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Data No.10

データ:
登頂日: 1985年7月27日
標高 3,190m
場所: 長野・岐阜県境(北アルプス)
天候: 快晴
登頂時の年齢: 31歳
同行者: 単独行

 

穂高岳

 


7月25日
(木曜日)〜26日(金曜日)
【夜行列車で憧れの岩山へ】

  山へ行こうとする前の期待や興奮と、妙な精神的なけだるさの交錯した状態は今回も同じであった。苦しい思いをして山頂に立った時の感動が待ち遠しくもあり、そんな辛い思いなどしなくても東京の涼しいビアホールで喉を鳴らしてビールを飲んでいた方が余程良いのではと思ったりもする。

  新宿発23:00の急行アルプス9号に乗車。指定席車内は満席。八王子を過ぎた頃、立ち客の居ないのを確認して通路に新聞紙を敷いて横になる。この方が遥かに楽で、何時の間にか通路はゴロ寝族で一杯になった。床下のモーター音と規則的な轍の音と振動が眠気を誘い、いつしか快い眠りに落ちる。

  定刻4:13に松本着。直ぐ4:20に接続する松本電鉄新島々行快速に乗車。4:43、新島々着。外は漸く朝の光が射し始めてきた。此処で上高地行バスに乗る。一昔前の観光バス車両で、背もたれが低く冷房は無し。山々から吹き降ろす風がひんやり心地良いので冷房は不要だが、眠りたくても首から上を落ち着かせるところが無いので辛い。ほんの少しうとうとしただけで6:05、上高地到着。絶好の快晴だ。

  穂高連峰が梓川の背景に黒々と屏風のように聳え立っている。俺はあんな高い山に登るんだぞ!と全身に力が漲ってくる。勇んで支度を整え、河童橋たもとで朝食を簡単に済ませる。登山者や観光客で大賑わいの上高地から、7:02、いよいよ涸沢に向けて出発。
 

【ひたすら登りの一日、北穂に立つ】

  梓川に沿った平坦な道を早足で歩く。出来れば、今日中に北穂高迄登りたい。8:07徳沢園到着。6.3kmを65分。8:25徳沢出発、9:05横尾到着。3kmを40分。横尾山荘は昨年一泊したので懐かしい。前穂高は陽光を浴びて眩しいほどに頭上に聳え立っていた。此処までは昨年逆コースを歩いたが、9:25横尾を出発し、左手に架かる橋を渡り、いよいよ涸沢への登りにかかる。槍ヶ岳方面への道と分かれて歩く人の数も大分減った。

       前穂高岳を仰ぐ

                               屏風岩と南岳 
  

  しばらく林の中を進むと、行く手に屏風岩が天を突くように聳えている。近付くほどにその威容に圧倒される。谷の奥には残雪を抱いた南岳も顔を覗かせる。さすがに3000mの山々は低山とは山容がまるで違う。10:15、本谷橋を渡った所の木陰で休憩し、おにぎりを食べる。いよいよ登りもきつくなってきた。カンカン照りの陽気は、思いっ切り汗を搾り取る。徐々に視界が開けてくると涸沢ヒュッテが頭上に見えてきた。しかし、見えてからが意外と長かった。

  12:15、涸沢到着。太古の氷河が残したおわん形の圏谷である涸沢には、色とりどりのテントが張られている。そして頭上を圧するように左側から前穂高、最高峰の奥穂高、涸沢岳、北穂高と連峰の鋭角な岩山が真っ青な空に映え、誠に豪壮な山岳景観だ。このような盛夏でも、純白の雪渓が幾筋も岩山に突き上げている。雪渓中央では夏スキーを楽しむ人々の姿も見える。人が大勢居て賑やかでも、いわゆる観光地的な臭いの無いアルピニストのパラダイスであるこの涸沢の雰囲気に私は大満足であった。

  涸沢小屋のテラスで休憩。まだ昼になったばかりだが、今日は涸沢に泊まって岩山を見ながらゆっくり過ごそうかな、と気持ちが揺れ動く。ま、ちょっと休んでから決めようと、ビールを買って飲み干す。それからベンチにひっくり返り小一時間昼寝。目が覚めると真っ青な空が頭上にあって、顔が熱く火照っていた。バタバタバタとヘリコプターの音がして、木々を風に靡かせながら涸沢ヒュッテの傍に荷物を降ろすために着陸した。登山者は続々とやってくる。そして奥穂へ、北穂へと登って行く。よし、やはり私も北穂へ登ろう。渇いた喉を冷たいソフトクリームで潤し、酔いを醒ます。

