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Data No. 66 & 67

 データ:
 登頂日: 1998年8月6日〜8日
 伊吹山標高 1,377m (岐阜・滋賀県境)
 焼岳標高  2,458m (岐阜・長野県境)
 天候: 晴れ
 登頂時の年齢: 44歳
 同行者: FKさん、MKさん

 

伊吹山

上高地焼岳

 


8月5日(水曜)〜6日(木曜) 

いざ伊吹山へ】

  西穂高岳を目指して8月5日夜に出発したが、中央道を走りながら、天候のすぐれない北アルプスは敬遠して、関ヶ原の伊吹山へ行ってみないかと同行の二人に提案したところ、了承してもらった。

  岡谷JCTから名古屋方面に進路を取り、春日井で名神道に乗り、深夜の関ヶ原ICで下りる。料金所の係員に「いぶきさんドライブウェイは、朝何時から通れますか」と訊いたら、「えっ?...ああ、いぶきやまね。今は24時間営業です」との返事。このクソ暑い真夏に、どこで夜を過ごそうかと悩んでいたので、一気に山頂へ行けるなら、涼をとりながら眠れそうだ。

  私自身、この伊吹山は、過去2回ドライブウェイ入口まで来て、2回とも通行止との案内に、がっかりしてUターンした。最初は白山を目指したとき、そして2度目は奈良の大台ケ原を探訪した後のことだ。二度とも「ついでに」という気持がいけなかったのか。ようやく三度目の正直で、ついでではなく、本来の目的地としてドライブウェイから山頂を目指す。通行料金は\2,750.-と高額で驚いた。

  伊吹山ドライブウェイはびっくりするほど長い山岳道路だ。急勾配は少なく、緩いカーブを描きながら延々と続く道だ。高度が上がるに連れて麓の夜景が星をちりばめたようにまたたく。この夜景を見てもらうために24時間営業しているらしい。午前2:00、山頂駐車場に到着。素晴らしい夜景が待っていたが、今自分がどちらの方角を向いているのか、分からない。公衆トイレと自販機の置いてある粗末な小屋があった。猛暑の下界での車中泊を避け、涼しい山上で眠れるのが嬉しい。

 

【思いがけない花畑と遭遇】

  夜が明けると、上空はぼんやりとガスがかかっていた。予報ほど天気は良くないのか。しかし、折角有料道路を登ってきたので、7:00過ぎに山頂ハイキングコースに足を踏み出す。するとガスは次第に晴れて、青空が広がり、夏の日差しを浴びるようになった。

  
                    山の斜面は一面の花畑!                      ピンクのシモツケソウ

  この山には大した期待をしていなかったが、ハイキング・コースを登りながら、思わず目を見張った。緩やかな草原が一面ピンクの花の絨毯なのだ。「シモツケソウ」という花だ。良く見るとピンクの花ばかりではない。鮮やかな黄色、紫、白の数々の花が途切れることなく山頂草原を埋め尽くしている。びっくりした。簡単に登れる名山だからと、大した予備知識も無く来たのだが、こんな見事な花の山だったとは。アルプスの稜線に咲くような小ぶりの花々ではなく、比較的背の高い大柄な花が多いのも、この標高ならではか。カメラのシャッターを次から次へと切る。

       
                             伊吹山頂の花畑

      
                                              トラノオ、山ユリなど様々な花が咲き誇る

      

  土産物屋と日本武尊の石像の立つ標高1,377mの山頂に、8:00到着。この一角のみは露岩に覆われていた。ここで下界を眺めながら朝食休憩。足元を見ると新幹線や高速道路が走り、工場群からは煙が上る。下界は霞みがちで早くも真夏の暑さにうだっている。下界は、全て人間の手が加えられた世界。その下界を見下ろす、この花に囲まれた山頂は、何と言う別世界だろう。

        日本武尊の銅像がある伊吹山頂上

  途切れることの無い花畑を周遊する道を駐車場に下る。車の数も人の数も増えたが、平日の午前中ということもあり、静かな雰囲気を楽しめた。簡単に登れる山だけに、心無い人々に貴重な自然を汚されないことを切望する。

         ドライブウェイから伊吹山を振り返る

  下山後は関ヶ原古戦場を見物し、兵(つわもの)どもの夢の跡を想像する。そして郡上八幡で昼食後、奥飛騨に向かう。今晩から明日にかけては雨の予報。従って、明日も北アルプスの登山はあきらめ。この日は白川郷の平瀬温泉「ふじや旅館」に投宿。女性経営者ならではの心のこもった数々の夕食料理には感激したが、温泉浴場で、湯がゴムホースから流れ出るのは興ざめ。夜半から激しい雨になった。

 

8月7日(金曜)  【飛騨白川郷探訪】

  夜半からの集中豪雨で、昨日通って来たルートで洪水や土砂崩れ発生とのニュースに驚く。出発の9:30頃も、ザーザー音を立てて降り続いていた。しかし、昼頃に天気が回復するとの予報に期待し、合掌造り集落見学のため、平瀬温泉の更に奥へ車を走らせる。

