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Data No. 77 & 78

 データ:
 登頂日: 2001年4月14日〜15日
 霧島山標高 1,700m (鹿児島・宮崎県境)
 開聞岳標高  922m (鹿児島県)
 天候: 晴れ
 登頂時の年齢: 47歳
 同行者: 単独行

 

霧島山・ 開聞岳

高千穂ノ峰

 



【開聞岳への想い】

  数年前に「月光の夏」という映画をテレビで見た。太平洋戦争末期、特攻隊員として鹿児島の知覧(ちらん)へ赴く二人の若い兵士が、死ぬ前の思い出にグランドピアノを弾きたくて佐賀県鳥栖の小学校へ歩いてやってきたことを、老いた女教師が述懐することから始まる話。そして知覧から出撃する特攻隊員が祖国日本本土の見納めとして眺める端正な山、それが開聞岳であった。海から直接せり上がった、薩摩富士と呼ばれるコニーデ型火山。映像で見ても、何という均整のとれた美しい山だろう、と目を見張った。そして、あの美しい山を死出の旅立ちをする特攻隊員は、どんな気持ちで眺めたのだろう、と大いに気になっていた。
 

4月13日(金曜日)

【鹿児島へひとっ飛び】

  羽田を午後遅く出る全日空便で鹿児島空港に到着。レンタカーを借りて、19:00過ぎに公共の宿、「霧島ハイツ」に投宿。硫黄成分を含んだ温泉は気持ち良い。露天風呂からは麓の町灯りと鹿児島空港の灯りが見えていた。夕食膳もゆっくりと楽しみ、快適な一夜を過ごした。
 

4月14日(土曜日)

【霧島山探訪と湯巡り】

  上空は青空が広がっていた。天気予報では鹿児島地方は概ね晴れるとのこと。朝食を済ませ、8:15に霧島ハイツを車で出発。えびの高原を目指す。下界は晴れていたが、山懐に入って行くにつれて雲の中になってしまった。「霧島」という名前の通り、霧が出やすい地形なのだろうが、やはり落胆する。

   地獄巡りコースから、山に向かう 

  8:40、枯野の草原である「えびの高原」到着。雰囲気としては草津白根山の中腹という感じ。空は時折明るくなるので、天候回復の期待を込め韓国岳(からくにだけ)登山に8:55出発。火山性の噴気が作り出す「地獄」巡りコースを途中から逸れると霧島連山最高峰である韓国岳への登山路だ。低い潅木帯の中のガレ場斜面を登る。時折、右手の足元にえびの高原が見えるが、ガスにまかれて全く自分がどのような所を歩いているのか分からない。途中は「合目」標識があるので、目安にはなるのだが。

      
                            強風の韓国岳山頂にて

  五里霧中を早足で歩いた。8合目付近から左手がお釜の縁になっている様子が分かった。50分程で標高1,700mの山頂に到着した。溶岩質の岩がごつごつする山頂には誰も居ない。そして、ぴゅ-ぴゅ-冷たい強風が吹いて、展望はゼロ。長居は無用。10分ほどで下山にかかる。

  
        下って来た韓国岳を振り返る                    クレーターだらけのえびの高原

  下山途中からガスが薄くなり、山肌が少しずつ見えてきた。視界の利いてきたえびの高原を見下ろすと、この一帯はかつては噴火口だらけだったことが分かる。大小様々な旧噴火口のクレーターは、今は池であったり、湿原になっていたりする。

  10:40、登山口帰着。一旦車を宮崎方面に僅かに進めて、「えびの高原温泉」で汗を流す。白濁した湯のあふれる露天風呂を貸切状態で楽しみ、往路を引き返し、高千穂ノ峰を目指す。

  高千穂峰は霧島連山の南端にあり、その姿は最高峰の韓国岳よりも凛々しいものがある。登山口の高千穂河原は、昔霧島神宮があった場所で、もっと昔に遡れば、霧島神宮本殿は高千穂峰の中腹にあったらしい。それが山の噴火でこの高千穂河原に移設されたが、その移設された本殿は更なる噴火で再び焼失し、もっと麓にある現在の場所に落ち着いたと言う。霧島連山の主峰は標高の一番高い韓国岳と認識されているが、歴史的にはこの高千穂峰が主峰たるべきなのか。

