山に呼ばれて山ある記Home

日本全国の山ある記

山のバッジギャラリー

ぶらり旅行記

ふるさと讃歌 十日町

お奨めリンク集

2006_03_04

JR東日本乗り放題の旅

函館へ、富山へ、新潟へ

2006年3月4日〜6日


  JR東日本管内に加えて、青函トンネルを越えた函館や、北陸までが含まれたフリー切符のキャンペーンがあった。「大人の休日倶楽部ミドル」という満○○歳以上限定のクレジットカード会員になると期間限定であるものの、なんと16,000円でその切符が手に入る。

  近年は遠出の旅行は飛行機(JRよりずっと安いから)かマイカーのみであったが、私自身にとっては5年ぶりに新幹線に乗る。元来、列車の旅は嫌いではない。久し振りの列車旅に、いそいそとして出発の朝を迎えた。


3月4日: 
「はやて」と「スーパー白鳥」で函館へ


  東京駅6:56発の東北新幹線八戸行「はやて1号」に乗る。全車指定席の列車だ。飛行機と競争するため、速度はすごい。大宮〜仙台、仙台〜盛岡と、むきになってノンストップでぶっ飛ばす。最高時速260kmのスピード感は、それは素晴らしいものだ。離着陸時の旅客機並のスピード感である。

  しかし、必ず起こると予測されている宮城県沖地震に遭遇したら、果たして本当に安全なのか。つい最近時速360kmで営業運転を予定している車両のテストランのニュースを見た。2004年の新潟県中越地震では時速200kmで走行中の新幹線が脱線した。幸い転覆を免れ怪我人も無かったが、時速300kmを超える新幹線は、まかり間違えば、航空機事故並の大惨事にならぬとも限らない。どうか私の乗車中だけは地震が来ないでくれと願いつつ、みちのくの流れ行く車窓を楽しむ。

  盛岡から八戸は3年前に開業したばかりの区間だ。八戸までの間に2駅あるが、失礼ながら、よくもこんな淋しい町に新幹線駅を作ったなというのが正直な感想である。これが宝の持ち腐れにならず町おこしや発展につながれば良いが。

  東京から約3時間で八戸到着。そこから函館行「スーパー白鳥1号」に乗り換える。JRのキャンペーンが功を奏したのか、車内は中高年の男女で相当な賑わいになり、髪の毛の黒い若者が珍しいほど。これを機会に函館へ行ってみようという人が相当数居たのだろう。

   
        (青函トンネルをくぐる特急スーパー白鳥)


  初めて青函トンネルをくぐった。このトンネルは新幹線規格で設計されており、直線が長いので在来線といえども相当なスピードで列車は走る。車内アナウンスによると青と緑のランプの点滅している所が最深部、海底から2百数十メートルとのことだ。しかし、車内に居る限りは、海底下を走っているという実感は無い。どうしても「プロジェクトX」を思い出してしまう。

すっかり淋しくなった函館の街

     
            すっかり装いを変えた函館駅

  午後1時過ぎ、陸続きで函館に到着。駅舎はすっかりモダンになっていた。駅前広場も驚くほど広く、両側に大きなシティホテルが建つ。青函連絡船に乗って訪れた30年前の面影はどこにも無い。

  函館名物は何といっても朝市の海鮮丼だろう。さぞかし美味しいだろう。でもちょっと値段が張るんだよね。ビンボーな私は、そんな贅沢はせず、「るるぶ」に紹介されている塩ラーメンの美味しい店でランチ。宿泊はシングルルームが2,900円のビジネスホテルを確保した。部屋は狭いが、必要な設備は全てあり、私には充分だ。15時を待ってチェックインし、身軽になって再び街に出る。

  
   (狭いが、一人で過ごすには申し分の無い2,900円の部屋)

  函館市電に乗って、函館山の麓にある市営「谷地頭温泉」でひとときを過ごす。大きな浴槽が中央に構えていて、茶褐色の湯が溢れている。露天風呂や無料休憩室もあり、380円という料金はお値打ちの施設である。

  日暮れを待ち、温泉を後にして、函館山ロープウェイ駅まで歩く。日中はぐしゃぐしゃに融けていた歩道の雪がでこぼこでカチカチに凍って歩きにくい。この地方の人は、このような雪を意外と片付けない。もっと雪深い私の故郷では、皆が自宅前の雪はあっという間に凍らないうちにマメに片付ける習慣が出来ているのだが。

  函館山の夜景も30年振りだ。台湾人の団体に混じってロープウェイで上がった。広大な光の海が目の前に広がり、皆が感嘆の声をあげる。さすがに美しい夜景だが、私は「あれえ...」と思わざるを得なかった。

