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Data No. BT_8

旅行日: 2009年11月14日〜18日

地域: 東南アジア

 

ベトナム、

ホーチミン・シティの旅  

 



ベトナムのイメージ

  今から34年前、1975年にベトナム戦争が終った。ベトナムは世界で唯一、大国アメリカを追い払った国となった。「独立!さもなければ死だ!」。激しい米軍の北爆や毒薬のテロにも耐え抜き、ホーチミン率いる解放軍は勝利した。当時は米国の傀儡政権である南ベトナムが「正義」であり、社会主義政権の北ベトナムが「西側の敵」なのか、と思っていたものだが、近年の中東情勢でも感じられるように、アメリカの資本主義だけが正義ではない。

  昔は、ベトナムというと、血なまぐさい戦争に明け暮れしている国で、子供心に暗い国、怖い国というイメージであり、自分が将来訪れよう、など夢想だにしなかった。そして米軍の撒いた枯葉剤の影響で、奇形児が多数生まれ、下半身がくっついて生まれたベトちゃん・ドクちゃんの双生児は、日本でもあまりにも有名だ。年月が経ち、そのベトナムもたくましく復興し、日本企業も安価で手先の器用な労働力のあるこの国への進出が目立つ。

  戦後34年経ち、元フランスの植民地であったこの国は、文化の香りも高く、今や気軽に観光旅行で訪れ、ベトナム料理に舌鼓を打ち、メコン川をクルーズし、観光客がアオザイを着て街を歩ける。私をベトナム旅行に一番いざなったものが、フォー(米の麺)をはじめとするベトナム料理の食べ歩きだ。団体ツアーを好まぬ私は、航空券とホテルがセットになったフリープランのツアーを選び、若かりし頃の同僚であり友人であるMFさんの賛同を得て、二人でベトナムの地を踏んだ。
 

200万の大金持ちに

  ホーチミン・シティへ到着後、空港で1万円を両替したら、なんと現地通貨で、204万4千ドンを手にした。「200万」なんていう現金は、今まで手にしたことなんてあったかな...。日本の円も諸外国に比べたら小さい単位だが、その日本の1円でも、204ベトナムドンに値する。せいぜい有効に使おう。紙幣のデザインは全てホーチミンさんの顔である。だから、500,000ドンと50,000ドン、100,000ドンと10,000ドン、など○の数をきちんと認識しておかないと大変だ。

   1万円が204万ドン、これが日本円だったらなあ...
 

バイクに占領された街

  深夜にホーチミンシティに到着して一泊した朝、ホテル最上階の展望レストランで朝食をとりながら、眼下のローターリーを見て、実に驚いた。ロータリーから放射状に延びる全ての道路は、バイク、バイク、バイクの大洪水だ。ものすごい量と密度である。バスや車はバイクに圧倒されて、申し訳なさそうに走っている。信号の変わり目には、直進交通に直角に交わる方向から凄い勢いでバイクが押し寄せ、決して停止することも無く、隙間を縫いながら、走っている。これが欧米や日本ならば、絶対に衝突や接触事故が避けられない、というよりも決して許されないシチュエーションだ。

   
    交差交通が同時進行する。動画を紹介できず残念        バイク、バイクで埋め尽くされたホテル前の通り

   
              一体、どこから何の目的で、こんなに沢山のバイクが湧いてくるのだろう

  街を歩こうと、ホテルの玄関を出てからは、もっと緊張と驚きを強いられる。街中は夥しいバイクに完全に覆い尽くされ、クラクションの音が間断なく鳴り響き、凄い騒音である。こんな現象は朝夕の通勤ラッシュだと思っていたが、そうではない。早朝から深夜まで、街路という街路にはバイクの群れが決して途絶えることが無い。一体これだけ凄まじい数のバイク(人間)が、どこから湧き出してきて、何の目的で、どこへ行くというのだ。いや〜本当に驚いた。

  道路なんて、とてもじゃないが横断できない。バイクも車も、歩行者を見ても絶対に停まってくれない。ガイドブックによると、道路を横断するときは、バイクが近付いたからといって、立ち止まってはいけないし、走ってもいけない。ゆっくり止まらずに横断しろ。バイクの方が避けてくれるという。しかし、そんな環境に慣れるまでは、相当な経験と時間が必要だ。

  街は完全にバイクが最優先。せっかく歩道があっても、バイクが歩道をふさぐように駐車してあって、歩行者は走っているバイクで溢れている道路に下りて避けなければならない。そうすると、思い切りクラクションを鳴らされる...。向きを変えて駐車してくれれば問題ないのに、そんな気配りなんて全く無い人種だ。こちらも走っているバイクを睨みつけるくらいで歩かねばならない。
 

