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Data No. BT_10

旅行日: 2010年1月23日〜25日

地域: 青森県、八甲田山中

同行者: 単独行

 

八甲田山中の秘湯

谷地温泉  

 


厳冬の北国へ

  JR東日本のジジババ会員限定、期間限定のフリー切符で、またまた北国青森に来てしまった。今年の暮れには、いよいよ東北新幹線が新青森駅まで全線開業する。そのプレキャンペーンで、青森駅前は、いつになく活気が感じられた。新幹線が開業すれば、今は八戸乗換えで4時間10分余りの東京〜青森が3時間強になる。

  自分自身が雪国育ちなので、冬の北の町は違和感が無く、とても落着く。そして、食べ物も、しっくりと自分の味覚に合う。温泉へ旅立つ前に、青森駅構内のひなびた食堂で、美味しいホタテ塩ラーメンで腹ごしらえ。青森駅前は、この冬の豪雪も一段落していて、時折薄日も射していた。

               
        青森駅前の雪景色                         美味しかったホタテ塩ラーメン
 

八甲田山中への旅

  今回の旅の主目的は、開湯以来400年の歴史を持つ、八甲田山中の秘湯、谷地(やち)温泉探訪である。この秘湯宿は今、伊東園グループに加盟していて、365日同一料金、おひとりさま大歓迎、青森・八戸から無料送迎付で2食付5,800円+入湯税150円という破格の値段である。しかも期間限定で夕食時のビール・焼酎・日本酒の飲み放題が付く。それが安いかそうでないかは、行ってからのお楽しみ。

  1月24日昼過ぎ、青森駅前で待っていた無料送迎バスは立派な大型観光バスだった。しかし、この日に乗車したのは私を含めて9人だけ。ゆったりと誰にも気兼ねなく後部の座席に座って、雪の八甲田山への道中を楽しむ。


青森から乗った伊東園グループ専用の大型送迎バス(谷地温泉旅館前で撮影)


千の単位を6から5に書き換えてある。貧乏人には有難いのか切ないのか、デフレの世の中!

  バスは青森市内を離れると、八甲田山へ向かう国道103号線を登ってゆく。この道は過去、夏と秋に既に数回通っているが、道は見違えるほど良くなっていた。雪深い山道に入っても、ヘアピンカーブの連続なんてほとんど無い。やがて行く手に八甲田山の一番手前の峰、ゴンドラのかかっている田茂萢岳(たもやちだけ)が現れる。山は純白の世界。あそこはもう過去に3回登ったが、冬景色は初めてだ。


   八甲田ロープウェイの山頂駅が見える田茂萢岳  

  バスは、冬季閉鎖となっている酸ヶ湯温泉を通る道を避けて、裏八甲田を通過して行く。そして、明治35年に百名を超える犠牲者を出した青森歩兵第5連隊雪中行軍遭難慰霊碑の前を通過した。この道を通るとは、予想外だったのでビックリした。この遭難慰霊碑からバスが通る道は、当時、雪中行軍隊が本来たどるべき、田代を経由するルートだったのだ。雪中行軍隊は、厳冬の凄まじい暴風雪に見舞われ、山中を彷徨の末の大惨事となった。しかし、今日のこのバスルートは、当時を想像すべくも無い好天で、雪景色がとてもきれいだ。

                 
          雪景色の八甲田山への道                    こんな雪の壁の道をバスは行く

  デジカメで山の景色、樹林帯の雪景色を撮ろうと試みたが、山の姿はほとんど撮れるチャンスが無かった。落葉した樹林帯越しに肉眼では山が見えていても、その密度の濃い樹林帯がひどく撮影を邪魔する。そして、あっ、視界が開けるぞ、と思ってカメラを構えると、真正面から太陽がカメラのレンズを直射する。ええい、まあいいや。写真はあきらめよう。


かろうじて撮影できた高田大岳
 

郷愁の木造一軒宿

  バスは青森駅前から1時間10分で、谷地温泉に到着した。バスを降りて、何だか感激してしまった。だって、周囲には何も無い。深い雪に埋もれた山中にあるのは、この一軒宿だけ。午後2時半でも、快くチェックイン可能。心地良い暖房の行き届いた、ひなびた木造の建物内は、まさしく湯治場の雰囲気そのもの。モダンな設備や清潔感やプライバシーを重視する人にはどうか分らないが、私には思いっ切り郷愁に浸れて、秘湯の雰囲気を味わえる環境だ。カラオケスナックやゲームコーナーなんて、もちろん無し。ひたすら山中の秘湯を楽しもう。もちろん、携帯電話は「圏外」なので、電源オフ。

