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Data No. 91 / 92 / 93 |
データ: |
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幌尻岳・トムラウシ |
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ANA053便は出発が遅れ、レンタカーで千歳を出発したのは目論見よりも90分遅れた。R36から暫定無料の日高自動車道に乗り、太平洋岸に出て、門別町からR237を経て平取(びらとり)町を目指す。ここまでは道路も空いていて意外とあっけなく短時間で到着した。振内(ふれない)から林道に入る。舗装路はいつしか砂利道となる。時折、エゾシカが姿を現す。北海道の林道はカーブが少なく、幅も広く、傾斜も緩い。延々と30数キロも続いた林道は突然ゲートが現れて通行止めとなる。13:55。そこは百名山、幌尻岳の登山基地であるため、日本各地のナンバープレートを掲げた車両が沢山停まっている。 14:15、支度を整え林道ゲートをくぐる。額平(ぬかびら)川の流れは、まだ遥か谷底である。いずれ、あの渓流を十数回も渡渉するのだ。熊鈴をザックに装着したが、いまいち音がおとなし過ぎるような...。しかし、他の登山者もちらほら見かけるので、少し安心。 ゲートから約70分で林道は終点となり、ダム取水口がある。そこから、いよいよ額平川渓流に沿った道になる。何度も渡渉があるルートだが、時折すれ違う下山者は、みなケロリと乾いた格好だ。状況を聞いてみたかったが、素人っぽく思われるのも沽券にかかわるので、挨拶だけ交わしてそのまま進む。 とうとう最初の渡渉場所が現れた。登山靴と靴下を脱ぎ地下足袋を装着。恐る恐る最初の一歩を水中に入れると、とてつもなく冷たい流れに心拍数は急上昇。赤いヒモの垂れ下がった対岸に渡る際、いきなり最初から膝上まで水に浸かった。半ズボンを履いていたが股間までしっかり濡れる。清流で水がきれいなのが救いだ。それ以降は川自体がルートだ。何度も何度も渡渉を強いられた。川底の石は丸く削られ、コケで良く滑るので、転ばないよう緊張して歩く。しばらく雨が降っていないので、これでも水量は少な目らしい。時折どこを渡ったら良いか悩まされたが必死に踏み跡を探して渡渉を繰り返す。 気力だけが頼りの初経験の渡渉山行だった。そして、いい加減うんざりしてきた頃、幌尻山荘がひょっこりと目の前に現れた時の嬉しさは、言葉に例えようがなかった。最後の浅瀬の渡渉をザブザブと元気にこなし、ようやく17:05に今日の行程を終える。 静かな森の中の幌尻山荘では、管理人に料金1,000円を払い、濡れた身体をタオルで拭き取り、着替えをして一階のストーブの傍で夕食をとる。この夜は、窮屈な思いもせずに寝場所を確保できた。宿泊者は20人程度か。明日登頂する人ばかりではなく、下山後に泊まる人もかなり居たようだ。 7月5日(土曜日) 花畑の幌尻岳山頂へ 北海道の空は、3:00過ぎには薄明るくなった。3時半過ぎ、数人ががさごそと起き出したので私も起きる。熊と遭遇したくないから、第一号での出発は避けたい。一階のストーブの傍で、朝食をとり出発の準備をする。4:00、外はすっかり明るくなった。屋外でストレッチをしながら、2組が出発するのを見送り、ようやく4:30になって私も出発。上空は多少雲があるものの、青空も面積が広い。 小屋の横手の山腹に取り付く。針葉樹林帯の中、ジグザグに切った急坂を登る。先行パーティが見え隠れしているので、突然熊と遭遇するようなことは無いだろう。