Data No. 95 |
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塩見岳
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【南アルプスの鉄兜の山へ】 初めて塩見岳を見たのは、17年前に白峰三山を縦走した時だ。鉄兜のような岩峰を黒々と天に突き上げる塩見岳は、異様で目を見張った。日本の東西交通は、この南アルプスを形成する赤石山脈が立ちはだかり、北と南に大きく迂回を強いられる。そして塩見岳に登るルートも決して安易ではない。もしかしたら、私が最後に登る百名山かもしれないと考えていたが、悪天候が続いたこの夏、8月下旬になってようやく夏空が復活するとの予報に、急遽登山を決意した。 長雨が続いただけに、足踏みをしていた登山客がどっと押しかけて山小屋は超満員になる可能性もある。インターネットで他人の登山記録を読むと、体力に自信があれば日帰りも不可能ではなさそう。それならば自分も挑戦してみよう。それでも、小屋に泊る準備だけはしておく。 8月21日、20:00出発。八王子から乗った中央道を諏訪南で降り、R152を高遠に向かい、そこから南下し大鹿村を経て、深夜の鳥倉林道を登る。0:30に林道ゲート前に到着。ここは既に標高1,600mだ。 車中で仮眠後、外が明るくなるのを待ち、22日の4:55出発。ゲートをくぐっても、延々と舗装の林道は続いた。早足で歩いたが、案内書では林道終点の登山口まで30分のところを35分かかった。登山ガイドには、体力自慢のアホが執筆すると、とんでもない無理なコースタイムが記載されていることがあるのは、過去に何回も経験済みだ。この塩見岳もそのケースだと日帰りは無理になる。 いきなり樹林帯の急登で、「三伏峠迄3時間」の表示があった。これは持参の案内書と一致する。従って、日帰り可能かどうかは、この3時間をどのくらい短縮出来るかに依る。辛い急登の連続だが三伏峠までの道程を「1/10」、「2/10」というように途中標識があった。その間隔は驚くほど等間隔であり、私の足でほぼ10〜12分間隔だ。1:50で三伏峠小屋に到着。これで70分の短縮。切通しのやや緊張させられる道は、三伏峠前で本来の塩川登山道と合流後は、歩き易い道となった。 三伏峠は標高2,607mで、日本で一番高い峠だが、樹木が繁っている為、それほどの高さを感じない。峠から初めて目指す塩見岳を見た。逆光で、黒々とした鉄兜の風采だ。左側から時計回りにたどる稜線を見ると、本峰の登り迄には3つのピークを越さねばならない。 一時的に展望の良かった三伏山を一旦下り、本谷山への登りにかかっても条件はずっと同じだ。北アルプスのようなアルペンムードは無いが、樹林帯の登山道で、黄色のマルバダケブキ、紫のトリカブト、ピンクのハクサンフウロ、ミヤマキンポウゲなどの花が登りの苦労を慰める。名前は分らないが幾つものラッパのような形でピンクの花弁が渦を巻いているような花が、珍しくて印象的だ。 標高2,658mの本谷山からは、塩見岳の他に中央アルプスや、仙丈岳、荒川三山などの展望が広がる。本谷山からは、枯れ木の多い稜線をたどった後、次のピークは山腹を巻くようにルートが付けられてあり、ほっとする。やがて再び現れた急登を頑張ると塩見小屋であった。ここ迄で、標準タイムを2時間以上節約出来ている。9:40になっていた。 小屋から仰ぐ塩見岳は凄まじい迫力だ。大岩壁が黒々と天を突く。急峻で人間の接近を拒絶する岩の要塞だ。あんな山を本当に登れるのか?私はかなり緊張した。 前衛鋒の天狗岩の右側を巻くように登山道は付けられていた。しかし、意外と危険箇所も無く、鎖場も無い。