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Data No. 69

 データ:
 登頂日: 1999年10月23日
 標高 2,353m
 場所: 長野・新潟県境
 天候: 曇後晴
 登頂時の年齢: 45歳
 同行者: FKさん、MKさん

 


高妻山

 



【人知れぬ戸隠連峰の最高峰】

  高妻山を初めて自分の目で認めたのは、数年前に近くの飯綱山を登頂した時である。のこぎりの歯のような戸隠連峰の奥に、すっくとひときわ高くピラミッドのように聳える高妻山を初めて見て、そのスマートさに目を引かれた。

  戸隠観光に訪れる人で、戸隠山を知っていても、その戸隠連峰最高峰である高妻山を知る人は少ない。だって、全く見えないのだから。それゆえ、日本百名山に選ばれた山でありながら、一般の人々には知られぬ、不遇の山だ。

  最近の登山の定例メンバーになったFKさんとMKさんとの3名で、この山を目指し、10月22日の金曜日夜、車で戸隠キャンプ場へやってきた。そして、翌日の登山に備えて車中仮眠。

  はっきりしない天気予報であったが、10月23日朝の戸隠は晴れていた。緑の牧場の背後はすっかり秋色に染まった戸隠連山の岩峰が朝日を受ける。6:40、柵に囲われた牧場の中の道を出発。越冬の為、厩舎に入れられたのか、牧場に家畜の姿はない。

        
                                       早朝の戸隠牧場を出発

  牧場の終端から広葉樹林に入り、大洞沢に沿って登る。牧場を歩いている時には青空だったが、林の中に入ったら突然のように空気が湿っぽくなり、頭上は雲が覆い、朝露が木の葉にぽたぽた垂れる。やがて、それは朝露だけでなく雨が降っているのだと分かった。あまりに急な天気の変化だ。気持は暗くなったが、大降りはしないだろうから、登山は続行する。

  沢沿いの道は時折、岩場をトラバースしたり、滑滝を鎖で登る場所があったが、特に危険は無い。約1時間半で稜線の一不動小屋に到着した。こんな午前中から、小屋は大勢の熟年登山者が占拠している。

   鮮やかな紅葉が目を楽しませる

   不思議な山肌の模様 

  一不動から、稜線を戸隠山と逆の右側に進路を取る。稜線は白いガスに巻かれて景色は全く見えない。その白いガスの中に真っ赤に色づいた潅木が鮮やかだ。白樺の純白の幹、黄葉、橙葉など、山は錦秋を謳歌している。一不動を過ぎると、二釈迦、三文殊、四普賢、というように順番に石祠が現れる。これはどのくらい歩いたかの目安にもなり、有難い。8:55、五地蔵岳は1,998mの小ピークであった。

      五地蔵はまだまだ中間地点 

  この五地蔵岳からが辛く長かった。五地蔵岳を下るとアップダウンを繰り返すようになり、視界も利かず、目的地までの目安が分からない。地図にのっている「八丁ダルミ」は表示がなく気が付かず。9:35、「八薬師」を通過。やがて道は高妻の本峰らしき斜面を急登する。笹薮に埋もれた道で、しかも深い溝の底を歩くので鬱陶しい。目的は見えず、息も切れる。雨は上がったが、衣服は露でしっかり濡れた。その鬱陶しい藪道を登り切ったところが、大きな御鏡のある「十阿弥陀」で、ひとつのピークだが、まだ山頂ではない。宗教登山上の山頂ということか。本当の山頂はそこから更に数分僅かに降りて登り返したところだった。

    
           高妻山山頂にて                      山頂でのランチタイム 

  10:45、待望の高妻山、標高2,353mの山頂到着。ここは長野県と新潟県の県境に位置する。景色は全く見えず。しかし、頭上には時折青空が広がる。岩がゴロゴロしている山頂の風の当たらない岩陰で昼食会をする。天気がどうであれ、登頂祝の飲食は欠かせない。寒い山頂では、熱い料理が一番だ。

  約一時間待ったが、天気の変化はゆっくりすぎて、諦めて下山にかかる。鬱陶しい往路をそのまま戻る。この山も「昭文社」地図のコースタイムがおかしい。誰にも越されず歩いた我々が標準コースタイムをかなり上回っている。登山地図の製作者は、こういう人の安全に関わる情報について、もっと慎重な実地調査と検証が絶対に必要だ。

