Data No. 212 |
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データ(3回目): |
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苗場山 再訪
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新潟県で苗場山の名前を知らない人は居ない。しかし奥深い山なので、実際に見たことのある人は少ない。都会人の中には、苗場山の尾根でも何でもない「苗場スキー場」をそうだと思っている人も少なからず居る。上越線に乗っていても、R17を走っていても、この苗場山は決して見えないのだ。県内の人里で苗場山を見ることが出来るのは、私の故郷十日町盆地くらいのものであろう。しかし、母校十日町高校の校歌で「苗場の雪を仰ぎつつ」と歌われていても、一体どれが苗場山なのか、地元でも意外と関心は持たれていない。苗場山は、六日町盆地から仰ぐ越後三山、新潟平野から仰ぐ弥彦山のように、その姿を堂々と誇示し、地域のシンボルと呼ばれるような山ではなく、あくまでも奥床しい山なのだ。 私自身は1975年秋、従兄のIY君に初めて連れて行ってもらい、雨に祟られて登ってきたのだが、2,000mを越す山の上とは思えない広大で美しい山頂湿原の景観に大感動し、また故郷の名山を登ったことで大満足したものだ。私にとって「登山開眼」となった、思い出深く、忘れ得ぬ山行だった。以来新潟県側ルートで再訪を果たしたいと思っていたが、やっと実現の機会がやって来た。 【静かだった、人の少なかった苗場山】 ところが、姉夫婦らと前々から決めてあった9月20日当日は、朝から雨模様で、空は重苦しく雲を垂れ込めていた。私は非常にがっかりして、内心行きたくなかったが、姉夫婦はたいそう張り切っていたので、私も覚悟を決めた。まだ暗い早朝5:00、義兄の車で六日町を出発し、雨に濡れたR17を南に向かう。登山口に向かう湯沢町八木沢から入る祓川林道は途中にゲートがあり、六日町営林局の許可書が必要だが、義兄がこの日のために取得しておいてくれた。しかし、ゲートの番人は8時迄来ないので、その場合は鍵を持った工事用車両が通るのを待たねばならない。幸運にも、ほとんど待つことも無くトラックが通りかかったので、全く時間をロスせずに祓川林道を登って行く。6:10、スキー場ど真ん中にある駐車場に到着。 6:45、元気良く出発。雨は何とか上がった。林道はやがて終り、かぐらスキー場のゲレンデに沿った道を30分ほど歩くと、洒落た造りの和田小屋に到着。しかし、人気は全く無く閉鎖されていた。 ずっとゲレンデ沿いの道が続いた。しばしば造成中のぬかるみを横切らなければならず、靴はたちまち泥だらけになる。折角の美しい原生林が無残にも至るところで幅広く伐採され、次から次へとスキー場のゲレンデに姿を変えてゆく。私自身もスキー愛好家であるが、真冬の白いゲレンデに居ては想像も出来ない凄まじい自然破壊の過程をまざまざとまのあたりにする。 和田小屋から一時間ほどで「下の芝」湿原に、更に30分で「中の芝」、その更に上の「上の芝」と続く。昔はきれいな湿原であったのだろうが、荒れ様には目を覆わせるものがあった。粘土質の赤土とガレが斜面を覆い、本来あるべき筈の湿原植物は、直径数十センチの孤島状になって、根を洗われた状態で点在している。これは大勢の人間が登山にスキーにと踏み荒らした結末なのか。尾瀬でも同様の問題があるが、成長の遅い高層湿原植物の群落を一度破壊してしまうと、修復は不可能に近いという。これほど惨めになる前にもっと手が打てなかったのか。この付近は登山道も曖昧で、幅広く踏み荒らされている。自分もこの湿原を足で踏み歩きながら悲しい思いである。 上の芝を通過してしばらくすると小松原湿原への分岐点に着く。初めて他の登山者に会った。この付近からようやくスキー場造成工事の手が届かない本来の自然を見せる。分岐点から僅かで標高2,029.6mの神楽峰に到着。時間は9:35で、駐車場から三時間歩いた。晴れていれば目指す苗場山の姿が見える筈であるが、今日の曇天では仕方がない。紅葉や黄葉が始まりかけて目を和ませてくれるのがせめてもの救いだ。 神楽峰から苗場本峰との鞍部に降りる途中に「雷清水(かんなりしみず)」と呼ばれる湧き水があり、きりっと冷えた美味しい水で喉を潤し、最後の苗場本峰の登りに挑む。両側にいくらか視界が開けて、神秘的で幽遠な奥山の原生林の広がりが見える。 一番辛い最後の急斜面の登りにかかる。苦しい登りの途中で、登山道傍の岩の隙間から、突然チカチカ光るものが見えた。天然記念物のヒカリゴケである。じっと目を凝らすと、岩の奥が未知の世界の夜の街灯りのようであり、星空の瞬きのようでもある。楽しい空想をかきたてる神秘的な現象だ。 疲れで姉の口数がめっきり減った頃、いきなり急登が終り、頭上に何も無くなった。苗場山頂湿原に到着した。四時間余りのアルバイトが遂に報われたのだ。緩やかに傾斜する、何処までも広がる、鮮やかな緑と秋色に化粧した美しい湿原が風にそよいでいた。昔の人々は、正しくこの景色を「苗」場と実感しただろう。霧が風で吹き払われる度に、次々と新しい景色が展開して、忙しくカメラのシャッターを切る。姉夫婦や弟が喜ぶのを見て、私は今日来て良かったと思った。 秋の色がすっかり濃くなった美しい湿原の草木と池塘の間を縫うように敷かれた木道をたどり、彼方に見える山小屋に行く。二軒ある山小屋のうち、オンボロではあったが国土計画が経営する「遊仙閣」に入った。先客が数組居た。太ってのっそりとしたアンちゃんが番人をしていて、我々が昼食をとっている間いろいろと話しかけてきた。そして、我々がライオンズファンだと知ると、付きっ切りになってしまった。暖房の効いた小屋の中で昼食を楽しんだ。 天候はこれ以上の回復の兆しも無く、雨に降られないうちに下山する。往路をそのまま三時間半かけて下る。和田小屋を過ぎ駐車場まであと一息というところで雨が降り出した。とうとう最後に雨具を使用する羽目になったが、ここまで何とか持ち堪えてくれた天に感謝しよう。 天気はいまひとつであったが、久し振りに郷土の名山に登頂出来て満足した。初めて登った時は全てを長野県側のルートで歩いたが、今回はようやく故郷新潟県ルートで登頂した喜びは大きい。しかし、あのスキー場造成工事を考えると、長野県側ルートの方が自然が保全されている。ゲレンデ拡張もせめてあの程度でもう止めて欲しいものだ。二回登って二回とも好天には恵まれなかったが、今度訪れる時は「三度目の正直」で、素晴らしい青空の下に苗場山が微笑んでくれることを信じ、その機会を楽しみにすることにしよう。■
【登山ブームで、人で溢れかえっていたふるさとの名山...】
*初めて苗場山に登ったときの記録(1975年)は、こちら。 ![]()
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