総本店で「へぎそば」ランチ(十日町市)

     レトロな塩沢の街並み(南魚沼市) 

          チョークのようなハッカ糖が塩沢名物です


  Tご夫妻も、子育てが終わり、夫婦だけで余暇を楽しめる境遇になり、このような泊りがけ旅行には、初めてご参加いただいた。この真夏には、もっと本格的な登山を目論んでいるため、その訓練を兼ねてのノリだった。これから、バンバン山登りに、はまってしまうかもしれませんね。

  我々は、とても幸運だった。花見物も、山登りも、秘境の滞在も、名所巡りも、晴天に恵まれ、つつがなく完了したその翌日、「待ってました」とばかりに雨雲が日本列島にかぶさって、梅雨入り宣言となった。■


追記:  野反湖周辺は、7月になると、コマクサやニッコウキスゲの素晴らしい花畑になります。
      2008年7月にそんな花畑を探訪した記録は、こちら

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