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Data No. 68

 データ:
 登頂日: 1998年10月3日
 標高 2,475m
 場所: 山梨・埼玉・長野県境 (奥秩父)
 天候: 晴れ
 登頂時の年齢: 44歳
 同行者: FKさん

 

甲武信岳

 



【甲武信岳という名前の思い出】

  甲武信岳(こぶしだけ)という山の名は小学生の頃から知っていた。おそらく、富士山を除いた日本全国の一級山岳の中で一番最初に覚えた山の名前であろう。その頃は故郷の苗場山さえ知らなかった。それというのも、故郷の越後、十日町市を流れ、新潟市で日本海へ達する日本一の大河「信濃川」が、甲武信岳に源を発するのだと小学校の授業で教わったからだ。「こぶしだけ」という名前も、とても印象的な名前だった。また、槍穂高連峰に源を発し、上高地の梓川を流れる水も犀川と名前を変え、善光寺平で信濃川(千曲川)に合流する。

  その信濃川は、毎年春の雪解けの季節には中部山岳の山々の雪融け水が奔流となり、秋の台風で信州に被害が出た時などは、翌日にりんごの実が沢山流れてきたという。故郷に信州の、アルプスの香りを運び、越後の日本一の穀倉地帯を潤す「信濃川」は、私自身にも極めて縁の深い大河だ。また、甲州(山梨県)、武州(埼玉県)、信州(長野県)の接点にそびえるこの山は、稜線の北に流れる水は日本海へ、南に流れる水は太平洋に注ぐという分水嶺でもある。

  そんな甲武信岳に、年齢44歳にもなってから、ようやく登頂が実現した。
 

【信濃川の源流を訪ねる登行】

  金曜夜、FKさんと車を飛ばし、佐久を経て、信州川上村の高原野菜畑の中の道を縫い、深い森の中、漆黒の闇の登山口「モウキ平」に到着して車中仮眠。

  晴れという予報ながらも早朝の森は白いガスに覆われていた。全く奥秩父の特徴そのものの、鬱蒼とした場所だ。7:15、甲武信岳に向けて出発。

      信濃川源流をたどる甲武信岳への登山口、モウキ平

  行きのコースは、信濃川(「信濃」の人は「千曲川」と呼ぶのだが、私個人は「信濃川」に統一する)源流をたどる。深い森の中に伸びる林道を歩き始めると、ほどなく飛沫をあげながら、かなりの水量で駆け下る沢沿いの道になる。川幅はかなり広く、勢いもすごい。沢沿いなので、登りは決して急ではなかったが、いつまでも暗い道は続いた。林道はやがて終わり、本格的な山道になる。変化の乏しく鬱陶しい道ながらも、時折沢の流れに近付くと、飛沫を白く吹き上げながら一枚岩を流れ落ちる滝があったり、その美しさにいくらか気がまぎれる。源流はどのくらい先なのだろう。この流れは元気が良過ぎて、水量もたっぷりで、とても源流と呼べるような、つつましさを持っていない。

  およそ2時間半も登った頃、暗い林の中に「千曲川・信濃川水源」という丸太の立て看板があった。沢からは離れた場所であるが、まだまだ流れる水の勢いは強く、どうどうと音を立てている。しかるに本当の源流は更にこのもっと上のはずだ。しかし、登山道が近付ける限界の場所ということなのか。ちょっと拍子抜けの感もあるが、まあ、これで念願の信濃川源流探訪を達成したことになる。

     
          信濃川源流標識の前で                   源流といえども、水は豊富で流れも速い)

  今ここを流れる水は、何日後に故郷を流れ、その何日後に日本海に注ぐのだろう。海に注いだ水は、やがてまた水蒸気となり雲を作り、季節風に乗って山に当たり雨や雪を降らせ、また川となって流れ下る。永遠に続く大自然の営みを、そこはかとなく想像する。

  源流標識を境に沢から離れた道となり、傾斜も増してくる。そこを頑張ってしばらくで、ようやく稜線に出た。そして甲武信岳の山頂へと続く赤っぽい岩だらけの斜面が見えた。山頂はもうすぐだ。

    稜線に出て、甲武信岳山頂を目指す

  そこを過ぎようとする時、休憩していた老夫婦がひどく慌てて我々の直前に出発した。何を張り合おうというのか。岩の急斜面になったらご主人が遅れ気味で、我々に追い越されたが「こんにちは」と挨拶をくれた。しかし、婆さんの方は旦那様を待たず、我々に追い越されまいと一人ですたすた先を歩く。当然のことながら、私は婆さんを、息も乱さずに追い越したが、婆さんは口惜しいのか無言。最近はこんな変な老人が山に増えた。