それでもじわりじわりと、追い付いてしまった。最初は単独行の中年男性、そしてしばらくして熟年男性二人のパーティに追い付いた。別に追い越さなくても良かったが、道を空けてくれたので、先行することにした。後ろに他人がいるのも鬱陶しかろう。 1時間強で「命の水」入口に到着。しかし、水場は崖下へ降りる必要があるので、往路は立寄りを割愛する。命の水からしばらくは、より傾斜が増した苦しい登りである。ダケカンバの白い樹林帯が美しい。樹林帯は、やがてハイマツ帯となり、視界が開けてゆく。 森林限界を過ぎると、大きな氷河地形の圏谷(北カール)を抱いた幌尻岳の全容が初めてその姿を現した。日本アルプスに持ってきても、引けを取らない堂々たる山容だ。中腹には残雪を抱き、緑の草原が一面に広がる。登山道はその圏谷の縁を反時計周りにたどる。そして、この稜線が素晴らしい花畑だった。シラネアオイは沢山咲いていたし、純白のチングルマ、真紅のエゾツツジ、ピンクのミヤマアズマギク、など登りの辛さを忘れさせてくれる。 風が強いので、帽子を飛ばさないよう注意しながら、着実に高度を稼いでゆく。そして、圏谷の縁をぐるりと半周した頃、待望の幌尻岳山頂(標高2,052m)に到達した。7:05。私一人に完全に貸切だ。見下ろせば圏谷の底には残雪と池を散りばめた明るい草原が見える。ここから続く稜線にはスマートな三角錐を見せる戸蔦別岳(とったべつだけ)をはじめとする日高山地の山々が続く。幌尻岳は、この日高山地の盟主だ。私にとって初探訪の山域なので周囲の山名前は、ほとんど分からないが、この幌尻岳が抜きん出た存在だ。 風はやがて弱まり、岩陰に入れば日差しも暖かく快適だ。到着後凡そ30分経ってから途中で追い抜いた熟年二人組が到着した。彼らは戸蔦別岳経由の縦走をするとのこと。しばし、山談義と感動の言葉を交し合い、私は満足して下山にかかる。 圏谷を見下ろす花畑で写真を撮り、缶ビールをゆっくり味わう。風も止んでパラダイス気分。今日は土曜日だが、本当に人が少ない。夕べ小屋に泊まった人々の大半は、既に登頂後だったのだろうか。幌尻山荘への帰路、すれ違った人の数は両手で数えられるほどであった。 9:35、幌尻山荘帰着。管理人のお兄さんが無人になった小屋を掃除していた。水を分けてもらい、シュラフや地下足袋などの山頂往復には不要だった荷物を引き取り、荷造りをしてからカレーうどんを作って食べる。登頂を果たした満足感で美味。 再び地下足袋を履き、昨日の往路を戻る。私はやはり水の中をジャブジャブ歩くのは好きになれない。途中、あと数歩で対岸到着というところで、滑る石に乗っかり、ドボンと全身が水に浸かった。最後の渡渉が終わり、乾いた大きな岩の上で濡れた衣服を全部御日様の下で脱ぎ去り、乾いたものに着替え、靴を履く。そして出発点の林道ゲートを目指す。途中、取水口付近には今日・明日行われる山開きに参加する地元の団体が昼食をとっていた。彼らは林道ゲートを開けて、ここまで車で来たようだ。 13:05、林道ゲート帰着。昨日の道を国道に引き返し、「びらとり温泉」に行く。ステーキ・ランチ付で1,200円という入館セット券を購入。大浴場で山の汗を気持ちよく流し、休憩室では地元産の和牛ステーキを熱々で頬張りながら冷たいビールを飲む。そして酔い覚ましに夕方までぐっすり眠る。 この日はどこかに泊まり、明日は休養日にしても良かったが、予報ではあと2日晴天が続くらしい。そこで、この晴天を生かすため、明日は一気にトムラウシ登頂を決意した。R237を日高町に進路をとり、日勝峠を越えて新得町に出る。レンタカーのナビを「トムラウシ温泉」に設定。