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Data No. 99 & 100 |
データ: |
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羅臼岳 斜里岳
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日本百名山、全山登頂達成への旅! とうとう記念すべき旅行がやってきた。21歳の時に従兄のIY君から苗場山に案内されて以来、30年の歳月をかけて密かに狙っていた「日本百名山」の全山登頂を達成する。今回はFKさんも参加なので、話し相手も、一緒に祝ってくれる相手もいることは嬉しい。 いざ知床へ 滞在予定中の北海道の天気予報はすこぶる悪い。しかし、2ヶ月も前にANA超割切符は買ってある。これを逃したら次のチャンスは、秋か来年まで無い。気分はやや重いまま、釧路へ飛ぶ。 猛暑の関東から到着して、釧路空港ターミナルを一歩出ると、驚くほど冷涼な空気に包まれた。当地は薄曇り。トヨタレンタカーのオフィスは空港と目と鼻の先だった。今回は「プラッツ」をあてがわれ、11:00出発。 釧路市内でキャンプガスを調達し、広大な釧路湿原内をしばらく彷徨した後、標茶を経て中標津方面への本道に出た。中標津では「地球が丸く見える」開陽台に立ち寄り、オホーツク海や知床方面の展望を楽しむ。そして国後島を初めて見たが、そのあまりにも近いことに驚く。戦争に敗れ、島を追われ帰ることの出来ない人々は、毎日どんな気持ちで目と鼻の先にある故郷を眺めるのだろう。 晴天の内に是非とも羅臼岳を見たい一心で、知床半島に入り、羅臼町を通り過ぎ知床峠に登る。16:00頃、峠道を登り切り、雄大で素晴らしい貫禄の羅臼岳と対面した。本当に素晴らしい。この好天が是非とも明日まで持続して、何とか私を気持ち良く山頂に立たせて欲しい。手を合わせ、心の底から私は祈った。知床半島の直ぐ沖合には、更に大きく近く国後島、択捉島が見えていた。 一旦羅臼町へ戻り、羅臼温泉の「熊の湯」露天風呂に立寄る。道路から渓流の橋を渡って直ぐ傍にあった。木立の中で野趣満点の無料露天風呂だ。5~6人の労務者風のオヤジが入っていた。この中の赤ら顔の一人がやたらと新客を仕切りたがる。ああ、こういうタイプって本当に全国何処にでも居るんだなあ。湯は熱かったが、久し振りに天然温泉らしい硫黄の香りが嬉しい。 羅臼町の海岸べりにある道の駅で車中泊。コンビニ弁当を温めてもらい、ビールにワインを飲みながら、座席でゆっくり食べた。この知床半島には他に道の駅が無いので、驚くほど多くの車が夜を明かしにやって来た。レンタカーもあれば、遠く九州ナンバーの車も居る、豪華キャンピングカーで乗りつけた老夫婦も居る。皆それぞれに北国の旅を楽しんでいた。 羅臼岳登頂成功! 小さな車の中で大の男二人が熟睡することは覚束なく、午前2:30、無理に眠ることを諦め、峠の反対側へ向かうために車を出す。暗夜の知床峠を登り返して行くと、至るところに鹿が居た。その数の多さにはびっくりする。峠を登り切ると、羅臼岳が真っ黒に夜空を画していた。そして午前3時頃から、知床半島先端の東の空が次第に明るくなってきた。ウトロに下り、岩尾別温泉に向かう。 3:20、山深い岩尾別温泉に到着。もう周囲はかなり明るい。川にかかる木橋の上で朝食をとっていると熟年男性が同席して山の話になった。聞くと、FKさんと同じ所沢の人で、月初にフェリーで北海道にやって来て、毎日ひとつずつ山を登っているとのこと。去年羊蹄山でも同じような人を見た。 4:20、木下小屋前を出発。