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Data No. 85 / 86 / 87

 データ:
 登頂日: 2002年8月3日〜4日
 悪沢岳標高 3,141m
 赤石岳標高 3,120m
 聖岳標高  3,013m
 場所: 静岡・長野県境(南アルプス)
 天候: 晴れ
 登頂時の年齢: 48歳
 同行者: 単独行

 

南アルプス南部縦走
 

悪沢岳・赤石岳
 

聖岳

 


【長年の夢、赤石山脈】

   子供の頃、社会科の授業で耳にした「赤石山脈」、すなわち「南アルプス」。昔はその盟主である赤石岳の頂に立つなんて、想像したことも無かった。そんな私も登山を嗜むようになり、南アルプスの核心部ともいえる赤石岳から荒川三山の豪快な山稜は、私自身が絶対行ねばならない山になっていた。

  幾度この山々を眺めただろう。中央道を行き来する際、甲府盆地から見える。南アルプス北部の山を登っていれば、必ず見える。伊豆半島や富士五湖近辺の山、奥秩父山塊からも見える。これらの南アルプス南部の山々は、奥深く、3,000mを優に越す標高、膨大な質量、貫禄と、軽々しく登山者を寄せ付けない、ただならぬ威容を誇る。それゆえ、私自身の登山計画に組み入れられることも後回しにされていた。
 

8月1日(木曜日)

【一路、南アルプスの山懐へ】

  20:30、車で出発。中央道〜河口湖からR139を南下し、富士からR1を西進し、静岡から県道74号、27号を経て南アルプス山中へと進む。深夜で対向車が無いのが幸いだが、カーブだらけの道が数十キロも続くと、運転する自分自身が軽い車酔い気味になる。漆黒の山道は、何も景色が見えない。どのくらい山奥に入りこんだかの実感も乏しいまま、ようやく午前1:55、畑薙(はたなぎ)第一ダム下の東海フォレスト指定駐車場に到着。駐車しているマイカーの多さに驚いた。さすがは南アルプス盟主の山の登山基地だ。

  車中仮眠中、虫除けを持参しなかったのをひどく後悔した。真夏ゆえ、ここの900m程度の標高では蒸し暑く、ドアを開けると蚊が沢山侵入する。身体全体に毛布をかけ、顔にタオルをかけていれば蚊には食われないが、暑さとの闘いだ。蚊に食われるか、蒸し暑さを我慢するかの二者択一の寝苦しい夜だった。

8月2日(金曜日) 

【南アルプス一万尺の稜線へ】

  蚊と暑さとの闘いで、ほとんど寝られず。送迎バスの始発は8:10である。日の出直後に目が覚め、どうやって時間を潰そうか悩んだが、7時過ぎにバスがやってきた。聞くと、人数がまとまれば臨時便を出すとのこと。そして、7:40頃に所定の20名程度が集まり、予定より30分早く出発できることになった。

  快晴下、マイクロバスは、畑薙第一ダムを過ぎ、一般車シャットアウトのゲートをくぐり、砂利道の林道を南アルプスの山懐に進む。山奥に進むにつれて、谷の奥に見える山々の高さに驚きの声が上がる。大崩壊地の迫力も目を奪う。終点の椹島に到着直前、すっくと天を突く尖った赤石岳の姿が進行左手に見えて、その気高さがとても印象的であった。

  椹島(さわらじま)は、標高1,120mの谷あいの登山基地だ。涼やかな林の中に快適そうなロッジの建物がある。日差しは強いものの、もはや下界の蒸し暑さは無い。ここで身支度をしっかり整え、今日は標高2,600mの千枚小屋まで頑張ろう。

  8:50、椹島を出発。林道をしばらく歩き、滝見橋から道標に従い沢沿いの登山道に入る。概ね尾根伝いの登山道は、決してきついものではなかったが、夕べ蚊との闘いでほとんど眠っていない身には辛かった。風がそよとも当らない樹林帯の中では汗が猛烈に吹き出る。そして猛烈にのどが乾く。水分を補給すれば、ますます汗がダラダラ出る。やや厚めの長袖シャツを着ていたが、たまらずTシャツに着替えた。途中、目指す悪沢岳の展望が見事に広がった。バテ気味の身体に元気を与えてくれる。