天狗岩を過ぎて本峰の登りになると、急峻な岩場の連続だが、手掛かり足掛かりはしっかりある。先月、遠目には穏やかな山容の飯豊山の方が鎖場や痩せ尾根も頻繁にあり、余程緊張を強いられた。山は見かけによらぬものだ。 岩稜を登り詰めると、塩見岳西峰山頂で、最高点の東峰は一投足だ。10:40、待望の一万尺の山頂に立つと、大展望が待っていた。北側には間ノ岳と農鳥岳が大きく根を張り、その後方に北岳が頭を覗かせる。甲斐駒ケ岳は雪化粧したように真っ白な頂を見せる。仙丈岳も素晴らしい貫禄だ。南側には昨年縦走した荒川三山が目を惹く。西側は中央アルプスから恵那山までの連嶺が軍艦のよう。そして、その右奥には黒い雲かと見紛うような、北アルプスの槍・穂高連峰がノコギリの歯のように中空を画している。 無風快晴のアルプス一万尺で飲むビールは何という旨さであろう。カラリと乾いた空気、周囲は遮るもの無き360度の大展望、これまで数限りなく登った四囲の山々を山座同定し、それぞれの山々の思い出に浸りながら、渇いた喉を潤した。 11:00過ぎ下山開始。岩場の連続した本峰の登りも、下りはあっという間だ。塩見小屋のトイレは200円の有料で吸水性の携帯トイレを使用し、その容器はヘリで運んで処分するとのこと。ここに泊まることにしなくて良かった。トイレはともかく、この所要時間ならば、泊まる必要も無かった。 往路をせっせと戻る。三伏峠小屋迄のピーク二つの上り下りは、本当にウンザリ。しかし、このまま行けば、17時迄に下山出来る目途が立った。14時前、三伏峠小屋に到達し、ようやく食事。湯を沸かしてカップラーメンをすすり、パンをかじる。腹が満たされると疲労も和らぐ。周囲の熟年達の会話を耳にすると、慎重な人は前夜麓の温泉旅館に泊まり、ここでも一泊して山頂を往復後、またもう一泊。速い人でも、ここで一泊して山頂往復後の下山らしい。 14:25出発。三伏峠を出てからも、登る人の流れは絶えない。今晩の小屋は相当な混雑だ。足は相当疲労していた。すれ違う人々のやり過ごしでも時間を食う。登山口迄の「9/10」、「8/10」の標識が実に有難い励みだ。着実なゴールへの目安になるので、「まだか、まだか」という辛さからは開放される。 15:50、林道に出る。これからまだ長い林道歩きが待っている。ウンザリしながら歩き始める。と、後ろから車のエンジンの音。私の横でその軽トラックが停車し、林道作業員の白髪頭の老爺が「荷台で良かったら乗っていかねかね」と、地獄に現れたエンジェルのようなお誘い。断る理由も無く、お言葉に甘えた。 やがて、もう一人下山中の同年輩の男性がいて、やはり優しい老爺は声をかけた。夕べ私の車の直ぐ隣に停まっていた栃木ナンバーの車の人だ。この塩見岳を日帰りで済まそうという輩は多くない。お互いに素晴らしかった山の思い出と、車に乗せてもらった喜びを分かち合いながらゲート前駐車場に着いた。3km以上の林道歩きを省略出来た利点は大きかった。老爺に精一杯の笑顔でお礼を述べてお別れした。 駒ヶ根駅近くの「駒ヶ根グリーンホテル」に5,000円の部屋を取る。大浴場で頭から足先まで洗い、ゆっくり湯船に身体を沈めてリラックス。そして街中のコンビニで弁当を熱々に温めてもらい、缶ビールを買い、エアコンの効いた部屋で、サラリと乾いた浴衣に身を包んで、テレビを見ながらディナータイム。 山小屋に泊まっていたら、7,500円も払って、塩を噴くほど汗まみれの身体のまま、大混雑の部屋で窮屈な思いをし、粗食をあてがわれ、冷えていない缶ビールに600円も払っていたと思うと、このホテルは正しく天国だ。この疲労の代償として手に入れた快適さと、快晴下にあの強面の塩見岳の日帰り登頂を達成できた満足感で、やがて正体もなく深い眠りに落ちる。■
塩見岳登山行程 8月21日(木曜日) 8月22日(金曜日) |