これで未知の土地も迷うことなくトムラウシへのルートを走る。トムラウシ温泉の手前も道幅の広い砂利道だった。トムラウシ温泉を過ぎ更に奥の登山口に21:45到着。満天の星空を眺めつつ、カローラの後部座席で車中泊。 7月6日(日曜日) トムラウシ 岩の王冠へ さすがに人気のある山だ。早朝までにかなりの車が到着した。大半が熟年である。そして皆、すぐに出発して行く。前夜の星空は曇天に変わっていたが雲は高い。 4:30、私もスパッツを装着して出発。静かな森の中の道は緩やかで楽である。15分程でトムラウシ温泉からの登山道に合流する。多少傾斜は急になったが、「カムイ天上」という看板の掲げられた場所には意外と短時間で到着。名前は神秘的だが、どういう由来を持つのだろう。 ほどなく、初めて目指すトムラウシの双耳峰が姿を現した。まだ相当な道のりである。道は一旦谷底の渓流へ向けて、もったいないほど下る。ぬかるみもあって歩きにくい。スパッツと軍手装着で正解だ。下り切ると残雪豊富な沢(カムイサンケナイ川)に出た。この沢を右に左に渡るようにしてルートが付けられているが、薄くなった残雪の上はやや緊張する。沢を離れると今度は長大な雪渓の登りが待ち構えていた。雪原を吹き渡る風で、汗に濡れた衣服が大分乾いた。雪渓の登りが済むと、今度は岩石地帯の急登が続く。この日で一番辛い登りだった。 登り切った所が、表示は無いが「前トム平」であろう。広々とした台地に花畑が広がっていた。トムラウシの岩峰が再び姿を見せる。傾斜の多少緩んだハイマツと岩屑の道を進んでゆくと、トムラウシ山頂の手前で、またドンと思い切り下らされる窪地が現れた。疲れた身にはがっかりであるが、その窪地は素晴らしい日本庭園だ。角ばった岩の堆積や花に彩られた緑の草原や、せせらぎが美しい。ここも表示は無いが、「トムラウシ公園」か。 再び急斜面の登りをこなすと、稜線のキャンプ場が見える。そして右側へ更に岩稜を20分ほど登りつめた所が待望のトムラウシ頂上(2,141m)であった。8:25到着。4時間を僅かに切っての登頂であった。 昨年大雪山から眺めた時に王冠のようだと思ったトムラウシ山は、旧山頂火口の縁に巨岩をぶちまけたような岩峰がいくつも並んでいる。その最高地点に立っての眺めは素晴らしい。北側には昨年の思い出の旭岳がゆったりと裾野を広げ、石狩の山並みも奥深い。すぐ南には噴煙を上げる十勝岳連峰が連なる。夕張岳も貫禄がある。登頂祝のビールを飲みながら、しばしパノラマを楽しむ。 下山中、すっかり天気は回復して、登る際に曇天下で撮影した同じ景色を撮影し直す。曇りと晴れでは景色の美しさがあまりにも違うのだ。人気の途絶えた前トム平で再度休憩し、登山と同じ所要時間をかけて王冠の山を降りた。 南の十勝岳方面
下山後、トムラウシ温泉国民宿舎東大雪荘で入浴。その後、富良野盆地へ抜け、上富良野から十勝岳への車道を山懐に進み、18:25、吹上温泉白銀荘に投宿。ここは日帰り温泉センターでもあるが、登山者のために2段ベッドの簡易宿泊施設があり、自炊設備も完備している。日帰りの家族連れなどで喧しかった大浴場は、日が暮れると静かになった。立派な大浴場と露天風呂で、初めてゆったりとした気分で寛ぎ、疲れを癒す。そしてプライバシーの守られたカーテン付二段ベッドの部屋は静か、清潔、快適で、三日ぶりに布団に入って眠れる幸せをかみしめた。 7月7日(月曜日) 噴煙たなびく十勝岳山頂に 快適な眠りをむさぼり、5時過ぎまで白銀荘に滞在した。車で十勝岳登山口の望岳台に5:30到着。素晴らしい山岳風景が待っていた。昨年は愛想の景色も見えなかった場所だ。白い噴煙をたなびかせる十勝岳連峰が気持ちよい青空の下に顔を見せていた。