      悪沢岳が姿を現す

  水場のある「清水平」までが一番苦しかった。息は切れるし、動悸は激しく、今まで経験したことの無い太ももの軽い痙攣まで起こった。その清水平までの3時間弱で、かなりの水を消費してしまったので、ここで冷たくて美味しい沢の水をたっぷり補給し、リゲインEB錠を飲み、チョコレートを水で流し込む。しかし、そんな簡単な栄養補給が大きな体力回復の源になった。

  それ以降は、身体が楽になる。ところが、上空に雲が増え、千枚小屋まで後一時間という付近でパラパラと雨が降り出し、やがて本格的な降りとなり、折畳傘をさして歩いた。そして、上空で稲光と大きな雷鳴が至近距離で発生した時には肝を冷したが、幸い千枚小屋はすぐそこであった。

  14:10、千枚小屋に到着。受付で宿泊申し込みを済ませ、ようやく落ち着く。小屋はログハウス風で新しい。指定された場所はハシゴを上った天井裏近くで、早速そこで濡れた衣類を干して、夕食まで仮眠。やがて夕立は去り、外は再び明るくなった。

  夕食は鳥の唐揚げを味付けしたものにサラダ、冷奴、味噌汁。山小屋の食事としては上等であり、ビールを飲みながら美味しく食べる。お陰で消耗した体力をかなり快復した。しかし、板の間にシュラーフだけの寝床では、疲労を完全回復するための熟睡はおぼつかない。眠いのに眠れない辛い夜だった。
 

8月3日(土曜日) 

【豪快な荒川三山〜赤石岳縦走】

  山小屋に泊るといつも思うが、早立ちの人々、特にオバサン達が本当に喧しい。3時頃からカサカサと音を立てる。早立ちをするのならば、眠る前に準備をしておけ。そして起きた後は、静かに速やかに寝室から立ち去れ!そんな基本中の基本を分かっていない人達が本当に多い。

  満足に眠れなかった上に騒音に悩まされ、4時に床を上げた。外に出てみると、天気は抜群で、未明の小屋の正面に富士山がシルエットに浮かんでいた。4:25、懐中電灯をつけて出発。昨日は気が付かなかったが、千枚小屋周辺は素晴らしい花畑だ。

  5:00、日の出と同時に標高2,880mの千枚岳山頂に到着。行く手の悪沢岳、荒川中岳、赤石岳の大きな山容が朝焼けに染まる。正面は大海原の中に三角錐の弧峰富士山。北方には白峰三山を始めとする南アルプス北部の山々。荘厳な天上世界の夜明けであった。

       朝焼けの赤石岳

  荒川三山から赤石岳は膨大な質量を誇る山々であり、それぞれが深い鞍部で隔たっている。今日は本当にあの峰々を越えていけるのか。昨日バテバテでようやく登ってきただけに、不安が募るほどの壮大な縦走路だ。千枚岳から、険悪な斜面を下り痩せた岩稜をたどる。南アルプス南部は生易しい山ではない。しかし、そんな緊張とは裏腹に、千枚岳近辺の花々は本当に素晴らしい。

  痩せた岩稜歩きから開放され、石屑の散らばった広い斜面を登ると標高3,032mのこんもりとした丸山に出る。久し振りの一万尺の山頂だ。ここから悪沢岳は大きな岩がごろごろ積み重なったような斜面を辛抱して登る。今日、ここまでの体調は良い。昨日の登り始めは風の全く当らない樹林帯の中だったので、汗がやたらと吹き出たが、今日はそよ風が体温の上昇を抑えてくれる。

    
          
悪沢岳を目指して                             岩稜を登ってゆく

  6:40、悪沢岳山頂(3,141m)到着。日本で6番目に高い山で、南アルプス南部の最高峰だ。四囲遮るものの無い大展望が広がる。ここは南アルプスの真っ只中。膨大な赤石岳への稜線、谷を隔てた塩見岳、北に連なる白峰三山は、同じ赤石山脈の仲間だ。伊那谷を隔てた中央アルプスは軍艦のよう。恵那山の丸い山頂も見える。遥か北には北アルプスが鋭角な稜線を雲の上に出している。回れ右をすると、富士山が弧高を保っている。こんな大展望の中で、朝食弁当を広げる。