   
          谷地温泉旅館の外観                        ひなびた雰囲気の館内

   
   私の泊った25号室。暖房が心地良く効いて快適                  窓の外には大きなツララ
 

瞑想にひたれる白濁のぬる湯

  なにはともあれ、早速温泉を楽しもう。

  ここの湯は白濁した「単純硫化水素泉」で、私の一番大好きな湯質だ。最近の地底深くから無理矢理汲み上げた新興温泉では当たり前の、茶色がかった、しょっぱい湯(ナトリウム-塩化物泉)には、正直言って、もう辟易している。旅館に入ったときから、かすかに漂う懐かしい硫黄臭が私を喜ばせていた。

  
谷地温泉の大浴場(カメラは持ち込めないので、伊東園のホームページから引用)

  脱衣場から扉を開けると、全部木造の薄暗い温泉浴場の湯船に、白濁した湯が溢れている。手前が「下の湯」で38℃のぬるい湯。仕切りの奥が42℃のもっと白濁した「上の湯」。お奨めの入浴方法は、かけ湯をした後、下の湯に30分浸かり、その後で上の湯に5〜10分浸かる、そして慣れてきたら、下の湯の入浴時間を次第に延ばすとよかろうと。ジャグジーだの、サウナだの、露天風呂なんて一切無し。最近のスーパー銭湯に慣れた人には物足りないかもしれないが、私としては、ものすごく久し振りに「湯質」を楽しめた。

  下の湯の推奨時間は最初は30分程度となっていたが、いきなり1時間過ごしてしまった。体温とあまり変らない温度なので、全くのぼせないし、息苦しくもならない。この硫黄臭が私をとてもリラックスさせる。隣に居た老爺も、頭にタオルを乗せたまま、私以上に長湯をしていた。薄暗い浴場内で、湯煙につつまれて、のんびりしていると、私は全く退屈しなかった。こんな気持ちよい湯は、既に800湯以上を体験した自分の人生で五指に入る。

  今日、途中で通過してきた雪中行軍遭難慰霊碑を思い出した。雪中行軍隊は、当日は、こんな湯に浸かり、一杯やって労をねぎらうことを楽しみに青森を出発した筈だ。それが初日から、暴風雪に遭遇して、一夜たりとも湯や酒を楽しむことも無く、屈強な兵士の大半が命を落とした。さぞかし残念無念だったであろう。さぞかし辛かったであろう...。

  いろいろなことを瞑想した。雪中行軍隊のことを考えていたら、やがて、自分の祖父母や父や、自分の人生で出会いながらも、既に他界してしまった大勢の人のことを思い出してしまった。天寿を全うした人もいれば、非業の死をとげた人もいる。だれもが、とても、とても、いとしく、恋しく、懐かしい。過去のいろいろなことに思いをめぐらせていると、時間の経つのを忘れる。

  びっくりするほど長湯ができた。結局午後2時半に投宿して、翌朝10時に出発するまで、4回、合計5時間も温泉浴場で過ごしてしまった。自分の人生では、こんなのダントツの新記録!
 

テンに見物されながらの夕食

  夕食は払った料金から言って、私には申し分の無い内容である。肉系の食材は使っていないが、頭から骨まで全部食べられる岩魚の塩焼き、熱い鍋、山菜料理などがきれいに並べられていて、飲み放題のアルコールと共に、十二分に楽しめた。でも、酒は、飲み放題とはいえ、自分が期待するほど身体が許容するものではありませんね。


谷地温泉の夕食膳。お酒類、ごはん、味噌汁はセルフサービスで自由に

  夕食をとった食堂の窓の外に、ときどき野生のテンが姿を見せる。ここの宿が餌付けをした成果もあって、毎晩姿を見せるのだという。泊り客が大勢鈴なりになって、窓から外を見ていると、時折親子連れのテンがすぐ近くまで来る。しかし、長時間は留まらない。すばしっこく動くので、写真を撮るのは難しい。これ、発想を変えると、建物の檻の中から珍しそうに外を見る人間達を、テンは逆に見物に来ているのかもね。

          窓の外に出没するテン(じゃらんホームページより引用)
 

満足して帰途につく

  到着直後、就寝前、朝の目覚め直後、そしてチェックアウト前にも、合計4回、思い切り温泉を満喫した。館内には自炊設備もあり、更に安価での長期滞在も可能。温泉フリークの私としては、自分の老後の楽しみ方のモデルケースを体験したようなもの。モダンな旅館設備も、豪華料理なんても要らない。ジャグジーやサウナは無くてもいい。

  経済論理が優先して、どんどん企業が利益確保のために、人手を削減することにばかり知恵をしぼり、機械やコンピューターに仕事を任せ、どんどん人間を必要としない世の中になってゆく。こんなんで、「子供手当て」なんかをばら撒いて、国民が子供をたくさん生もうなんて気になると、政治家は本当に真面目に思っているのかしらん?裕福な家庭出身の政治家というのは、本当にバカですね。庶民の心理なんて、なんにも分っていない。

  そんな憂き世を、しばし忘れることができました。老後といわず、またすぐにでも戻りたい秘湯の宿でした。

  でも、八戸駅から新幹線に乗って、東京が近付くにつれて、また憂うつさが戻ってきてしまいました。■


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