熊鈴をしっかりと鳴らしながら、ヒグマの生息地に踏み込んで行く。熊鈴を鳴らしているとはいえ、やはり緊張する。雑木林の中の比較的歩き易い登山道だ。30分も歩いた頃、「ヒグマ出没多発地点」という看板を見て、更に緊張が高まる。ここでFKさんに携帯ラジオをつけてもらい、朝のニュースや音楽を聞きながら登って行く。休憩時でも、熊鈴を意識的に鳴らした。 オホーツク展望台という地点は樹林の中で、お世辞にも展望台と呼べる代物ではない。登り続けてゆくと、次第に海が見えてきて、樹間から目指す羅臼岳山頂部も顔を出す。曇天だが、雲は高く、視界はかなり利いている。 弥三吉水という水場でのどを潤し、更に進むと「極楽平」と呼ばれる傾斜の緩んだ道をしばらく歩く。ほっと一息つける場所だ。再び傾斜が急になったところが仙人坂で、登り切ると銀冷水という水場。やがて雪渓が現れ、その中央を登って行く。背後にはオホーツク海が広大だ。冷涼な空気で、汗っかきの私があまり汗をかかない。雪渓を登り切ると、高山植物の花畑が次第に華やかになる。本州ならば3,000m級の山だけに見られる花が、いくらでも競って咲いている。しかも、海をすぐ下に見下ろす山で花がこんなに咲いているのを見るのも初めてだ。 広い草現状の羅臼平には、麓から3時間弱で到着。この付近で小雨が降り出したが、視界を遮るようなものではなかった。その雨も、やがて止んだ。もう羅臼岳山頂は近い。岩がゴツゴツした山頂の溶岩ドームが威嚇するように聳えている。元気を振り絞って最後の急斜面に挑む。その間も花がきれいだ。本州では見たことの無い小さな白い花(イワヒゲ)が岩清水の岩壁に群生していた。 ペンキの矢印を辿りながら最後の急な岩場を喘ぎつつ登った。そして、8:20、麓からほぼ4時間で待望の羅臼岳山頂に立った。私はこの上なく嬉しかった。自分の切なる願いが届いたのか、ズバリ「雨」と予報されていたこの日、雨はほんの少し当たっただけで、視界はすこぶる良好である。知床半島の山々も大きなうねりを見せている。半島の両側はオホーツク海であり、国後島も択捉島も、昨日より更に近く大きく見える。択捉島には、かなり高い山も見える。もしロシアに奪われていなかったならば、深田久弥氏はあの山を百名山に数えていたかもしれない。半島の付け根には斜里岳へ続く山並みが見える。網走方面の海岸線も良く見えていた。 途中の雪渓で冷した缶ビールで乾杯し、湯を沸かし、カップラーメンを啜る。風も弱く、のんびりと景色を楽しみながら食事をするには何の支障もない。しかし、山頂部は狭く切り立っているので、アルコールは控えめにする。 9:00に下山開始。往路をそのまま戻るのだが、すっかり気持ちに余裕が出来、のんびりと下った。そして登った時に撮った筈の写真をまた同じ場所で撮ってしまうことを繰り返した。 岩尾別温泉に正午過ぎに帰着。そして、ホテルの前にある無料露天風呂で山の汗を流す。桶が無いので身体を洗いようがなく、適当に両手で湯をすくって身体にかける。そんな風にしばらく過ごして、さあ出ようかという時になって、大きなヘビが浴槽傍の穴をのっそりと横切るのが見えて、大いに驚いた。冷涼な北海道では、今までヘビは見たことが無かったし、予想もしていなかった。こんな気候なので、温泉の熱でも恋しいのか。 岩尾別温泉を後に、斜里に向かう。麓に降りても、羅臼岳は堂々といつまでもその雄姿を見せていた。海辺の道をドライブし、オシンコシンの滝を見物し、斜里駅前観光案内所で斜里温泉湯本館を紹介してもらい、早々にチェックイン。 この斜里温泉湯本館は、一泊夕食付で4,800円である(二食付ならば5,500円)。浴槽の温泉も豊富で気持良いし、夕食も悪くなかった。