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20代前半の頃、国鉄周遊券を使って山陰を旅したことがあった。当時は初歩的な登山に多少の経験はあったものの、大概の山は眺めるだけだった。しかし、山陰のシンボルとも言うべき名山、伯耆大山(ほうきだいせん)であるが、私の写真アルバムに大山の姿は無く、この山を眺めた記憶すらない。天気は決して悪くはなかった。今となっては、もったいない事をしたような気がする。 9月22日(土曜) 【10時間のドライブで鳥取県へ】 ズバリ快晴の予報が出た秋の連休、居ても立っても居られなくなり、急遽決心し、長距離ドライブで山陰の名峰を目指す。11:30に自宅を出発し、東名〜名神〜中国道を、途中の景色を楽しみながらドライブし、深夜に米子自動車道の蒜山高原SAに到着し、車中で夜を明かす。延々10時間以上のドライブだったが、明日の晴天が約束されていれば、疲れは感じない。 9月23日(日曜) 【快晴の伯耆大山頂上に立つ】 3:30、蒜山高原SAを出発。直ぐに溝口ICを降り、コンビニで昼食用の食品を仕入れ、大山登山口へ。標高凡そ700mの大山寺周辺が登山基地だ。登山口に近い橋のたもとの駐車場に4:45到着。まだ周囲は真っ暗なので、もう少し車の中で横になる。大陸からやってきた冷たい高気圧のため、9月にしては異例の寒さだ。 外が明るくなるのを待ち、6:15、出発。「夏道登山道」という道だ。いかにも神社や寺の境内という雰囲気の薄暗い林の中、幅の広い石の階段を上って行く。左右には保養所やお堂のような建物が点在していたが、それも登るにつれて無くなり、純粋な原生林になっていった。 一合目、二合目、三合目とほぼ10分おきにクリアした。展望の利かない林の中だが、道は良く整備されている。五合目を過ぎる頃、ようやく大山の荒々しい北面が見えてきた。そして、大神山神社からの道が合流する。登るにつれて樹木は低くなり、見晴らしも広がる。振返れば、米子の街並、弓ヶ浜、中海、松江の市街地や宍道湖まで見渡せる。 山頂近くなると、傾斜が緩み、丈の低い樹木の間に敷かれた木道を歩く。特別天然記念物のダイセンキャラボクの群落だというのだが、どれがそうなのか、私には分からない。そもそも「キャラボク」とはどんな植物かの知識が無い。 山頂に立つ避難小屋 木道を登り、修理中の小屋をぐるりと回った場所が、大山山頂弥山(みせん)、標高1,710.6mだ。8:00丁度。最高点は、この先の剣ヶ峰(1,729m)なのだが、稜線の崩壊が進み、現在は立入禁止になっている。 大山山頂にて 立入禁止はごもっとも。登山中に眺めてきた北壁もかなり崩落しているが、山頂に来て初めて見渡す南壁はもっと激しい崩壊具合だ。風が吹き、雨が降り、雪が解けるたび、そして大地が揺れるたび、限りなくこの大山の稜線は崩落して行く。人工的に食い止められるような規模ではなさそうだ。いつの日か、この現在の山頂も消滅し、「昔登っておいて良かったね」などと言う日が来るのだろうか。 山頂では下界の風景以外は全てが逆光の世界だ。遥か日本海の青い海原には隠岐ノ島が浮かぶ。周囲の中国山地には目立つ山は無く、山岳展望の魅力には欠ける。約1時間食事をしながらのんびり休憩。9:00、下山にかかる。 下山後大神山神社を参拝 下山途中、夥しい数の登山者とすれ違うが、私はとても驚いた。もともと、私は人出の多い山道で喘いでいる時に、いちいち「こんにちわ」と挨拶するのはムダで鬱陶しいことだと思っている。軽い会釈や、「ちわ」程度で十分だと思う。だから、あえて自分から挨拶はせず、相手から挨拶された場合に返すことにしていた。ところが、この大山ですれ違う人々の8割以上が、挨拶どころか、目を合わすことも避け、すれ違う相手を黙殺する。狭い場所で、こちらが道を譲っても、当り前のように私の脇を無言で通過する。老若男女を問わず同じような態度で、所変われば、こうも人も違うものか。私の30年近い山登り歴で初めての「不気味」な経験だ。 下山には五合目から大神山神社経由のルートを取る。すると、すれ違う人の数が激減した。急傾斜を降り、砂防工事の行われている広い本谷を渡る際、険しい大山北壁を眺める。本当にこの山はいつまで、この姿でいられるのか。静かな佇まいの大神山神社に参拝し、大山寺境内を下って行くと、出発点の大山寺門前集落だ。まだ10:50であった。 山の汗は、米子の皆生温泉でさっぱりと流した。そして、市街地から実に雄大な威風堂々とした大山の姿を見て感動した。山がいつかは消えてしまうかもという先刻の杞憂をせせら笑うように、大山は、その名の通り大きな山であり、米子の街の直ぐ裏手まで、ゆったりと大きな裾野を広げる。この方角からは、確かに「伯耆富士」と呼ばれる風采を備えている。南部富士、岩手山と似た形だ。麓から眺めて、この大山は、まぎれも無い「名山」であることを認識した。 R9を東進し、三朝温泉に宿を求めたが、観光協会では「連休だから独り者は無理」とにべもなく断られた。さて、どうするかと路上で思案していた時、協会に加盟していない旅館の女将さんに声をかけられた。12,000円とのこと。捨てる神あれば拾う神ありだ。高台にある「三楽荘」は静かで居心地の良い旅館だった。食事も温泉も申し分ない。大山登頂祝いの美酒を味わい、その夜は長距離ドライブと登山の疲労で爆睡。涼しくて、布団の暖かさを数ヶ月ぶりに味わった一夜だった。 9月24日(月曜日) 【神秘の三徳山、投入堂を登拝し、帰途につく】 朝をゆっくり過ごした後、この三朝温泉の山奥にある、三徳山三仏寺を訪れる。絶壁に立つお堂、「投入堂」を登拝しようというもの。三仏寺本堂までは400円の拝観料で、その奥の投入堂を登拝するには、更に200円を払って、「六根清浄」のたすきをかけて山道に挑む。 かなり急峻で、木の根を掴み、岩をロープでよじ登る、大山よりも余程スリルのある登拝路を行く。まだ午前中で、陽光もろくに差さないひんやりとした樹間を行くのだが、汗が次第ににじむ。約40分、途中にいくつかのお堂や鐘楼を経て、崖を回りこむように進むと、その投入堂は突如目の前に現れた。 岩壁のへこみに建造された社殿 オーバーハングの絶壁の窪みに、あたかも念力のある行者が投入れたかのように、そのお堂は挟まっていた。これが「投入堂」の名前の由来だそうである。今から1300年も前に、本当に一体誰がどうやってあんな場所に...。こんな急峻な登拝路は資材を上げるだけでも大変な作業であろうに、その上あのような断崖絶壁に、朽ち果てもせずに佇むお堂を建てたとは。あたかも空を飛ぶ仙人や天狗の住処のよう。しばし、無言で神秘的な感動に包まれながら見つめた。 各所で温泉を楽しみ、琵琶湖付近まで一般道を走った。行きは一気に高速道を駆け抜けたが、帰りの道はとてもとても長かった。大山は本当に遠い山だったのだ。■
【大山登山旅行行程】 9月22日(土曜日) 9月23日(日曜日) 9月24日(月曜日) 9月25日(火曜日) |