  13:40、涸沢小屋出発。小屋の横から北穂への登山道に取り付く。いきなり急な岩だらけの道だ。一本調子の急登が延々と続き、何度も呼吸を整えるために休憩した。振り返れば涸沢圏谷が足元に次第に小さくなり、テント村が万華鏡のようにカラフルである。そして遠くの常念岳が次第に対等な高さになって行く。途中で関西訛りの同年輩の男に追い付き、一緒にゼイゼイハアハアと息を弾ませて登る。我々が苦しさで喘いでいるのに、北穂小屋の従業員らしき若い男二人が、駆け足で競争しながら追い越して行った。

       北穂高山頂にて   

  足が棒のようになり、苦しさも極限に達した頃、やっと標高3,106mの北穂高岳頂上に到着。16:05であった。素晴らしいパノラマが目の前に広がった。北には見事な三角錐の槍ヶ岳が、西には飛騨の山々が連なり、東には常念岳から蝶ヶ岳のどっしりした山体が控えていた。遥か遠くの富士山を始め、中部山岳で見えざる山は無い。正しくアルプス真っ只中。素晴らしい天気の日に登って来られて、大感激だ。

  
夕暮れ間近の滝谷の絶壁を見下ろす    
 
  小屋は頂上の直ぐ下にある。宿泊申し込みをして荷物を降ろし、一緒に登ってきた神戸のK君とベランダで景色を楽しんだ。小屋の夕食は豚肉の生姜焼が出た。
夕食後は日没見物だ。小屋の直ぐ裏の、目もくらむような滝谷の絶壁の縁で尻をもぞもぞさせながら腰を下ろし、日の入りの一部始終を見物した。18:40、笠ヶ岳の彼方に、雲をオレンジ色に染めて夕日が沈む。それにしても滝谷の絶壁は凄い。飛ぶ鳥も羽根を休められぬ悪絶さで、一気に奈落の底に落ち込む。これがクライマー達を魅惑する滝谷か...。私の目には「地獄」だ。

  小さい北穂小屋は超満員だった。一人が横になれるスペースは畳の半分も無かった。他人の鼾や人いきれに悩まされ、眠る努力をしたが、寝返りさえままならず、快眠はとても得られなかった。


7月27日(土曜日)
【再度、涸沢貴族気分を味わって、奥穂高へ】

  4時頃、人々のガサガサする音で眠っていられなくなった。御来光など見なくて良いと思ったが、目が覚めてしまったので、外に出てみる。大勢の人がカメラを構えてテラスに集まっていた。私は大した写真が撮れないと分っているので、見るだけ。ピラミッド形の常念岳の上に朝日が顔を覗かせると、ひとしきりカシャカシャとシャッターを切る音が響いて、空がオレンジ色に染まり、顔がポーッと暖かくなってきた。日本アルプスの山々が、いよいよその輪郭をくっきりと見せ始めてきた。こういう眺めは初めてであった。山登りこそ幾度かやったが、山頂の小屋に泊ったのは初めてだ。北穂山頂からは、朝焼けの奥穂から前穂の岩峰がきれいであった。

   
                            朝焼けの穂高連峰

  6時に朝食を済ますと、他の人々は次々に出発し、小屋は静かになった。私とK君はテラスで絵葉書を書いたり、コーヒーを飲んだり、8時近くまでグズグズした。天気があまりにも良いし、時間の余裕もたっぷりある。K君は、恐い縦走路を通って奥穂に行くよりも、私と一緒に一旦涸沢に降りてから奥穂に行くと言う。結局この日は丸一日彼と行動を共にする。