憧れの羅臼岳を好条件で登頂できた喜びで、酒も美味い。 斜里岳登頂で百名山完登達成! 早朝外を見たら、雨が降ったのか、地面が少し濡れている。朝風呂を浴び、5:00に宿を出発。途中、道を間違えて時間をロスしたが、清里町から広い砂利道をぐんぐん登り、6:10に斜里岳登山口の清岳荘に到着。雨がしとしと降っている。 かなりの車が停まっていたので、山には相当数の人が入っているらしい。私は、もうここまできたら一気にこの山を登って「達成」してしまおうと決心した。FKさんはギブアップ宣言。車の中で待っていると言う。雨具を装着してから朝食のパンをかじり、6:30に登山口を出発。幸い雨は大したことがなく、小雨が降ったり止んだりを繰り返しただけである。 登り始めは、一ノ沢川に沿った道を、何度も渡渉を繰り返しながら遡る。場所によっては何処を渡って行ったらよいか分らないほど。ただ、昨年の幌尻岳登山の時のように膝上まで水に浸かるようなことは全く無く、石伝いに歩けば濡れずに済む。 推奨のコースでは、この先の下二俣からは登りに沢伝いのコースをとり、下山に新道の尾根道コースをとるようになっていたが、この天候では沢伝いは止した方が良かろうと麓で言っていたので、私は往復共に尾根道コースをとる。しかし、その新道はひどいクセ者であった。急斜面で思い切りぬかるんでいる。ステッキを持参して本当に良かった。ステッキ無しでは、着衣も両手両足も泥だらけになっただろう。 不快なぬかるみの急斜面を30分程登り、傾斜が緩むとようやく尾根道に出た。登り切った所が「熊見峠」である。これ以降は草現状の尾根道を登り下りしながら歩く。雨は止んだが、景色は見えない。途中で、初めて人とすれ違った。今日山頂に一番で登った人だそうだ。人気が少ないと思っていたが、この先には団体も含め、相当数の人が居るそうだ。 快適な尾根歩きを過ぎ、山の斜面をトラバースして行くと、やがて沢を登ってくるコースと合流する「上二俣」。ここまで来れば、山頂は遠くない。相当大勢の人がいる気配だ。上二俣から続くガレ場の道には熟年団体やグループが続々と歩いている。失礼してどんどん追い越して先に行かせてもらう。「馬の背」を過ぎてさらに稜線を上り詰めた所が、待望の斜里岳山頂だった。景色は何も見えない。石造りの山頂標識がポツリとあるだけ。大勢を追い越してきたので、しばらく、山頂ではたった一人だった。三脚で記念写真を撮った。 30年の歳月をかけて、深田久弥選、日本百名山全山登頂を達成した。2004年7月10日、午前8:45。喜びを表すには、寂しい山頂かもしれない。しかし、他人に聞こえよがしに、これ見よがしに喜ぶべきものでもなし、ごくごく個人的な目標を達成しただけのことだ。 これから続々と追い越してきた人達が登ってくるので、山頂よりいくらか低い場所にある三角点付近に移動して、缶ビールを取り出し、たったひとりで30年の歳月をねぎらう。深田先生、有難う!今日の天気は残念ですが、山登りの楽しみがこれで終ったわけではありません。これからは本当に自分の好きな山を再訪したり、新しく見つけてみましょう。心にも、時間にもゆとりを持って。 たったひとり、無言で往路を戻る。景色を全て覆い隠したガスも許そう。ぬかるみも許そう。面倒くさい渡渉も許そう。汗まみれの衣服も、泥だらけのズボンもみんな許そう。10:55、FKさんの拍手に迎えられて清岳荘登山口に帰着。登山開始から帰着まで4時間半のせわしない登頂だった。 ほのぼのと過ごした一夜 清里町に下り、町営の清里温泉「緑清荘」にて山の汗を流し、休憩室で少し奮発して海鮮丼と蕎麦のセットをとった。FKさんが今日の後半の行程を運転してくれるとのことなので、私だけビールを飲ませてもらった。