       
                           高千穂神社跡と高千穂ノ峰

  11:45、高千穂河原を出発。鳥居をくぐって神社境内の面影を残す参道を登る。本殿はもはやここには無い。林の中の階段状になったを登るのも僅かで、やがて道は猛烈に歩きにくい、火山礫の斜面となる。他の登山者も悪戦苦闘している。結構な急斜面なのに、一歩足を砂礫の上に乗せるとざらざらと足元の砂が流れる。地面が全く固まっていないのだ。

       
                          高千穂ノ峰の巨大クレーター 

          ザラザラで歩きにくい山頂の登り   

  砂礫の悪戦苦闘を終えると、巨大なお鉢の縁に出た。その噴火口のお鉢の縁を歩くが、ここはしっかりと固まった地面なので救われる。目指す山頂は、このお鉢の奥にある別の峰だ。すっくと天を突く本峰の姿はスマートだ。お鉢の縁から「馬の背」へ一旦緩く下り、本峰の登りにかかる。この斜面も砂礫の登りだ。気休め程度に杭が埋められてあるので、ずり落ちることは無いが、それにしても歩きにくい。強風も手伝って、口の中は砂でざらざらになり、いくら唾を吐いても不快感は消えない。

  
             山頂の「天の逆鉾」                       山頂から火口を見下ろす

  登山口から一時間弱で、「天の逆鉾」が祀られた標高1,574mの高千穂峰山頂に到着。霧島連山が全て見渡せるほど天候は回復した。午前中に登った韓国岳も見える。標高はここよりもずっと高く、どっしりとした貫禄がある。南側は霧島高原のリゾート地と薩摩の町や村が見下ろせる。しかし、春霞で遠望があまり利かない。この山頂で、宿のサービスで付いた昼食弁当を広げ、爽快なひとときを楽しむ。

       
                        山頂から新燃岳と主峰、韓国岳を見る

  往路をそのまま下る。多少勝手が分かり、しかも上から見たほうが歩きやすい場所を探しやすいので登りよりは楽だ。14:05、高千穂河原駐車場に帰着。

         麓から仰ぐ高千穂ノ峰

  下山後、霧島高原内の温泉を探訪後、鹿児島へ下る。市の繁華街に近いグリーンホテル錦生館に投宿。ここは最上階に温泉大浴場があり、窓から煙を吐く桜島と港を眺められた。
 

4月15日(日曜日)

【薩摩富士、開聞岳登頂】

  ホテルを早朝に出て、指宿スカイラインを経て開聞岳へ向かう。所々に錦江湾を見下ろせる展望台がある。知覧を過ぎた頃から行く手にあのスマートな、コニーデ型の開聞岳の姿が見えてきた。

  池田湖の畔を進み、「かいもん山麓公園」の駐車場に午前8:00に到着。明るい緑の芝に覆われたグラススキー場等がある広い公園だ。頭上に聳える弧峰、開聞岳は全山濃い緑に覆われている。

  
             登山口付近から仰ぐ開聞岳                       ここが登山口

  8:25、公園の外れにある2合目登山口に足を踏み入れる。空気がきりっと冷え乾いた陽気だ。到着以来、鹿児島の陽気に関東と大きな差は感じない。明るい芝生の公園から登山口に入ると、暗い雑木林の道である。登山道は、これ一本だけであり、山体をぐるりと一周するらせん状の道になっている。従って、急勾配は無く一定した傾斜の道である。

  3合目、4合目、と一定の間隔で標識があるので、目安がつけやすい。場所により、えぐれた深い溝の底を歩く。樹間から時折見える海は青く、明るい木漏れ陽が心地良い。7合目を過ぎる頃から、岩がゴツゴツ露出した道となり、次第に見晴らしが良くなる。東シナ海の大海原が目の前に広がり、島も見える。足元を見下ろすと、山の麓は直接波打ち際だ。

  大きな岩を渡る急勾配を頑張り、10:02、標高922mの開聞岳山頂に到着。絶景が待っていた。北方には昨日登った霧島連山と煙を吐く桜島、東には錦江湾を隔てた大隈半島、南と西は東シナ海の大海原が広がる。大海原に浮かぶのは煙を吐く硫黄島、その彼方に高峰が林立する屋久島、そして種子島も細長く横たわる。360度何の遮る物も無い。これほど爽快な山頂は、そうやたらには無いだろう。そしてこんなに大海原が真下に眺められる山も無い。