  7:50、北穂を出発し涸沢に下る。苦しい登りの途中では気が付かなかった美しい花に慰められ、ゆっくり景色を堪能した。9:36、涸沢小屋到着。K君と山談義に花を咲かせ、2時間半も休憩。昼寝をし、紅茶を沸かしレモンを丸ごと絞って入れて飲む。この酸っぱい紅茶が疲れた身体に快く染みた。しかし、こんな長時間の休憩をしたために、奥穂高へは一番日差しの強い時間に全く日陰の無い、きつい登りを歩く羽目になった。涼しい雪渓沿いの登りはまだ良かったが、ザイテングラートと呼ばれる急峻な岩尾根を登る頃には、お日様が情け容赦なく顔と皮膚を焼き、全身が汗でぐっしょりになる。登り下りのすれ違いも多く、道を譲ったり譲られたりで呼吸も乱れがちになる。

     
           涸沢でのティータイム                             すっかりリゾート気分

  14:30、奥穂高と涸沢岳のコルにある穂高岳山荘に到着。鞍部なので北穂小屋よりは眺めは劣る。しかし小屋は大きくて立派だ。食堂やロビーにはきれいなソファが備え付けられ、図書室やレーザーディスクまであった。風呂が無いことを除けば、高原のペンションのよう。私より30分遅れて到着したK君は、もう動きたくないと言うので、私は一人で奥穂の頂上へ向かった。

  小屋の直ぐ傍からいきなり鎖場となり、急な岩場を両手両足を使いながら登る。そして次第に傾斜が緩み大きな岩がゴロゴロしている奥穂の頂上が迫ってくる。小屋から凡そ30分で頂上に到着。奥穂高岳の標高は3,190m。富士山に次ぐ南アルプスの北岳よりも僅か2m低いだけ。従って身長が174cmの私が手を上に伸ばせば、簡単に北岳よりも高くなる。夕方近い奥穂高岳の頂上では、上高地が見下ろせた。また奇峰ジャンダルムが不気味な墓石のように西に聳える。西穂高岳方面は荒々しい稜線だ。頂上は次第に夕靄がかかり、風が冷たくなってきたので小屋に戻る。

  穂高岳山荘の夕食も美味しかった。同席のおじさんが高山病なのか、ご飯が喉を通らない様子。可哀想に思ったので、カロリーメイトをあげた。高齢登山者が多く、60歳を越えているグループも珍しくない。彼らの多くは北穂から縦走してきたらしい。それを聞いて私とK君は少なからずショックを受けた。なあんだこんな年配者まで通ってこれたコース敬遠して、涸沢まで下ってしまった分、余計に苦しい思いをしたのだ。

  夕食後も、皆ロビーで寛いだり土産物を物色したりで、いわゆる山小屋の雰囲気とは一味違う。消灯時間も22時と、普通では考えられない遅い時間で、食堂では穂高岳の自然を紹介する映画会まで催された。暗くなったら眠るという今迄の単純な山小屋の常識では最近の人の生活習慣には合わないだろうし、食後のひと時くらいはもう少し楽しみたいというのが人間の当然の欲求であろう。大半の客が消灯時間まで起きていた。この夜も部屋にぎゅうぎゅう詰めにされ、鼾や暑さに悩まされて熟睡出来ず。

7月28日(日曜日)
【奥穂高〜吊尾根〜前穂を経て上高地に下山】

  涸沢岳から笠ヶ岳を見る  

         上高地と乗鞍・御岳方面 
 

  この日もやはり快晴。天の神様にひたすら感謝。今日中に大阪に帰るというK君は朝食後直ぐに出発した。私はまだ休暇が一日あるので、慌てる必要全くなし。

  先ずは空身で涸沢岳を往復。縦走出来なかったので、せめて頂上だけは立ってみたかった。岩がガラガラの道を15分も登れば頂上だった。飛騨の笠ヶ岳が大きくどっしりとしているのが印象的だ。写真を撮って山荘に戻る。

  8:30、穂高岳山荘から前穂高岳方面への縦走に取り掛かる。8:57、再び奥穂高の山頂を踏む。大勢の登山者で賑やかだ。日焼けした首筋と腕がヒリヒリ痛いので長袖の服を着る。一時間余り、昨日の夕暮れ時とは趣の違う風景を楽しんだ。やはり槍ヶ岳の天を突く穂先が一番目立つ。前日泊った北穂は、もう彼方に遠い。天気が良いと、岩だらけの山もそんなに危険ではないと思える。しかし、油断は禁物。後半になったこの山行も慎重に行かねばならない。