車の傍でパンをかじり、ジュースを飲み、ゆっくりと支度をする。そして6:00、登山口を出発。 最初から全く日陰の無い、真っ直ぐで明瞭な登路だ。これまでの幌尻岳、トムラウシと違って、気分も軽やかだ。もうこの山の登頂も晴天下に約束されている。先行する熟年登山者達をあえて追い越すようなスピードも出さす、ゆっくりと歩いた。それでも、いつの間にか、私が先頭に立ってしまうのは、年齢差から言って宿命か。私は歩くスピードを最初から一定にキープするが、先行の熟年者たちは傾斜が増すと途端にペースが落ちる。 丈の低い草や花(イワブクロが沢山咲いていた)を除いて、樹木らしきものが全く無く、火山性岩石がごろごろする斜面をひたすら真っ直ぐ登ってゆくと、50分で「十勝岳避難小屋」に着く。そして、さらに傾斜が増した岩石帯の道をペンキの矢印に従って登ってゆくと、僅かにあった草木が次第に途絶えてくる。喘ぎ喘ぎ、頭上に見える黒々した稜線を目指し登って行くのだが、かなり辛抱の要る場所である。 急斜面を登りきって傾斜の緩んだところが、あっと目を見張る光景であった。もはや一木一草も生えていない黒々とした火山礫だけの死の世界。その奥に白い煙を吐く噴火口を抱えて、ピラミッド型の十勝岳本峰がすっくと立っている。手前には大きな窪み(昭和噴火口)を従えて、その馬の背のような縁を緩やかに登路が付けられている。しばし昭和噴火口の広い縁の上をゆっくり歩く。晴れていると道は明瞭であるが、ガスや悪天候のときは迷いやすい場所かもしれない。 山頂直下の歩きにくい壁を登りきり、最後の急斜面を頑張ると、何の遮るものも無い十勝岳山頂の大展望が待っていた。8:35、標高2,077mの頂上に到達した。 北側に荒々しい姿を見せる美瑛岳を隔てて、大雪連峰が延びる。去年登った旭岳も、昨日登ったトムラウシも、青空の下である。南側にはスマートな富良野岳が間近に見え、その奥には夕張岳、そして一昨日登った幌尻岳が一際目立つ山容を誇っていた。足下の富良野盆地は緑豊かに起伏する。今日は北海道到着以来、最高の好天になった。 好天であるが、山頂は風が強くて冷たかった。ランチタイムはもう少し風の弱い中腹でとるべく、9:05下山を開始。そして30分ほど下った昭和噴火口付近で、ゆっくりと食事をする。何と、薄汚いキタキツネが傍に寄ってきた。一木一草も生えていないこの山で他の餌などある筈が無い。人間から食べ物をもらうことを覚えてしまった悲しい性のキタキツネなのか。しかし、ここで私が餌を与えてしまっては彼の為にならないので石ころを投げて追い払った。12:15、望岳台に帰着。 これで、狙っていた三山の登頂を果たしたので、何はともあれ今晩は温泉にゆっくり泊まりたい。車を千歳方面に進め、途中のコンビニの駐車場で支笏湖温泉休暇村を電話予約。ナビを使って、占冠、夕張、道東自動車道、千歳市内を経て迷うことなく支笏湖を目指し、17:30、「休暇村支笏湖」に投宿。一泊二食8,000円で泊まれる洋室に落ち着いた。限りなく静かな環境であった。肌がすべすべする名湯を楽しみ、旅立ち以来初めて個室に泊まるので、快適な一夜だ。夕食時の日本酒の酔いも手伝い超熟睡。 7月8日(火曜日) 樽前山を登頂し洞爺湖へ 一旦千歳方面に僅かに引き返し、苫小牧方面への国道に入り、すぐまた支笏湖畔の道に出る。そして道標に従って樽前山七合目を目指す。樽前山に向かう道は砂利道だった。北海道の他の山の例に漏れず、砂利道でも道幅は広くてカーブも少ない。辿り着いた樽前山七合目駐車場には、平日にも関わらず係員がいて、駐車場所を誘導してくれる。 10:15、もう足がイヤがっていたが、登山靴を履いて樽前山山頂を目指す。