ホーチミンシティの中心街を散策

  到着翌日は、市内の中心部の見どころを歩いて回った。ホテルからは、東京で言えば銀座通りにあたる「ドンコイ通り」へ、歩いて約20分の距離だ。雨季が終って、滞在中の3日間は雨に降られることも無かったので、市内はほとんど歩いて済ませた。一度だけタクシーに乗ったが、案内書に警告されていた手口で、早速一ケタ多い金額を要求された。こんな、こすっからいのが現地の標準タクシーかと思い、バカバカしいことに神経を遣うのはイヤになった。気温が30℃を軽く超える気候だが、比較的湿気が少ないのが幸いした。ダイエットにも良かったか。

  
       落ち着いた雰囲気のドンコイ通り                   ヨーロッパ風の建物も目立つ

  しかし、MFさんは、その夜、近付いてきたバイクにウェスト・バッグに入れていたデジカメをひったくられた上に、転倒してしまった。私は前を歩いていて、現場を見ていなかったが、MFさんは初日から、しょげてしまった。彼の優しい温和な顔つきも災いしたのか。ウェストバッグというのは、「私の貴重品はここにあります」、と宣言しているようなものでもある。その後、MFさんは、私と同じデイバックを購入した。

  
       自転車に山なりの荷物を載せた雑貨商           街頭の至るところに露天の飲食店がある

  街を歩いていると、もういいかげんにしてくれ!と言いたくなるくらいに、そこいらじゅうから声がかかる。シクロに乗れ、タクシーに乗れ、ガイドしようか、新聞は要らないか、果物はいらないか、カネを恵んでくれ...。まあ、そのしつこさにも恐れ入った。でも彼らがそこまで根気良くまとわりついてくるのは、過去にまんまとカモになった日本人観光客が大勢いて、それに味をしめているからなのだろう。

  ベトナムと言えば、アオザイがすぐに思い浮かぶ。しかし、そんなアオザイを着た美女が街を闊歩しているわけではない。西洋人が日本人は和服のキモノを着ているのではないかと勘違いしているように。アオザイの美女は、主にレストラン、公共の観光施設でしか見られない。しかし、これはスマートなアジア人にしか似合わないファッションである。大柄で、ブクブク太った白人のネエチャンが着て、決してサマになるものではない。

      
     サイゴン川リバークルーズ船内のアオザイの美女        統一記念会堂のアオザイ美女

  
   愛する人のためにアオザイを注文するMFさん        フランス様式の人民委員会の建物とホーチミンの銅像

  ホーチミン・シティの見どころは、このドンコイ通り周辺に集まっているので、便利だ。その多くが、フランス植民地時代の面影を残した建物だ。歩いていると、街中の人間の種類と、熱帯の暑さをのぞけば、ヨーロッパにいるような気分にさえなる。

  マリアの像の立つサイゴン大教会、その隣にはヨーロッパの鉄道駅舎のような中央郵便局がある。いずれも19世紀末に建てられたものだ。郵便局は楽しい。手頃なお土産も沢山販売していて、各国からの観光客が続々訪れる。偉大なるホーチミン(胡志明)元大統領の肖像画は、いたるところで目にする。

    
        サイゴン大教会                      駅舎のような中央郵便局

  
     郵便局の内部、正面にホーチミン氏の肖像画              統一会堂

  統一会堂は、元南ベトナムの大統領官邸で、1975年4月30日に解放軍が鉄柵を突破して無血入場を果たし、この時をもって、ベトナム戦争が終結した地である。今は国賓を迎えるときや会議に使われるほかは一般公開されている。いうまでもないが、ベトナムの首都は、このホーチミンシティ(旧サイゴン)ではなく、北のハノイである。
 

ベトナムの食べ物

  この旅行での最大の楽しみは、ベトナム料理を食べ歩くこと。ステーキだの、フランス料理だの、和食なんて、安くたって、絶対に目もくれない。そして、期待通り、ベトナム料理は、少なくとも私の口にはバッチリ合った。MFさんには、う〜ん!?ホテルの朝食からして、美味しいベトナム麺が食べられる。量も軽すぎず、重すぎず、ちょうど良い。ちなみにMFさんが毎朝食べたフランスパンも、柔らかくてとても美味しい。滞在中に食べた料理の一部は次の通りです。MFさんが嫌がるので、屋台では1回しか食べず、比較的「品の良い」レストランで食べたが、それでも、ビールを2杯飲んで、たらふく食べて、会計すると2人分で常に1,000円以下。もちろん、屋台だったら、もっと安い。

  
     牛肉と野菜入りベトナムうどん               PHO24という店のフォー(左上は揚げパン、右は各種薬味)

  
    具がとてもリッチな揚げ春巻き(2回食べました)        クリスピーな衣の海老フライ、甘いピンクのタレを付けて

  
       東南アジアの炒飯は最高に美味しい!            海老のカレー煮(辛くなくて甘い)
 