          
                               函館山からの百万ドルの夜景

  ちょっと印象が昔と違うなと思う。しばらくして、それは今の函館の夜景がほとんど「静止画」であることだと分った。全国どこの街でもそうだが、今は昔のようなきらびやかなネオンサインというものが消えてしまった。これも省エネ運動の結果なのだろうが、繁華街に赤に青に黄色に点滅していたきらめきが無いのだ。加えて、港を出入りする船の動きも無く、イカ釣り船の漁火も見えない。昔は駅周辺の連絡船待ちの雑踏や周辺の飲食店や土産物屋の賑わいが山頂からでも「うごめいて」いるように見えたものだが、今はシンと静まり返った風景である。30年前に見たのは真夏で、今はシーズンオフの3月であるが、それを差し引いても何故か寂しさを感じる。

  その寂しさは麓に下りてから更に増幅した。賑やかなレストランで地ビールでも飲みながら海の幸を味わおうと、お洒落なベイエリアに行ったら、歩く人の姿はほとんど無く、土曜の午後7時で土産物屋は全部閉店していた。寒々とした街路にはタクシーがところどころ退屈そうに客待ちしているのみ。そして営業中の洒落たレストランはガラ空きで、店員が手持ち無沙汰の様子。ちょっと入る気になれず、しからば賑やかな駅前に行こうと歩いたら、その寂しさは更に倍加した。大きなモダンな駅舎内は、人気がまばらで、飲食・物販店はもう閉店。駅前にはろくな飲食店も無い。かといって、函館まで来て全国チェーンの居酒屋に入るのは馬鹿げている。小さな居酒屋や飲食店を集めた横丁を見つけたが、各店はあまりにも小さくて、私のような余所者一見さんがふいと入れる雰囲気でもない。

  さんざんさまよった末、海鮮丼の食堂でようやく腹を満たした。ここも1時間くらい腰をすえて単品料理をちびちび楽しめる店ではなく、920円の丼を食べ終ったら、店内に客は私一人だけになり、店員に一挙一動を見られているようですぐに出た。コンビニでビールとつまみと軽食を買い、ホテルの部屋でようやく落ち着いて酔っ払った。

  深夜まで連絡船や夜行列車待ちの人で雑踏し、土産物屋も飲食店も煌々と灯りを点けていたあの賑やかな函館は一体何処に行ってしまったのか。将来北海道新幹線が開通したら、新函館駅は郊外の別の場所に出来る。そうしたら、この函館駅前は更に寂れたものになってしまうのではないか。


3月5日: 
はちのへ温泉探訪


  早朝、濡れた路面がつるつるに凍結している道路をおっかなびっくり歩きながら函館駅へ向かい、7:00発、一番のスーパー白鳥で八戸へ向かう。この列車では進行左側に席を取り、津軽海峡と去り行く函館山の眺めを楽しんだ。青函トンネル内では眠気を堪えきれず、すやすやと眠ってしまう。

  八戸の駅前は新幹線開業でモダンなものになっていた。八戸はこの駅前が一番の繁華街ではないのだが、人の流れ、交通の便によって次第に変ってゆくことだろう。

  駅から約10分歩いた所にある「はちのへ温泉」を探訪する。入館350円。大浴場は体育館のように広くて、両端が一列に並んだ洗い場で、中央にどんと大きな浴槽があり、伊香保温泉のような鉄さび色の湯が豊富に湧き出ている。持参の白いタオルはなるべく湯につけないようにした。ここはサウナの水風呂も洗い場の湯水も温泉水を使っているらしい。

  温泉に浸かった後でサウナにも入り、火照った身体を水風呂にザブンと沈めたら、傍で涼んでいた爺様が「?※カコケキカ*X○?」と笑いながら私を見て言う。きょとんとしている私を見てようやく余所者だと気が付いたのか、「けもちええか?」と標準語で言い直してくれた。「ああ〜いいですねえ」と答えたら、「?※○ちべてえ▲?※□?※〜?」と言う。多分「そんな冷たい水に良く入れるのお」とでも仰ったんだろう。みちのくには言葉が通じなくても、人懐っこい人達が多い。


ほくほく線に乗って富山へ

  正午過ぎ、上りの「はやて」に乗り、大宮までぶっ飛ばす。そして午後の上越新幹線に乗って、越後湯沢駅から16:23発の金沢行特急「はくたか」自由席に乗る。北陸は特別行きたい場所ではなかったが、故郷の十日町を通る「はくたか」に一度は乗ってみたかった。越後湯沢駅の構内は週末をスキー場で楽しんだ若者らで大賑わいであった。スキー場とは関係の無い金沢行なら空いているだろうと指定をとらず早目に自由席に並んだが、発車直前に新幹線から下車してきた大勢の客で満席となり、通路には立ち客が大勢出た。

