Data No. 185 |
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富士山の拝観所 天子山塊 毛無山 |
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星の見えない暗黒の夜空には、それよりも、もっと濃い漆黒の、ぞっとするほど巨大な三角形の魔物が、今にも地上の全てのものに圧し掛かって飲み込まんとするように、立ちはだかっていた。それはもちろん、富士山だ。 紅葉の山を楽しむには、候補が幾つもあった。しかし、私は無性に富士山を見たかった。それも、なるべく近くで、しかも、まだ登ったことの無い山から...。それで、天子山塊の最高峰、毛無山(けなしやま)を選んだ。
夜が明けてから、他の登山者の車につられて、車を登山口近くの麓山の家の駐車場に進める。無人の管理棟には駐車は有料である旨が掲示されているが、支払い方法が不明瞭だし、他の車の登山者は完全に管理棟を無視している。私も、管理人がいる下山後に対処すればよいだろうと、登山の準備をした。 6:55、駐車場を出発して平坦な車道を登山口へ進む。右手には目指す毛無山が聳え、左側には富士山がドカンと居座る。しかし、10月下旬だというのに、富士山は全く雪が無く、真っ黒な姿だったのに驚いた。この付近、昔は金がとれたのか、名残の採掘施設跡がある。 20分ほど歩いただろうか、ようやく毛無山登山道入口に着いた。ところが、そのすぐ傍には、毛無山登山者用の広い無料駐車場があるではないか。なあんだ、20分も離れた有料かもしれない場所に停めて、損をした。 好天が約束されている登山は、決して辛くはない。山頂での大展望を楽しみに、せっせと頑張る。この山の登りは、かなり急登の連続である。しかし、危険な箇所はどこにも無く、ロープの設置された岩斜面も足場がしっかりしているし、ヒヤリとしたり、足がすくむようなシチュエーションも無い。ただ、木の根や枝を掴んで身体を持ち上げるような急登が頻繁なので、忍耐力は必要だ。 登山道には、「一合目」、「二合目」と表示があり、辛い登りでも目安ができるので、ありがたい。私の足では、約15分が一合の目安となった。 登山の途中で、展望が楽しめるのは、二合目のすぐ上にあった、「不動の滝」展望台くらいだ。あとは、ひたすら樹林帯の中を登る。もう高山植物の花を楽しめる季節ではないが、毒をもつトリカブトがところどころに、妖艶な紫色の花を咲かせていた。 麓山の家の駐車場にも、登山口の駐車場にも、かなり車が居たが、登山中は、ほとんど人に会わなかった。皆さんは別コースを登っているのだろうか。とはいえ、そんなにコースが幾通りもある山ではないのだが...。 2時間あまりの急登との闘いのあと、九合目からは山頂稜線の緩やかな歩きとなり、鼻歌気分の快適散歩だ。 貸し切り状態の山頂 約2時間半の労苦が報われ、9:20に毛無山、標高1,946mの山頂に立った。真正面には、見事なまでに均整のとれた富士山が、大きく裾野を広げて、私を迎えてくれた。いやあ、お久しぶりでございます。8月には、大変お世話になりました。 実は若い頃は、私は富士山を好きではなかった。どこから見ても同じ姿だし、初めて登ったときは、あまりにも人出の多さに辟易し、山小屋も、地元管理者も儲けのことしか考えていない対応で、それらは全く富士山そのもののせいではないのだが、印象が悪かったのだ。 しかし、関東埼玉県に長年暮らしていて、富士山が次第に好きになっていった。良く晴れた日に富士山が見えると、嬉しくて元気が出るし、気分が落ち込んでいるときに、思いがけず富士山が見えると、俄然心が明るくなるようになった。特に近年、契約社員として、2年間、自分に全く馴染めなかった会社への朝夕の憂鬱な車通勤途上、富士山が見えると、大いに元気をもらった。逆に富士山が見えないと、今日は良いことが無さそうだと、自分に暗示までかけてしまっていた。富士山は、私にとってパワースポットだ。 山頂は、私一人に貸切だった。私が到着後、途中で追い越した熟年男性がひとり登ってきたが、山頂に着いた途端、放尿をはじめ、その直後に、さっさと来た方向へ下山してしまった。彼は、いったい何しに頂上へ来たのだろう。 毛無山という名前からして、私は樹木の無い草原状の山頂を想像していたが、違っていた。富士山方面以外は樹林帯で展望が利かない。この山の名前の由来は、私が想像したように、その昔は樹木が生えていないために「毛無山」と呼んだという説と、逆に樹木が生い茂っているために、木成山(きなしやま)と呼んだのが始まりだという、相反する説があるが、後者の場合だと、当てはめる漢字が間違っていると言わざるを得ない。 ま、私にとっては、今日は富士山を拝めれば幸せだ。富士山を真正面に眺め、富士山とテレパシーで会話しながら、ゆっくりと、ひとり宴会をさせてもらう。持参したご馳走は、自分のためでもあり、富士山へのお供え物でもある。でも、お供え物は、こういう場所に残してきてはいけないんだよね。ちゃんと全部、富士山と一緒に飲み食いして、空にして参りました。 この山、山頂からは富士山方面(南東方面)しか見えなかったのだが、山頂稜線のある地点では、北西方向を見渡せる「北アルプス展望台」という岩があった。その岩によじ登ると、南アルプス〜八ヶ岳がきれいに眺められる。そして、北アルプスの稜線も、その背後にスカイラインを見せていた。 展望は存分に楽しめた一日であった。アルプスの山々は、見えると本当にうれしい。しかし、今日に限っては、彼らの姿は、もっと至近距離に、どっかりと構えている、富士山の巨大さを、最大限に引き立てるものでしかなかった。山のボリュームには、あまりにも比べようの無い、圧倒的な差があった。 晴天に感謝し、往路を下る。急斜面の下山は、登り以上に足の筋肉への負担がかかる。麓に着いたときには、すっかりひざが笑っていた。そんな疲労は、富士山を眺められる気持ちの良い温泉に浸かって癒そう。■
10月23日(土曜日)
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