   悪沢岳(荒川東岳)頂上にて

  この悪沢岳の山頂標識は「荒川東岳」となっていた。深田久弥が望んでいる「悪沢岳(わるさわだけ)」という名称は採用してもらえないようだ。私自身も東岳という平凡過ぎる名称よりも、悪沢岳の方に賛成したい。他の登山者もおしなべて「悪沢岳」と呼んでいる。中には、「悪沢岳はどれなんだ?」と行く手の稜線を探している人などもいた。

    塩見岳と白峰三山方面

      孤峰、富士山の姿  
 

  さて、次に目指すは中岳であるが、悪沢岳の山頂からは、伸びやかな鞍部を隔てたピークに見えていた。しかし、悪沢岳を下り始めると、峻険なガレキ斜面の急降下が待っていた。慎重さの要求される下りである。先行の熟年グループの為にかなり渋滞した。

 
                      これからたどる荒川中岳と赤石岳の豪快な稜線

  鞍部に下り、広い斜面を登り返すと、避難小屋の立つ荒川中岳山頂(標高3,083m)だ。この付近は、白いチングルマが盛りだ。振り返ると、下ってきた悪沢岳が黒々と大きく根を張って堂々たる貫禄を見せる。今更ながら、凄い斜面を降りてきたものだと驚く。ここから荒川前岳は一投足だが、同じ山の山頂部の一隆起程度で、別の山と認識するほどもなく、前岳登頂は割愛し先へ進む。

   中岳避難小屋から悪沢岳を見る

 赤石岳を望む。手前は荒川小屋  

  中岳を下り始めると、途端に人が減った。千枚小屋を同時刻頃に出発した人達は、もうすっかり私の後方なのか。中岳からの下山路は稜線を離れ、山腹を斜めに下る。その斜面は素晴らしい花畑だ。しかし、千枚岳で撮り損なった可憐な花のいくつかは、もはや見られない。花を見るならば、千枚岳を軽んじてはいけない。

   
                            登山道で出会った花畑

  9:00、静かなダケカンバの林の中にある荒川小屋で小休止。管理人以外、誰もいない。この小屋に泊った人々は全て出払い、前後の小屋に泊って縦走する人達が通るには、まだ早過ぎる時刻なのだ。

  南アルプスは、その名の通り南にあるので、森林限界が高い。荒川小屋を出てしばらくは、稜線の中腹をトラバースするようにダケカンバの森の中を登り返す。優に2,500mを越えた稜線なのに鬱陶しい。しかし、それも程なく抜け出し、砂礫の斜面を緩やかに、かつ快適に歩き、大聖寺平という小広い場所に出る。行く手の赤石岳は、ひどく高く聳えている。かなりのアルバイトが要求されそうである。稜線の東側(静岡県側)には雲が湧き出してきた。西の信州側は相変わらず晴天なのと対照的である。

  大聖寺平付近から見る荒川中岳

  ここから赤石岳へは、砂礫斜面をジグザグにひたすら登るだけだが、途中で道を外してしまった。その外れた道も明瞭な踏み跡があったのだ。次第にその道が不明瞭になって、ようやく道を間違えたと認識して、引き返し本道に戻る。私の姿を見ていた後続登山者も、つられて同じ道を来てしまった。ここの管理者は分岐点などに、明瞭な道標を設置する義務と責任がある。こんな晴天下でも、道を間違えたのだから、ガスにまかれた場合を考えるとぞっとする。ガレキ地のペンキの矢印なども、他の山域に比べ、ずっと不明瞭だ。

  そんな不平不満をぶつぶつ呟きながら登り続けると、やがて小赤石岳の山頂に出た。標高は堂々たる3,081mである。ここからは、緩く下った鞍部を隔てて、赤石岳本峰の姿も至近距離だ。

  小赤石岳を下り、椹島への道を左に分け、再び登り返して南アルプスの盟主、赤石岳山頂に到着した。時刻は11:20。標高は3,120.1mである。山頂には、立派な避難小屋もある。残念ながら、ガスが湧いてきて、遠望は閉ざされたが、私は満足だ。山脈の名前にもなり、実際の風格も素晴らしいこの赤石岳の山頂に立てたことは、本当に誇らしく、嬉しい。