クチの地下トンネル探訪

  戦争当時、米軍兵士をして、「ベトコンのゲリラは、どこにも見えない。しかし彼らはどこにでも居る」と震え上がらせた解放軍戦士(米軍に言わせればベトコン・ゲリラ)が作った地下トンネルへ、二日目の午前中にバス・ツアーで探訪。クチはホーチミン郊外で、バスで約1時間半の場所にある。一見、何の変哲も無い森の中だが、昔日の生々しいトリックを感慨深く見物した。

  このバス・ツアーは、いわゆる日本の旅行会社のオプショナル・ツアーではなく、ずっと安い現地申込みのツアーで、参加者はジジババはほとんど居ず、英語ガイド付、日本語ガイド付がミックスの仕立てである。私とMFさんが、最も年配者の部類に入っていたかも。

  
    何の変哲も無い林の中だが                     観光客用に広げられた地下道出入り口

  
 図体の大きな米軍兵士では絶対にくぐれない本来の出入口           こんな怖い落とし穴も

  当時の地下トンネルは総延長250kmにも及び、内部には司令室、居住設備も設けられ、窒息しないような換気設備も巧みに配され、川の水が決して入り込まない設計になっている。地下道を体験する場所もあるのだが、観光客用に広げられたものであるものの、西洋人は入口か、すぐ次のエスケープ出口でギブアップだ。私やMFさんは充分通れるが、ほとんど中腰なので、太ももの筋肉に来る。いろいろ見学すると、当時の戦士達の凄まじい執念、知恵に感銘せざるを得ない。米軍が落とした不発弾でさえ、自分達の兵器に改造した。米軍率いる南軍は、自分達の兵器で命を沢山落とした。

  バスツアーが終わり、終点が近付いた頃、昔は米国側の南軍の兵士だったという年配のガイドが英語で感謝の挨拶をしたが、バスの中の大半を占めるアメリカやオーストラリアからの観光客は、まったく無言で、ガイドに対する拍手さえ無かった。大勢の同胞がだまされ、陥れられ、苦しめられて命を落とした場所を彼らはどんな気持ちで見学したのだろう。

  ホーチミン・シティに帰着して、バスを降りたところが「戦争証跡博物館」だ。これはベトナムを理解するうえでも、クチを見学した後で、目をそむけるわけには行かない資料館だ。主に記録写真の展示であるが、枯葉剤の影響による奇形児のホルマリン漬けや写真など、生々しい展示物だ。つくづく、戦争というものは愚かだと実感する。

  ここを見た後は、誰でも食欲を失うだろう。先に食べておいて良かったかな。
 

エネルギッシュな市場

  ホテルの近くには「ベンタイン市場」という有名な市場がある。生鮮食品、衣料品、雑貨、などなど、見て歩くだけでも結構面白い。旅行の最終日は、そこで土産物を調達した。

  
                        朝から賑わうベンタイン市場

  食べ歩きのほかに、私が是非とも体験して見たかったのは、マッサージ屋である。あらかじめガイドブックでめぼしをつけておいた店に入る。これが一番安全で確か。料金は70分で、日本円換算で900円以下。日本ならば、10分も受けられない金額だ。中はリクライニング・ソファーがずらりと並び、大勢の客が居た。足のマッサージが約45分で、残りの30分が腕、肩、背中、頭のマッサージ。なんともスッキリした。これならば、滞在中、毎日来ても良かったか。

  旅の最終日に、緊張した頭と身体をほぐして、帰国の途につく。
 

ベトナム旅行後の印象

  アメリカを追い払った原動力を垣間見たような気がする。道路交通での、あの滅茶苦茶な乱雑さ、それでも接触事故なんて一度も見なかった。彼らはとてもすばしっこい。日本人や欧米人にはとてもマネのできない芸当だ。あの地下トンネルの、全てを計算しつくした精巧さも凄い。アメリカ資本主義に真向から対決し、打ち負かした自主独立のための執念と根気と知恵。観光客相手に、スキあらばお金をせしめようという、あのしつこさと根気。これらは、日本や欧米はもちろん、周辺のタイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアでも決して感じなかった異質のものだ。

  ベトナム料理も美味しいし、見栄えにも、とても繊細な気配りを感じる。フランスが残した都心部の建物も美しい。ただただ、治安の悪さが残念である。自主独立のために燃やした執念と知恵、手先の器用さ、そして国民のあのすばしっこさをもう少し別の方向で活かせたならば、もっと経済的に発展した国になれたはずだ、と思うのは私一人だけではないだろう。

  今回同行いただいたMFさんは、懲りたかもしれない。でも、私自身は、日が経つにつれて、あの国の不思議な魅力に、とりつかれつつある。■


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