  越後の山間はことしの豪雪でまだまだ屋根まで届く積雪だ。雪崩の危険があるということで越後湯沢発車直後は徐行運転した。特急はくたかは越後湯沢を出ると、十日町にはあっという間に到着した。昔はバスで1時間10分かかった距離を、今は20分強だ。高架線を走る特急列車のロマンスシートから故郷十日町の風景を眺め、特急列車が停車するのを初体験した。湯沢からは近いので特急の乗降客はごく僅かだ。高速交通体系から見放されてきた故郷であるが、地元民が長年待ち望んできたほくほく線が開通し、特急列車が停車するようになったのは感無量である。しかしこれも北陸新幹線が開業するまで、あと数年だけのことである。

   (ほくほく線を走る特急はくたか)

  このほくほく線は、30年ほど前に一度は建設中断になったのだが、北陸新幹線の代替路線としてスーパー特急を走らせる目的で計画が練り直されたものだ。踏切ゼロ、カーブも少なく、狭軌で時速160kmを出せる設備を持つ。標準軌に改良したら時速200km運転も充分可能なのではないか。こんな素晴らしい新線を建設しておきながら、結局は莫大な税金を投入して長野から上越への大した時間短縮にならない北陸新幹線を別に作ることになってしまった。政治家の強引な我田引水は昔も今も変らない。

  そんなことを思いやりながら、日本海を右手に眺めつつ、とっぷりと日が暮れた富山に到着した。富山はなかなかモダンできれいな街だ。街路も広くてゆったりとしている。この日は富山城近くの温泉センター付ホテルに宿泊。ここもネット予約限定で3,900円だが、素晴らしい申し分の無い設備だ。ウーロン茶色の温泉をゆっくり楽しみ、コンビニ弁当でゆっくり食事をした。


3月6日: 
日本海側の雄都、新潟へ


  ふたたび早朝の「はくたか」でもういちどほくほく線を旅して、越後湯沢から上越新幹線に乗って正午前の新潟駅に降り立った。生憎の雨模様だ。雨に煙る街は何となく寂しい。

  傘をさして、佐渡汽船乗り場近くに出来た朱鷺メッセを訪れる。ここには信濃川に面して本州の日本海側では一番高い超高層ビルが出来た。そして国際展示場や催事場などを併設する。その中にある新潟ラーメン村が本日の目当てなのだ。

  ラーメン村は超高層ビルのすぐ傍の、長屋風建物に県内自慢のラーメン店が8店軒を連ねる。その中で、長岡市に本店があるというラーメン屋の中華そばを食べた。この地方のラーメンは魚介類をダシに使ったものが多いという。味は美味だが、それほど期待を上回るものではなかった。機会を作ってまた別の店のもトライしたい。

       
    (賑わっていた新潟ラーメン村)               (日本海側随一の高さの万代島ビル)

  雨に煙る月曜日であったが、世界蘭展がここで開催されていて、見物の年配者達で大賑わいであった。そんなじじばばさん達と一緒に行列に加わって、超高層ビル(万代島ビル)の31階展望台へ上がる。15人程度しか乗れないエレベーターが1基あるだけだから、かなり待たされた。でも無料だから文句は言わない。

  展望台からはゆったりと流れる信濃川と高層ビルの林立する新潟市街地を眼下に見下ろす。晴れていれば佐渡島も弥彦山も見渡せるとのことだが今日はそこまでの展望は無い。ここは上手くPRすれば新潟の一大名所になると思う。来年からは政令指定都市となる人口81万人の新潟市は、それに相応しい都市景観も持ち、日本一の信濃川の水面を挟んだ港町の夜景はそれは素晴らしい見ものである。他所から観光客を呼ぶのが稚拙でヘタクソな新潟県だから、こういう観光資源は充分に活かしてもらいたい。

  やがて雨は止んだ。万代橋を渡り新潟の中心街古町周辺を散策して新潟駅へ戻る。そして16:43の上りMaxとき2階席に乗って帰途につく。少子高齢化社会、そして人口減少社会に突入していく日本であるが、北海道も、みちのくも、故郷越後も、もうこれ以上活気を失わないで欲しいと切に願いながら、夕日が雲間から射す新潟平野を眺めつつ、ひとり缶ビールで乾杯した。■

       ぶらり旅リストへ戻る