  
                小赤石岳から見る赤石岳本峰                  盟主、赤石岳山頂で

  休憩中、短パンでナップザック姿の男が走って登ってきた。その男が自慢げに話すことを聞くとはなしに聞くと、彼は遥か麓の標高が1,000mに満たない「便ヶ島」から走って登り、峰をいくつも越えてここまで来て、これから再び走って往路を今日中に戻ると言う。これは片道だけでも普通は2泊3日の行程だ。それを往復で日帰りとは、ここに居る登山者達とは、まるで目的が異なる別次元のバケ者だ。

  盟主赤石岳の山頂滞在を満喫し、雲の切れ間に見えていた百間平への下りにかかる。岩ががらがらの二重山稜の窪地を通り、砂礫の急斜面を下り、岩石の広大な斜面を真っ直ぐ斜めに下る。短パンのバケ者は、あっという間に私を越して行き、あっという間に見えなくなった。大斜面を下りきると、その下ってきた斜面の膨大さに、とてもびっくりした。赤石岳は大きな大きな山だった。

  馬の背のような所から、広い草原状の「百間平」を過ぎ、大沢山との鞍部に向けて、丈の低い樹林帯の中につけられた、岩がごつごつした道を急降下する。岩の堅さが足裏にジンジンと響く。いい加減辟易した頃、テント場を過ぎ、今宵の宿、百間洞(ひゃっけんぼら)山の家に到着した。13:40であった。

  山の家は、清流のほとりにあり、静かで好もしい。宿泊客も少なめで、静かな夜を過ごせそうだ。椹島から同行程を歩いてきた青年が同室になり、いろいろ話が弾んだ。夕食は、揚げたてのトンカツに、蕎麦碗、味噌汁、ご飯。南アルプスの山小屋は食事が悪いとの評判だが、東海フォレスト経営の山小屋は全く例外だ。

  2晩連続で熟睡していないので、夕食後は早めに就寝。しかし、やはり板の間にシュラーフだけというのは辛くて、眠いのに眠れない。深夜、雨の降る音が聞こえ、雷も2〜3回鳴った。何だか、明日の行程が鬱陶しく、気乗りのしない精神状態になる。
 

8月4日(日曜日)

【聖岳を越え、椹島へ急降下】

  暗いうちからガサゴソ音を立てるオバさんも居ず、静かな朝を迎える。外はまだ小雨交じり。3:30過ぎに起床し、玄関へ出る。夜半に雨が降ったこともあり、気が重いが、頑張って聖岳を越え、早く椹島へ下ろう。

  4:10、ヘッドランプを灯して小屋を出発。雨は止んだが、結果的に雨具を装着して正解だった。森林限界の高い南アルプスなので、登山道の両側は深い茂みである。従って朝露が容赦無く身体を濡らす。

  谷底の山の家から、鬱陶しいブッシュの中の道を登って稜線を目指す。右足のかかとに出来たマメは痛いし、息は切れるし、雨具の中で身体は蒸れる。辛い1時間余りの登りであった。稜線に出てブッシュから開放され、雨具の上着のみ脱ぐ。冷たい風に吹かれるが、余程快適になった。オーバーズボンはまだ脱げない。

  周囲が明るくなり、ヘッドランプをしまう。しかし、今日はすっかり曇天で、遠望は利かない。足元の道を頼りに、歩を進めるしかない。この日のコースは道が悪い。そして道標の整備も悪い。聖岳までは中盛丸山、小兎岳、兎岳を越えて行くのだが、稜線に出て越していった幾つかのピークには何の表示も無い。従いガスの中で、景色が見えないまま、自分の位置に確証を持てない歩きが延々と続いた。

  ピークを3つ越し、大きな鞍部に下りて、砂礫の急斜面を登っているときは、聖岳への登りにかかっていると思ったが、そこを登りきって「兎岳」という立て看板を見た時には、本当にがっかりした。まだ手前の山なのだ。早足で歩いたが、コースタイムをほとんど短縮出来ていない。その上、兎岳山頂標識からは、聖岳の方向が示されていないので、5分ほど誤った方向へ進んでしまい、引き返す。何とも楽しくないルートだ。