      奥穂高岳頂上にて 


  10:15、奥穂を出発。前穂に繋がる吊尾根にかかる。進行右手は上高地へ落ちる絶壁が、左手には涸沢へ落ちる絶壁がとても深い。一時間半程で前穂の登り口に着く。此処で荷物を降ろし、身軽で前穂山頂を往復。ガレ場が多くて登りにくい道だ。途中でペンキの矢印を見失い、冷や汗をかく。人の声や人の姿を頼りに、11:45に前穂の頂上に到着。頂上に到着すると、白いガスが湧いてきて視界を閉ざしてしまった。これだけ続いた好天もそろそろ曲がり角なのか。それでもガスの切れ間からは遥か麓の横尾や奥又白の池が見えた。あの麓から憧れの念で眺めた穂高の山頂に私は立つことが出来たと思うと感慨ひとしおだ。

    ガスが発生してきた前穂高岳   

  不意に、自分の足元の絶壁の縁からヘルメットを被った若いクライマー達が数人音も立てずにすいすいと登ってきた。彼らは頂上に着くや否や、「大したことじゃない」とでも言いたげに、呼吸も乱さずにビールを飲み始めた。

  12:15、岳沢(だけさわ)に向けて降下開始。3000mの稜線からいよいよお別れだ。一枚岩を鎖に頼って下ったり、段差の大きい岩の道を両手両足を使って降りたりで、膝がガクガクする。何しろ3000mを越す山から標高1,500mの上高地まで下るのだから急な訳である。水筒は空になってしまったので、喉がカラカラに渇いた。14:13、岳沢小屋に着くと真っ先にビールのロング缶を買って飲み干した。今日は此処に泊ろうと思ったが、上高地はもう直ぐ麓だし、また混雑した小屋で寝不足を連続させるのも辛い。もう、上高地に下ろう。
 

【下界は、やはり快適?】

  急な下りから開放され、森の中を下ること80分。16:20に上高地到着。しかし、何処にも泊まる所は無かった。五千尺ロッヂも団体で一杯だ。明日の朝、穂高岳を仰ぎつつ、のんびり上高地を散策しようという目論見ははかなく消え、松本に出るしかなくなった。辛い下山から開放されてホッとしていたが、まだ街に戻りたくはない。しかし、グズグズして松本でも泊るところが無かったら大変だ。16:50のバスに乗る。

  18時、松本駅到着。駅前のニューステーションホテルにシングルルームをとる。予定外に早く山と別れた寂しさは残ったが、エアコンの効いた部屋に入り、風呂に入って全身の汗を流したら、すっかり文明世界の快適さが嬉しくなった。街に出て、熱々の料理を食べ、安くて冷たいビールを飲む。そして、何より広いベッドに大の字になって眠れるのがご馳走である。夜行列車、北穂小屋、穂高岳山荘と三夜もまともに眠っていなかったのだから。

7月29日(月曜日)

  松本市内を見物後、15:23の特急あずさ16号で帰京。八王子経由で入間の自宅に19:20帰着。■

 

穂高岳山行行程

7月25日〜26日

新宿23:20==(急行アルプス9号)== 4:13松本4:20 === 4:43 新島々 4:50 ==(バス)== 6:05 上高地7:02 --- 8:07徳沢園 8:25 --- 9:05横尾 9:25 --- 10:15 本谷橋 10:45 --- 12:15 涸沢 13:40 --- 16:05 北穂高岳(3106m) 北穂高小屋宿泊

7月 27日
北穂高岳 7:50 --- 9:36 涸沢 12:00 --- 14:30 穂高岳山荘宿泊 (到着後、奥穂高山頂往復)

7月 28日
穂高岳山荘 7:30 --- 7:45 涸沢岳(3,103m) 7:50 --- 8:00穂高岳山荘 8:30 --- 8:57 奥穂高岳(3,190m) 10:15 --- 11:45 前穂高岳(3,090m) 12:15 --- 14:13 岳沢小屋 15:00 --- 16:20 上高地 16:50 ==(バス)== 18:00 松本駅 (ホテル・ニュー・ステーション宿泊)

7月29日
松本市内見物 松本 15:23 ===(特急あずさ16号)=== 八王子 ==(八高線)== 19:20 入間

 

*穂高岳は、1996年夏に涸沢に幕営して再訪しました。そのときのルポと写真はこちら


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