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穂高岳再訪 (涸沢キャンプ)
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11年ぶりに穂高岳に登る。前回は、快晴に恵まれ、私の登山歴の中でベスト3に入る山行であった。日本アルプスで、多くの峰に登ったが、その中で、何処を再訪したいかと言われれば、文句なく穂高岳だ。しかし、同じ山に2度登るならば、全く同じ登り方をするのも面白くない。以前から夢見ていたことは、穂高岳の涸沢圏谷にテントを張って、穂高岳を眺めながら過ごしてみることである。 8月1日(木曜日) 沢渡の駐車場で車中仮眠し、明るさで目を覚ますと、周囲には車がかなり増えていた。マイカーで到着した登山者が三々五々、タクシーを拾って上高地に出発してゆく。上空は快晴。早速、皆を起こし、コーヒーを飲んで、支度をし、タクシーで上高地に向かう。 懐かしく、素晴らしい景色が次々に現れる。梓川沿いを遡り、釜トンネルを抜けると焼岳と大正池が朝もやの中に浮かび、まだ陽の当たらぬ穂高の吊り尾根が黒々と中空を画する。後席の二人に「あの頂上に登るんですよ」と私が誇らしげに言った瞬間、二人がハッと息を呑む気配がした。二人が期待で顔を輝かせたのか、それとも不安で青ざめたのか、私は振り返って見たわけではないので判らない。 早朝から賑わう上高地に6:10到着。荷造りしたリュックサックをよいしょと背負い、その重たさにショックを受ける。これまでの山小屋泊りの山行と違って、今回はテントからシュラフから食料品まで全てを担いでいるのだ。登山者指導所に登山計画書を提出。 6:30、河童橋を出発。横尾に向けて、長い水平道のキャラバンだ。小鳥の囀る森の中を、梓川に沿って進む。荷物は重いが、まだこの頃は冗談も飛ばしながら歩く。明神岳が梓川の対岸に迫る。7:15〜7:40、明神小屋前で朝食。8:25、徳沢に到着し20分休憩。ここまで来ると観光客風情は姿を消す。そして、9:35、横尾に到着。水平道のキャラバンが終わる。 槍ケ岳方面へ向かうコースと別れ、木橋を渡って本谷に沿った道に入る。しばらくして、本谷橋を渡ると、突然急傾斜の崖をハシゴなどでよじ登る。ここで他の二人に一気にバテが出た。すぐに傾斜の緩い登りに戻ったが、FKさんは足がつりそうだと言うので休憩の回数を増やす。天気は良いので急ぐことはない。 ようやく涸沢が見えてきた! 屏風岩を回り込んだ付近から、大キレットを隔てて南岳が、そして北穂が見えてきた。更に登って行くと、やがて、前穂が、吊り尾根が、奥穂が、涸沢圏谷が行く手に姿を現す。涸沢直下の雪渓は、バテバテの二人に気遣いながら5分歩いて5分休みといったペースで進む。 雪渓が終わり、右側に岩場を登った所が「涸沢ヒュッテ」の展望テラスだ。リラックスした登山者達が、生ビールを片手に、あるいはコーヒーをすすりながら談笑している。岳人の聖地、残雪豊富な涸沢が我々を迎えてくれた。13:40、上高地から凡そ7時間半のキャラバンが終わった。 二人が生ビールを指さして休もうと言う。しかし、目的地は直ぐ目の前のキャンプ場だ。とにかく、重い荷物を降ろして、一旦落ち着いてからにしましょう、と私は二人の申請を却下。私はバテていないが、ビールを飲んだ後に、僅かといえども、また重いリュックサックを背負うのが嫌だった。 管理事務所で幕営申請し、テントを張るに十分なスペースと、食事をするに絶好な場所を確保。何はともあれ、重い荷物を下ろす。肩がズキズキと痛む。そして、テントを張る前に雪渓で冷やした缶ビールをようやく飲む。もう、最高の旨さ! テントを設営する。ペグは岩だらけの地面では、「打ち込み」の必要が無く、岩の隙間に差し込み、岩を周りに積んで固定する。どうにかこうにかして、体裁が整い、マットを敷いたら、結構居心地良さそうになった。 陽が穂高の陰に沈むと、涸沢は冷える。腹も満ち、疲れが一気に出てきた。「一旦休んで、目が覚めたら改めてやりましょう」、「そうしましょう」とテントにもぐりこむ。シュラフにくるまってうたた寝のつもりだったが、結局、誰も再び起きなかった。若者グループがギターに合わせてコーラスするフォークソングを子守唄にした。 夜中に小用のため外に出たら、満天の星が瞬いていた。そして、穂高の稜線が月明かりに映えて、神々しく、超然と聳えている。思わず手を合わせてお祈りをしたくなるような、限りなく静かな夜であった。 8月2日(金曜日) 深夜2時頃から、出発する人々の迷惑千万な声高な話し声が響き渡る。眠っている人々の事を考えようとしないのか。これが最初のピークで、次が夜明け前。4時過ぎには、我々もすっかり目が覚めてしまった。まだ、陽の当たらぬ穂高岳の真上には、雲一つない青空が広がっていた。5時少し前、朝日が昇るにつれて穂高の岩壁がオレンジ色に染まり出す。大いなる感動を持ってしばし見惚れる。 