  兎岳から、両手両足をフルに使った岩稜を下り、痩せた鞍部をたどる。そして、今度は急斜面の登りになる。ここで、初めて女性二人のパーティとすれ違った。この付近は、足下に赤い石が目立つ。赤石岳山頂付近では見られなかったが、赤石岳から流れる沢や、稜線の一部とも言えるこの付近で特徴的に見られるものだという。聖岳本峰の登りも、きわめて急峻で辛い。しかし、登るにつれ、頭上の雲の流れが速まり、時折視界が広がる。

       聖岳山頂にて

  緊張を強いられた急登も緩み、尾根も広くなり、9:10に聖岳山頂に到着。百間洞山の家を出てから5時間が経過していた。前半はコースタイムを短縮できなかったが、後半はかなり節約した。標高3,013mの聖岳は日本で最南端の3,000m峰である。山頂には高校生らしきワンゲル・グループと数組の登山客がいた。展望は利かないが、安堵感と登頂の喜びは大きかった。

   聖岳の大斜面を下る 

  聖岳からの大斜面の下りは、登路に比べたら、明瞭なジグザグが刻まれた、しっかりした道だ。その大斜面を下り切り、痩せた尾根をたどって行くと小聖岳である。ここで見事に空が晴れ上がった。そして大きな根を張った、雄大な聖岳の全容が見渡せるようになった。聖岳の左肩には、歩いてきた兎岳の姿もある。

    聖岳の雄姿

  歩いて来た兎岳も姿を見せる 

  聖平へ向けてひたすら歩く。すっかり樹林の中に入りこみ、鬱陶しさを感じながら先を急ぐ。斜面にはアザミ(薊)の花が目立つ。実際、この付近を薊畑と呼ぶ。10:45、小広い湿原の木道をたどり、森の中の静かな聖平小屋に到着。小屋の前で、ブランチ・タイムとする。缶ビールを買い、百間洞山の家の弁当を広げる。中身は天むすが2個、普通のおにぎりが2個で、工夫があって嬉しい。

  11:25、椹島への急降下を開始。本来は、百間洞からこの聖平は、一日がかりの行程だが、私はもう小屋で固い床に眠るのが心底イヤだったので、ハードであるものの、下山を決意していた。

  下山道は、不思議な道だった。最初は清流に沿った緩やかな下りであったが、尾根を一つ越すと、次第に上り坂になった。そしてやがて、渓流からは遥かに離れた断崖絶壁のてっぺん付近を歩く。対岸の急斜面から流れ落ちる滝が二筋見えたが、地図にあった「滝見台」という標識が無かったので、まだ先だろうと思って歩き続けたら、もう滝の見える場所は無かった。その間も、どうも道は緩く登り続けているような気がした。

  やがて道はようやく急降下が始まり、一気に高度を下げ始めた。しかし、聖沢吊橋を渡ると、再びじわりじわりと上り坂が続く。下山中の登り返しというのは、嫌なものだが、確実に麓へ近付くのだと思い我慢する。そして、「椹島まであと1:10」という標識を見た時は、急ぎ足で歩いた成果が大きく出たことを知り俄然元気が出た。そして、バスで通った林道までの急降下を終え、足を棒のようにして林道を歩き、15:30に椹島に帰着した。

      快適な下山後の一夜を過ごした椹島ロッジ

  椹島ロッジの滞在は、それはもう天国のよう。エアコンの要らない静かで涼しい畳の部屋で柔らかい布団に寝られ、同室者は信州から来た気の良い60代の老爺一人だけ、夕食前には風呂で全身を洗い、塩を噴いたような着衣を全部着替えてさっぱり。350ccの発泡酒が250円で買える(山小屋では600円!)。夕食は品数も豊富で、下界の民宿と遜色無い。本当に頑張って下山して良かったと大いに喜んだ。

  夕食後、同室の老爺としばらく山の話をしたが、日没前に寝入ってしまい、途中一度トイレに起きた他は、全く目が覚めず、朝食アナウンスのあった午前5時まで超熟睡した。前日まで3夜満足に眠っていなかったから、それは深い深い、快適な睡眠だった。
 

8月5日(月曜日)  