     天候は次第に回復する

  下って行くにつれてガスが次第に晴れた。しかし振り返っても、高妻本峰の中腹は見えているものの、山頂はなかなか姿を現さない。高妻山頂は見えないのに、全く思いがけず、遠く北アルプスの白馬三山が雲の合間に姿を覗かせた。北アルプスの稜線は既に雪化粧していた。

  14:00、一不動小屋到着。ここで小休止している間に、ようやく高妻山がその全貌を青空の下に現す。小屋反対側の高みに登り、その姿を写真に撮り、しばし見惚れる。見事なまでに左右の均整がとれたピラミダルな山容は秋色に彩られ、一幅の絵画のよう。山頂からの景色は見られなかったが、この「絵画」を鑑賞できたことで、何となく満足してしまった。

    
                      一不動にて、初めて全容を現した高妻山

  狭い一不動小屋は今晩は大変な混雑になる。先客が既得権を奪われまいと、入り口に背を向けて大勢寝そべっている。この時点で既に満員だ。小屋の中に便所が無いので小屋の裏側に回ってみたら、思わず「うわっ」と声を上げたほどにティッシュペーパーがそこいら中に白く散乱していた。全くひどい。こんな小屋に泊まる計画をせず、本当に良かった。

  戸隠キャンプ場への下り道にかかると再び小雨が降り出した。全くおかしな空模様だ。稜線の東側が雨天、西側が青空と線引きされている。下山中、熟年オバさん達が鎖場で思い切り渋滞させていた。そのリーダーの熟年男は道を譲ろうとするどころか、越されるのがイヤなのか、オバさん達に「急げ」と急き立てる。何てひどいリーダーだ。最近は本当にこんな常識外れ、かつ無知な熟年登山者が増えた。しかし、ここは逆にリーダーより、オバさん達の方が良心的で、道を譲ってくれた。

  渋滞していた鎖場の下りでは、昔正式な岩場の訓練を受けたMKさんの技術がひときわ目立った。順番待ちをしている間、うしろからMKさんの鎖使いを見て、「うまいね!」という声が上がる。その後で見劣りがしないように、私もFKさんもきちんとまねをして下る。

  下山中に夥しい数の登山者とすれ違った。皆、時間と装備から判断するに、あの一不動小屋に泊まるつもりではないか。だとしたら、苛酷な一夜を過ごすことになる。この寒い季節に、狭い小屋の中は既に先客でしっかりと占領され、あの人数では横になれるスペースなどは絶対確保出来ない。かといって糞尿にまみれた屋外で過ごすこともままならぬ。あぁ〜想像するだけでイヤだ、イヤだ!

  15:30、戸隠キャンプ場に帰着。空は再び青空。あの沢沿いの樹林帯だけが小雨模様だったのだ。この日は何処か秘湯の宿にゆっくり泊って、翌日帰ろうかと思っていたが、各所に電話したものの全て満室。仕方なく、「いいやま湯滝温泉」で汗を流し、十日町でへぎそばを食べ、関越道を飛ばして夜遅く帰宅。

  忙しい一日だったが、山旅の最後になって、ようやく秋色に彩られた美しい姿を見せてくれた高妻山を思い出しながら、家で酒飲んで、ゆっくり眠ることにしよう。■

 

高妻山登山行程

1999年10月22日(金曜)
入間20:30==20:45FK宅==小手指駅21:00===(川越、関越道)===須坂長野東IC===(戸隠バードライン)===0:45戸隠キャンプ場到着、車中仮眠

1999年10月23日(土曜)
キャンプ場6:40---(1:25)---8:05一不動避難小屋8:10 --- (0:45)--- 8:55五地蔵岳 ---(0:40)--- 9:35八薬師--- 10:45高妻山山頂(2,353m)11:50 ---(2:10)--- 14:00一不動避難小屋14:45 ---(1:15)--- 15:30キャンプ場15:50===R18,豊野==中野==17:50いいやま湯滝温泉18:50==(R117)==19:30十日町、由屋(へぎそばの夕食)20:30 ==六日町、関越道==23:15新所沢駅==23:25FK宅==23:45入間、帰宅


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