  急斜面を登りきると、標高2,475mの甲武信岳山頂だった。10:20。上空は快晴である。

    甲武信岳山頂にて

 
                     甲武信岳山頂から奥秩父の核心部、金峰山方面を見る

  稜線をたどった西方には金峰山の五丈岩が目立つ。しかし、その他の山は、はっきり言ってどれが何山か分らない。どの山もあまり特徴が無く、山頂まで鬱蒼とした樹林帯に覆われた山々がどこまでも連なる。これが奥秩父なのだ。どれが何山でも構わない。深い深い原生林に覆われた重畳たる山々。人間生活とは無縁の太古から変わらぬ山々。人間の手で変えてしまってはいけない大自然なのだ。その原生林は針葉樹が多いのだが、その中に秋色に身をまとった落葉樹林も彩りを添える。

       
                         これからたどる三宝山方面

 

【埼玉・長野の県境稜線を縦走】

  山頂は狭く、昼食には早いので、埼玉・長野の県境稜線を縦走して十文字峠を目指す。埼玉県と長野県が県境を接しているなんて、聞いたらビックリする人も多いだろう。

  甲武信岳を急降下して、ゆったりした坂道を登り返すと三宝山(2,483.3m)。甲武信岳より山体がゆったりとして、はるかに大きく、標高も凌ぐが、名山と呼ばれない不遇の山だ。ここから甲武信岳を望むと、意外と小さなピラミッド形の山であり、決して周囲の山に比べ標高が抜きん出た山ではない。深田先生が、周囲の標高の勝る山をさておき、甲武信岳を百名山に選んだのは、やはりその信濃川源流として、分水嶺としての重みからなのか。

  
       三宝山から甲武信岳(右)を望む                          巨大な尻岩

  それ以降、人の姿はパタリと途絶えた。他のハイカーを見ることもまれであった。確かにアルプスに比べれば魅力は乏しいが、季節になれば石楠花が見事な山域であろう。大自然の造形にも驚かされる。でっかいお尻の形をした「尻岩」、そして「武州白岩山」は、おとぎ世界の魔王の山の如く奇怪な姿を見せる。そして、最後に「大山」というピークを踏むのだが、展望はこれまでで一番の場所なのに、標高の表示さえ無かった。

  急坂を下ると、静かな十文字峠だ。居心地の良さそうな木造の十文字小屋があり、その周囲にベンチとテーブルがある。森の中なので、展望は利かない。小屋でバッヂを買い、屋外のテーブルで遅いランチタイムとする。13:35〜15:00、全く他の登山者の居ない十文字峠で、熱い料理を作り、ビールとワインを楽しむ。初夏にはシャクナゲの名所で、ハイカーで賑わうそうだが、今日は全くの静寂境だ。小屋の管理人も手持ち無沙汰の様子。こんな静かな山小屋に泊まって、ランプの下で酒でも飲みながら人生について語り合うなんて、楽しい思い出になるかも。

   
         奇怪な姿の武州白岩山                     静寂そのものだった十文字峠でランチタイム

  ほろ酔い気分で十文字峠を後に、モウキ平への急坂を下る。当初は逆コースを考えていたが、この急坂を往路に登っていたら、ずっと辛い思いをしただろう。ウンザリするほどにいつまでも下り続けた後、信濃川源流の西沢に出て、ほどなくモウキ平に帰着。16:15だった。

  帰路は、来るときには暗くて見えなかった高原野菜畑を見物し、川上村の湯沼鉱泉で山の汗を流し、さっぱりとした気分で帰路のハンドルを握る。

  結論として、他の奥秩父の山々同様に、甲武信岳という山自体に、特別大きな魅力は感じなかった。しかし、同行のFKさんの評価は分らないが、私自身としては、子供の頃からその名前を知り、決して忘れたことの無い「甲武信岳」を登頂し、ふるさとを流れる大河、信濃川の源流を、中年になってからであるが、初めてこの目で見たことに、えもいわれぬ充足感を味わった。■

 

甲武信岳登山行程

10月2日(金曜日)
入間20:20===FK宅===(関越・上信越道)===佐久===1:00川上村モウキ平

10月3日(土曜日)
モウキ平7:15---9:40信濃川源流標識9:45---10:00稜線---10:20甲武信岳山頂(2,475m)10:30---11:10三宝山(2,483.3m)11:20---12:25武州白岩山取付き点---13:05大山---13:35十文字峠(2,020m)15:00---16:15モウキ平16:20 ===16:50湯沼鉱泉入浴17:40===(往路を戻る)===20:30狭山の蘭で夕食21:20 ===FK宅===22:00入間、帰宅

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