【さらば南アルプスの山々】

  このロッジは、これから登山する人々と、下山して泊る人をきちんと部屋も分けて管理するので有難い。しかし、食事時間に差はつけない。下山して熟睡したい身には、5時の朝食はちょっと早いが、そこはしっかりけじめをつけ、これから登山する人達の羨望を浴びて、ビールを飲みながら、朝ご飯をとても美味しくいただく。

  食後、もう一眠りするつもりでいたところ、館内アナウンスがあり、定刻より1時間以上も前に、回送車を利用した下山バス便を6:50に出してくれるとのこと。急遽荷物をまとめて、老爺と一緒に、臨時バスに乗る。ちなみに、この送迎マイクロバスは、無料だが、東海フォレスト経営の椹島ロッジや山小屋に一泊二食以上で宿泊することを条件としている。私は既に3泊もした。あの長大な林道を延々と歩くくらいなら、宿泊は惜しくない。というよりも、幕営しない限り、この東海フォレストの山小屋のいずれかに泊らなければ、荒川三山の登山は不可能だ。

  臨時バスには約10人が乗り込んだ。思い出の山々を眺めながら、余韻を楽しめるように、バスは砂利道をゆっくりと進んだ。椹島を発車してすぐ、赤石岳を望める場所で、バスがわざわざ止まってくれた。最後の挨拶である。ごきげんよう、また会う日まで。今日も爽やかな青空が広がる。

        
                             赤石岳がお別れの挨拶を

  7:45、畑薙ダム下の駐車場に帰着。何だか全てが名残惜しかった。空気のからりと乾いた一万尺の山頂、辛い登り下りの稜線、山小屋での語らい、高いけれど美味しかったビール、夢のように快適な椹島の一夜、全てがただただ楽しく思い出される。こんなに満足した山行は、近年あったかな?老爺と別れ、素晴らしい体験を語り合う相手も無く、ひとりで帰路につくのが、本当に惜しくもあった。■

 

【南アルプス大縦走行程】

8月1日 (木曜日)
入間20:30===八王子===(中央道)===河口湖===R139===富士===R1===静岡===南アルプス公園線===1:55畑薙第一ダム駐車場(車中仮眠)

8月2日 (金曜日)
畑薙ダム駐車場7:40===(東海フォレスト・リムジンバス)===8:35椹島ロッジ8:50 ---(0:15)--- 9:05滝見橋---(2:30)--- 11:35清水平11:40---(0:40)--- 12:20蕨段三角点12:35---(0:10)---12:45見晴岩---(1:25)--- 14:10千枚小屋宿泊

8月3日 (土曜日)
千枚小屋4:25---(0:35)---5:00千枚岳(2,879.8m) 5:15 ---(0:50)---6:05丸山(3,032m) 6:10---(0:30)---6:40悪沢岳(3,141m) 7:10 ---(1:00)---8:10荒川中岳(3,083.2m) 8:15---(0:45)---9:00荒川小屋9:15---(0:30)---9:45大聖寺平9:50---(1:00)---10:50小赤石岳(3,081m)10:55---(0:10)---11:05椹島分岐点---(0:15)--- 11:20赤石岳(3,120.1m) 11:50---(1:05)---12:55百間平13:00---(0:40)---13:40百間洞山の家 宿泊

8月4日 (日曜日)
百間洞山の家4:10 ---(1:10)--- 5:20中盛丸山(2,807m)---(1:40)--- 7:00兎岳(2,818m) 7:15---(1:55)---9:10聖岳(3,013m)9:15 ---(0:35)--- 9:50小聖岳10:00---(0:30)--- 10:30薊畑分岐---(0:15)---10:45聖平小屋11:25 ---滝見台--(2:25)--- 13:50聖沢吊橋---(1:00)---14:50聖沢登山口---(0:40)---15:30椹島ロッジ宿泊

8月5日 (月曜日)
椹島ロッジ6:50===(リムジンバス)===7:45畑薙ダム駐車場8:00===9:30口坂本温泉10:05==静岡==R1==富士==富士宮==朝霧高原温泉==R139==15:00青木ヶ原樹海温泉、富士眺望の湯ゆらり17:00===河口湖===中央道==相模湖===20:15入間帰着

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