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Data No. 101

 データ:
 登頂日: 1975年4月20日
 標高: 960m
 場所: 埼玉県
 天候: 快晴
 登頂時の年齢: 21歳
 同行者: 単独行

 

奥武蔵 丸山

 


【山への目覚め】

  山に登ることには漠然とながらも興味があった。郷里の十日町に帰る際、新潟行列車に乗っても、上りの上野行列車に乗っても大きな荷物を背負った山男達の姿に惧れを抱きながらも、多少の憧れの念を持って眺めていたものだ。しかし、上り列車で水上駅から強烈に汗臭い山男が乗ってくると、鼻をつまんでしかめっ面をしたのも事実である。でも、何故かそこまでして山に登ってくる人達を羨ましく思った。山の魅力とは何なのだろうと想像していた。丁度その頃は、新田次郎の山岳小説にのめり込んでいた頃である。登山の経験など全く無いくせに、小説の影響で実体験の伴わない多少の知識だけは持っていた。

  「登山」には何の経験もない。しかし、生まれ育ったのが四方を山に囲まれた十日町盆地である。子供の頃、郷里の裏山に親と山菜取りに出かけ、「この子は山に強い子だ」と母に言われて有頂天になっていたことを思い出す。秋の遠足などは近場の低山が定番だった。新田義貞一派の居城があった大井田城址なども数回遠足で登ったものだ。ヘビなどの爬虫類は親に似て大嫌いだったが、山は決して嫌いではなかったと思う。しかし、その後の学生時代では運動が超苦手なドンくさい人間になっていた。

  そして歳月が経ち、社会人になってようやく一年が経った。何となく興味があって、「東京付近の山」という分厚いハイキングのガイドブックを買った。そして、その本で紹介されていた、自分の住む東京、西武池袋線沿線で一番便利そうな芦ヶ久保駅からのハイキングコースを手始めに歩いてみようと思い立った。

  リュックサックも登山靴も持っていない。スニーカーを履いて、多少の飲み物と食べ物を入れた手提げカバンを持って池袋から朝の西武秩父行急行に乗り、芦ヶ久保駅に降り立った。当時は、そんな意識もなくて、カメラも持たず、何の記録も残っていない。大勢のハイカー達に交じって、芦ヶ久保果樹公園村へと登ってゆく。汗は吹き出るが、快晴であり、とても爽快な気分であった。

  長閑な果樹公園村を過ぎると次第に山道になり、樹林帯を登ってゆくと、やがて丸山山頂に到着した。標高は960m。大勢のハイカーが休んでいた。展望は利かないが、草原状で好もしい雰囲気だ。男女のグループが楽しそうに、「サーラスポンダ、サーラスポンダ、サーラスポンダ、レッセッセ」などと歌を合唱している。へえ、皆楽しそうで良いな、と羨望の眼差しを送りながら、一人寂しくジュースを飲み、おにぎりを食べた。

  其処からは、秩父市内の札所である「金昌寺」へと向けて下る。しかし、満足な地図も持っていなかったので、どこかで道を間違えたらしく、金昌寺には辿り着かずに秩父の町に出てしまった。歩き疲れ、くたくたになって、人に道を尋ねながら西武秩父駅に辿り着き、池袋行の急行に乗って、疲れで眠りこけながら帰宅した。

  早速銭湯に行き、山でかいた汗を流して湯船に浸かる。生まれて初めて「山登り」なるものを実行した感慨は大きなものであった。誰か一緒に山登りをする仲間が居れば良いな。でも、周囲にはそんな仲間は皆無であった。銭湯からの帰宅後も「東京付近の山」のページをめくりながら、そこはかとなくこれからの山登りの夢を見た。■


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