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Data No. 215 |
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良寛ゆかりの 国上山
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国上山は「くがみやま」と読み、弥彦連峰南端の海辺に位置する標高313mの低山で、江戸時代後期に良寛が中腹に住んでいたことで有名な山。 毎年春秋の恒例となった、越後低山ハイキングシリーズは、地元に住む級友のKO君に企画及び案内をお願いしている。
KO君が二つのオプションを提示した。 急斜面の登りは辛そうだから、特別地図も確かめず、1.を登り、2.を下ることにした。ハイキングを終えた時、じっくりと地図を見て、思わず笑ってしまったほど、その差は大きなものだった。(一般的には逆コースが勧められています。) 登りにとった「ちご道」コースは、最初は杉林の中を、幾つかのトンネルで車道と交差しながら、ゆるく上ってゆく。杉林が新緑の雑木林に変わり、かなり高度を稼いだのではないかと思った頃、今度は緩い坂道を延々と下る。下りがいつまでも続くので、「こりゃあ、絶対出発点よりも標高が低いな」、なんて皆でぶつくさ言いながら、KO君の後ろを歩く。なんだか損をしたような気分。山のふもとをぐるりと大きく迂回して反対側から登るようなルートだったのだ。 距離的にほぼ中間地点付近を越した頃、ようやく登りとなった。雑木林の中を黙々と上ってゆく。高度が上がるにつれて、穀倉地帯の越後平野、北隣の弥彦山が、時折姿を見せる。日本海の海原に佐渡島が、大きく横たわっていた。この日は好天だが、遠景はやや霞んでいるのが残念だ。 新緑の山頂を仰ぐ 途中、蛇崩れという岩肌が露出した景勝地を通過し、さらにひと頑張りで、芝生の広場となっている山頂に到着。ビジターセンターから所要約1時間15分。
下山には、「急斜面を一気に」というルートをとる。その途中の展望台で、ようやく穀倉地帯の越後平野と、その中央を流れる信濃川の水をショートカットして海に導く大河津分水(おおこうづぶんすい)を見下ろす。見渡す限りの穀倉地帯は、田植えが終わり、水を張った田んぼが鏡のように光っていた。今年は豊作になりますように。
良寛さまを偲んで
ここから出発点のビジターセンターは直ぐ近いのだが、良寛さまが晩年に、20年に渡ってこもっていたという「五合庵」を回っていこう。 良寛とは: 燕市、観光情報、「良寛について」 五合庵というのは、国上山の五合目にあるからというのではなく、「玉島(岡山県倉敷市)の円通寺で厳しい修行を終え、各地の名僧を訪ねて研さんを重ねたのち、越後に戻った良寛が寛政9年(1797年)ころから約20年過ごした庵。もとは国上寺本堂を再建した客僧「萬元上人(ばんげんしょうにん)」が毎日米五合を給されていたことに由来されています。」(燕市、観光情報より) ここでは、ボランティアガイドの老爺がいて、良寛の人となりや晩年の伴侶だった貞心尼とのエピソードなどを、我々4人に、とても詳しく話してくださった。小鳥のさえずり以外は何の物音もしない、新緑の雑木林に囲まれた山の中腹の古びた庵は、ふっといまそこに良寛さまが立ち現れても、まったく違和感など無かろう、時空を超えた世界だ。 五合庵からは、深い渓谷にかかるつり橋を渡ってビジターセンター駐車場に帰着。越後の低山の新緑はまぶしく、秋には大いなる実りをもたらすであろう、広大な水田地帯の眺めが、とてものどかな日だ...。 その後、宿泊先の温泉保養所でお酒を飲みながらも、今日のハイキング体験が話題となり、良寛さまの興味深い話をしてくれた老爺の語り口が、私の頭の中でオーバーラップし、心地よく酔いが進むにつれて、今日は本当に良寛さまにめぐり会ってきたような気持になった...。■
国上山ハイキング行程: | |
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