穂高の影に月が顔をのぞかせる お粥、みそ汁、そしてコーヒーの朝食後、奥穂高岳の山頂を目指し、5:55にテントを出発。この日は、私が食料や飲料をザックに入れて担ぎ、FKさんがカメラとディバッグ、MOさんが「手ぶら」というように、年齢と体力に応じた荷物分担とする。 涸沢から奥穂頂上までは、完全に日蔭の無い岩場歩きだ。一直線の斜行路を登り切り、雪渓を渡り、ザイテングラートと呼ばれる小尾根に取り付く。この小尾根の取付点付近が一番の花畑だ。ザイテングラートは、岩場の急登が延々と続き、真夏の太陽は容赦なく皮膚の露出部分を焼く。 登るにつれて、中部山岳の大展望が広がり出した。常念岳の彼方には、八ヶ岳、浅間山、上信越の山々が大洋に浮かぶ島々のよう。パノラマに慰められて、高度を稼ぐ。そしてやがて「白出のコル」にある穂高岳山荘の前にひょっこりと出る。 山荘前で小休止後、最後の登りにかかる。山荘の横からいきなりハシゴや鎖で絶壁をよじ登る。その後は、再び辛抱だけを要求される岩場の登りになる。槍ケ岳が後ろに姿を見せ、飛騨の笠ヶ岳が深い谷間を隔ててそびえ立つ。やがて凄惨なジャンダルムの岩峰が右手に現れ、左側にひと登りすると、日本で第三位の高峰、海抜3,190m奥穂高岳に到着だ。8:40、約2時間45分の苦労がここに報われる。 山頂の展望は期待を裏切るものではなかった。北にも、西にも、東にもアルプスの山また山。南側のみ谷が開けて、上高地の緑の絨毯が梓川の両側に広がる。そのまた南側は、やはり山。焼岳、乗鞍、御岳も近い。南アルプスの彼方には、富士山もシルエットに浮かぶ。アルプス一万尺の空気は、限り無く澄み渡っていた。空の色が、抜けるように青い。11年前、ここに初めて立った時は、北アルプス登山がまだ2度目で、見える山々の名前も殆ど知らなかった。それ以降、せっせとアルプスに通い、今こうして再び奥穂の絶頂に立つと、自分が頂上を極めた数々の山を、遠くでも、近くでも、はっきり分るのが、うれしい。 パイナップル缶を開け、コーヒーを飲みながら、約一時間山頂の憩いを満喫し下山にかかる。登りでは二人ともバテ気味だったが、下りでは写真を撮る余裕が出来たようだ。穂高岳山荘で「登頂記念」のビールを飲み小休止。ザイテングラートは、慎重に下る。まだまだ大勢の人が登ってくる。 12:55、涸沢小屋到着。ここでも「下山祝い」の生ビールをMOさんがご馳走してくれた。涸沢の雪渓と穂高を仰ぎながら、日本一素晴らしい眺めのビアガーデンだ。 テントに戻り、昼食兼夕食をしながら、のんびりと午後を過ごす。常に穂高岳が視界にあった。穂高岳は我々を抱擁するように、この涸沢では絶対に欠かせない背景として存在していた。何という素晴らしい大自然の恵みだろう。我々は涸沢生活を満喫している。 夕暮れには、昨日同様に、テントの中でシュラフにくるまると、自然と熟睡してしまう。穂高岳に抱かれて、心地良い夢をみながら。 8月3日(土曜日) 夜半は風が強かった。テントのフライシートがパタパタ風に鳴った。外を覗いたが、穂高の稜線は月明かりに神々しく映えていた。喉がカラカラだったので、一本だけ残っていた缶ビールを失敬して、月明かりの穂高と対峙しつつ、ひとりで美味しく飲んだ。 最終日も快晴だ。何故か、このような環境に来ると寝坊が出来ない。岩だらけの地面にテントを張って眠るのもごつごつして楽ではないが、畳の上とは違う趣がある。絶対的な肉体疲労があるから、このような環境でも気持ち良く眠れてしまうのだろう。 2度目のモルゲンロートを鑑賞し、サケの雑炊を作り、コーヒーを淹れて、最後の朝食をゆっくりとる。穂高と別れる時間が来るのが寂しい。食事後テントを撤収。キャンプ場にはゴミ焼却場があるので、可燃ゴミを処分できるのが有難い。 6:50、食料の分だけ軽くなったリュックを背負い、下山開始。穂高岳は上機嫌で我々を見送っている。下りながら何度も何度も穂高岳を振り返る。天上の楽園、涸沢を振り返る。 苦しんで登った道は、下りだと「一体、何が辛かったのだろう」と思ってしまう。横尾からは、水平道だ。気が楽になり、皆で缶ビールを飲みながら歩いた。それでもピッチを上げて、誰にも越されずに歩いた。 明神で岩魚塩焼きを肴に再び生ビールを飲んでいたら、夫婦連れの観光客の色っぽい奥さんから、山に付いていろいろ質問された。旦那をさておいて、英雄を眺めるような眼差しで我々を見る。旦那が心の中でハラハラしているのが手に取るように分かる。 上高地に帰着後、河童橋のたもとで素晴らしい思い出をくれた穂高岳を背景に記念撮影し、タクシーをひろって沢渡へ戻る。 この晩は、安房峠を越えて奥飛騨温泉郷、栃尾温泉の民宿に泊まり、3日間の山の汗を洗い落とし、4日振りに布団に包まって眠る。大成功の山行を祝う、夕食もお酒も格別だったのは言うまでもない。■
1996年7月31日 1996年8月1日 1996年8月3日 1996年8月4日
* 初めて穂高岳に登頂したときのルポ(1985年)は、こちら。
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