  
                     山頂から南洋上の左奥に屋久島、手前右に煙を吐く硫黄島を見る

  
         開聞岳山頂にて、奥に桜島も見える                     薩摩半島の海岸線

  数人居た先客は去り、山頂はしばらく私一人に貸切になった。麓を走り回ってようやく探したコンビニで買った弁当とビールをいただきながら春うららの山頂を楽しむ。時折、麓の学校か役場の放送の音が聞こえる。麓はのどかな農村である。

  下山を開始すると、すれ違う人が猛烈に増えた。グループや家族連れの他、数十人の団体も幾つかあった。山頂は大混雑するだろう。すれ違う人の姿は、正午過ぎに麓に帰着するまで絶えることは無かった。

     
                   下山後、国民宿舎かいもん荘露天風呂から見る開聞岳

  この日は国民休暇村指宿に早目に投宿。名物の砂かけ風呂も体験した。夕食時には、当地の焼酎、薩摩白波のお湯割りをしこたま飲み、朝までぐっすりと眠りこけた。
 

4月16日(月曜日)

【「月光の夏」を彷彿とさせる知覧見物し、帰京】

      
                   池田湖から仰ぐ開聞岳

  9:30に指宿を出発。を池田湖へ進め、湖面に映る開聞岳の写真を撮り、鹿児島へ戻る。

  かねてから行ってみたかった知覧の「特攻平和会館」に立寄る。平日なのに、年配者で賑わっていた。敵艦体当たりの特命を帯びて、この知覧から飛び立ち、海の藻屑と消えてしまった千数百名の若者の遺影と遺書が展示されている。

  オバさん達は、創作映画のヒーローでも見物している気分でぺちゃくちゃ喋りまくる。親父グループは、「特攻隊員は出撃前に一度くらい女を抱かせてもらったんやろか?」、「そりゃお国の為に命を捨てるんやから、一発くらいやらせてもらわにゃ、割に合わんよな!」と声高に下品に笑う。ここに来る人それぞれ、全く考えることが違うものだ。私は涙無しには見られない。

         知覧の特攻平和会館を訪れる

  遺影の特攻隊員は、この知覧から次々に飛んでいった。どこまでも明るく広がる大海原の眺めと春うららを私がのんびり楽しんだあの開聞岳を祖国の見納めに、あの上空を、彼らは死出の旅に出た。

  
                 鹿児島空港から見る霧島連山。一番高い主峰韓国岳と、右端が高千穂ノ峰
 

  指宿スカイラインをゆっくりと戻り、錦江湾展望台から桜島の噴煙を眺め、鹿児島空港へ戻る。空港からは霧島連山が大きく真正面に見えていた。大きな山体の韓国岳も、新燃岳も、高千穂峰も機嫌良く、一列に並んで飛び立つ私を見送ってくれた。■

 

【薩摩の山と温泉巡り行程】

2001年4月13日(金曜日)
入間13:10==15:00羽田空港16:00==(ANA627)==18:00鹿児島空港18:20===(レンタカー)===19:10霧島神宮温泉霧島ハイツ

2001年4月14日(土曜日)
霧島ハイツ8:15===8:40えびの高原韓国岳登山口(1240m)8:55---9:20五合目---9:45韓国岳(1,700m)9:55---10:40登山口===10:45えびの高原温泉11:10===11:35高千穂河原11:45---12:40高千穂峰山頂(1,574m)13:15---14:05高千穂河原14:15===14:35さくらさくら温泉15:20===15:50霧島高原牧園町営温泉16:15===18:00鹿児島市内温泉、グリーンホテル錦生館

2001年4月15日(日曜日)
鹿児島6:25===(指宿スカイライン経由)===8:00開聞岳登山口駐車場8:20 ---- 9:00 五合目 ---- 10:02 開聞岳頂上 10:55 ---- 12:10 駐車場 12:30===13:10開聞温泉13:45===14:00浜児ヶ水温泉14:20===14:50指宿駅前15:20===15:30指宿温泉、国民休暇村指宿に投宿

2001年4月16日(月曜日)
指宿9:30===10:00池田湖===10:35喜入八幡温泉11:10===11:35知覧12:20 ===(指宿スカイライン、鹿児島道)===鹿児島空港IC===14:20日之出温泉14:45 ===15:05鹿児島空港16:35===(ANA628)===18:10羽田空港===池袋20:06===20:50入間、帰宅

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