海鮮丼も、蕎麦も、ビールも、何だかしみじみと美味しかった。しばらく昼寝してから出発。 今宵は網走湖畔温泉のホテル・ビューパーク悠遊亭に宿を取ったので、途中の小清水原生花園を見物。清里町で降っていた雨は、オホーツク海の海岸べりに出ると、すっかり止んだ。そして、観光客で賑わう原生花園をゆっくりと散策し、様々な花を楽しんだ。赤いハマナスの花もきれいだった。風景案内板に羅臼岳や斜里岳の場所が書いてあるが、何も見えない。しかし、今日の私は全てを許せる。 網走湖畔温泉には15:30にチェックインしたが、網走駅前のコインランドリーまで出かけて汚れた衣服を全部洗って乾燥機にかけて、ようやく17:00過ぎに落ち着いた。二食付8,000円のこの宿は、大変お値打ちだった。網走湖を見下ろす和洋折衷タイプの部屋はゆったりした広さ。そして食事はバイキングで、当てにしていなかったカニも出たし、刺身ももちろんあったし、美味しい牛肉も沢山食べられた。冷酒も今日は格別に美味い。大浴場の浴槽はプールのように広くて、肌がつるつるする湯質だった。 宿願を果たしたこの日、いつになく快眠をむさぼった。 ガスの中を阿寒湖へ 私自身にとっては大きな目標を達成したので、もう天気は大きな問題ではない。ゆっくり10時にチェックアウト。 女満別の道の駅でラベンダーの花畑を楽しんだ。その後、美幌峠に向かったがガスで何も見えず。屈斜路湖畔の砂湯で、残っているカップラーメンなどを消化するべくアウトドアランチ。摩周湖も霧で何も見えないので立寄りを割愛。弟子屈の町に下り、摩周温泉「子宝の湯」に立ち寄り、阿寒湖へ向かう。 15:00過ぎに阿寒湖畔温泉の民宿に投宿。しかし、この宿は期待はずれ。しかも、かなり客が入っているのに、夕食時はほとんどの客は酒も飲まず、我々と袖が触れ合うほどの近さの席で、豚のようにご飯をガツガツ貪り食べてさっさと引き揚げて行く。興醒めも甚だしい。我々はせめてゆっくりお酒を飲んで、粗食を腹に入れた。 食後は一番楽しみにしていたアイヌコタンを含めた土産物屋巡り。いろいろな店があって、本当に楽しい。いろいろな店の人と話をして、小間物をいくつか購入した。この夜は半袖では寒いほど。他の人は長袖に加えてヤッケまで着ている。大柄の外人観光客は半袖が多い。季節感が狂ってしまいそうな光景である。日本全国で、これほど沢山の土産物屋が軒を連ねている温泉街は他に知らない。阿寒湖畔温泉はこれで4回目の滞在だが、やはりとても楽しい。
快晴の山々を眺め、帰京 最終日の阿寒湖畔は快晴になった。宿でのんびりしてから釧路空港に直行と思っていたのだが、昨日通過した双岳台で名残の山を眺めたく、7:45に宿を出た。 快晴の山々はやはり素晴らしい。昨日通過した双湖台で原生林に囲まれた湖を眺め、更に奥の双岳台に行き、雄大な雄阿寒岳と雌阿寒岳を眺めた。雄阿寒岳は、天候が良かったら登ってみることを選択肢の一つに入れていたが、是非またの機会を作りたい。雌阿寒岳は雲で山頂が見えないが、一昨年FKさんと一緒に登った山なので懐かしい。 とうとう、念願の百名山完登を果たした。しかし、これで北海道の山々とさらばする訳でもない。もっと色々な山に登ってみたい。そして猛暑の関東を離れて、毎夏一度くらいは快適な北海道を旅してみたい。最後の斜里岳は生憎ガスに閉ざされた登頂だったが、総じて北海道の山々は本当に私に優しくしてくれた。心から感謝したい。今後も是非、この私に更なる感動と喜びを与えて欲しいと願い、釧路空港から機上の人となる。■
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