登山者名簿に記入し、階段状の登山道に踏み込む。鬱陶しい樹木に覆われた登山道は、ほどなく森林限界を越して日陰の無い道となる。しかし、眼下には青空よりも濃い青色の湖水を湛える支笏湖がたとえようもなく美しい。頭上にはコニーデ型の樽前山の姿が心地よい。 樽前山の斜面を斜行するように登って行く。山麓の原生林の彼方から、時折ドドーンという音がする。雷でも近付いているのかとびっくりしたが、どうやら自衛隊の砲弾演習の音と分かって安心した。この場所から見ると、道央側は晴天、しかし、南西側ははっきりと線が引かれたように白い雲の下であった。 斜面を登り切るとお鉢の縁に出る。そしてそのお鉢の背後には不気味な溶岩ドームが煙を吐く。山頂はここから右側に更に登ったところであった。砂礫の道を登り切ると、樽前山東山の山頂である。標高は1,024mで、溶岩ドームの最高点よりはやや低いが、人間が登れる最高点はここである。駐車場から僅か35分の登りであったが、景観は素晴らしい。ガスの中に不気味な溶岩ドームが浮かび、時折はるか彼方にスマートな羊蹄山が見え隠れする。他の人は山頂到着後、ものの5分も経たずに下山してしまうが、時間が豊富な私はのんびりと山頂滞在を楽しんだ。やがて、西の視界を遮っていた雲は消え去り、溶岩ドームも羊蹄山もくっきりと姿を現した。 12:50、七合目駐車場に帰着。管理人の叔父さんが笑顔で迎えてくれる。この人は、車を発車させる時も笑顔で手を振ってくれた。こういう人に出会うと、山旅の印象がとても良くなるものだ。 この日は、洞爺湖温泉に2食付で6,000円の宿を取る。途中は温泉にも立寄らずに洞爺湖に直行したが、3年前に有珠山の噴火災害に遭遇したこの温泉街では、2食付で4,800円だとか、素泊まりで3,000円だとかの看板が目立ち、必死に客を呼び戻そうという努力が感じられる。15:30、早々に小さな「ホテルニュー洞爺湖」に投宿。温泉入浴後、夕食まで昼寝。その夜、名物の洞爺湖湖上花火大会を見物。決して大きな尺玉が上がるわけではないが、私の今回の山旅の成功を祝ってくれるように打ちあがる、華麗な花火を楽しんだ。 この北海道最後の夜も、アルコールの酔いで超熟睡。 7月9日(水曜日) 満足して北海道に感謝して.... 北海道最終日の朝は、ゆっくりして9:00チェックアウト。女将さんの薦めで3年前の有珠山噴火災害跡の見物に行く。そういえば、私の泊まった部屋の目の前にバスターミナルがあり、そのすぐ裏側が通行止になった国道であった。通行止というよりも、完全に道路が埋もれてしまっているのだ。当時、温泉街のすぐ裏でも火口が出来て、噴煙が上がっていたが、それがこの宿のすぐ裏だったのだ。 「西山火口跡」と呼ばれる噴火災害跡には、物凄い数の修学旅行生がいた。それぞれのグループがガイドさんに案内されてまだ煙の吹き出る火口跡を見物している。人間の生活する場所で噴火が起こったのだった。道路はゆがみ、断層が発生している。火山エネルギーの凄さを実感した。最初に噴火した場所に辿り着くと、そのすぐ向こうが海なのにびっくりした。洞爺湖は山の湖かと思っていたが、海からいくらも離れていないのだ。 千歳空港へ海沿いルートを戻る。あれだけ好天に恵まれた登山旅行であったが、最終日の海沿いは小雨模様であった。本当に素晴らしい山旅だった。感動を伝える相手も無く、たった一人なのが本当に勿体無い。空港内レストランで、赤い顔で楽しそうに談笑するグループの傍で、私は一人ぽっちで祝杯をあげ、大成功だった山旅の余韻に浸った。■
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