  白川郷荻町というところが、世界遺産に指定された合掌造りの集落であり、駐車場から橋を渡って行くと4層、5層にもなった合掌造りの家屋の林立する地区に出る。観光客の姿が多い。そして土産物屋だらけであり、すっかり観光地稼業に徹している。これは少しガッカリ。

  合掌造りの家に入ってみる。内部は故郷で見慣れた農家の雰囲気と変らず、懐かしい。窓から下を見下ろすと、故郷の農家には決して無かった「高度感」にびっくり。雨はやがて上がり、真夏の太陽がぎらぎらと照り出す。集落をあとに、車で展望台に登ってみる。そこで初めて、本来の「農村」としての合掌造り集落の景観を見た。上から見下ろす限り、通りを闊歩する観光客や土産物屋は見えず、緑の水田に囲まれて、眠ったように佇む村の、のどかな景観に、私は心の癒しを感じた。

   
                          荻町の合掌造りの集落を散策

  明日は好天との予報に、焼岳登山を、皆で合意する。ハイシーズンで宿泊施設はほとんど満室だったが、何とか途中の旅館案内所で平湯温泉の宿を紹介してもらう。15:00早々に「中村館」に到着し、FKさんと露天風呂で冷たいビールを飲みながら、のんびりと午後の時間を過ごす。

  この日から群発地震がこの地で勃発した。到着直後から時々、ドーンと地面から突き上げられるような音とショックを感じていたのだが、テレビを見ても何も出ない。MKさんが心配してフロントに電話をしたが、「さあ、焼岳の活動でしょうか」という物騒なコメント。まさか、すぐ噴火につながることも無いだろうが気持良いものではない。この群発地震は、我々が帰った後に、もっと激しくなり、夏の間続いた。
 

8月8日(土曜)  【上高地焼岳を登頂】

  15,000円も払った宿で、勿体無いことだが、朝食は前夜のうちにおにぎりを用意してもらい、5:45に旅館を出発。新穂高方面に進路を取り、中尾温泉から林道を分け入った焼岳登山口に6:15到着。

  天候はまずまずだ。登山口には「焼岳は活火山です」という、山が真っ赤な火を噴いた恐ろしげなイラスト付の立て看板が登山者に注意を促す。この山は、数年前まで火山活動の為に長年登山禁止となっていた。今は規制が解除されたとは言うものの、昨夜来の地底からドーンと突き上げる群発地震を体験すると決して心は平静ではない。

         
                                              登山口から仰ぐ不気味な焼岳

  登山口からは焼岳の岩だらけの頂上が顔を覗かせていた。しばらく林道をたどり、やがて樹林帯の中を登る。久しぶりの本格的な登山なので、なかなか辛い。しかし、高度を上げて行くに連れ、背後の谷を隔てた対岸に、笠ヶ岳が、その姿を天空に突き上げて行く。途中の岩陰を覗くと、ヒカリゴケが小宇宙のように地中で光を放っているのが神秘的だ。

  やがて樹木の背丈は次第に低くなり、低い潅木帯の中に枯れ木が林立する光景が現れる。枯れ木は焼岳の噴火熱によるものか。北アルプスの他の山には無い独特の光景だ。

  
        焼岳の奇怪な岩峰が迫る                        飛騨の笠ヶ岳が次第に対等の高さに

  新中尾峠の焼岳小屋への道を左に見送り、しばらく登ると稜線に出た。そこで久しぶりに穂高岳と対面する。周囲のどの山よりも高く、周囲のどの山にも無い岩の鎧をまとったその姿は気高く豪快である。その穂高岳の麓に目をやれば、上高地の森と、その中央を貫く梓川の清流、そしてこの焼岳の噴火によって堰き止められて出来た大正池が一幅の絵画のよう。

  
                                              
     素晴らしい穂高連峰の雄姿

  仰ぐ焼岳は緑の笹原の上に奇怪な溶岩ドームをにょっきりと突き出し、各所から噴気をたなびかせる。ここからの登りはかなり急になりそうだ。先を歩くハイカー達が蟻のように緑の斜面にうごめいている。

     
                            焼岳本峰の登りにかかる                         噴気が上がる山頂直下

  長年登山禁止だった山だけに、登山道は決して良く踏まれていない。山頂直下の溶岩だらけの斜面では、足場も悪く、覆い被さるような岩が冷や汗を誘う。登山道のすぐ傍らの岩の隙間からも白い噴気が立ち昇り、岩を黄色く染める。山頂から下ってきた熟年男性の話では、山頂にいた時にドーンと下から突き上げる地震があって、今にも噴火するのではないかという恐怖を味わったとのこと。我々はずっと息を切らして歩いていたので、地震に気付かなかったが、ぞっとする。

  
               焼岳山頂の旧火口                              槍ヶ岳をズームアップ!

  9:45、標高2,455mの山頂に到達。山頂部は大きな旧噴火口が開いていて、その底には池があった。活火山であるこの焼岳の地質は頑丈ではなさそうだ。大きな地震が来ないことを願って周囲の展望に目をやる。圧倒的に穂高岳の姿は偉大だ。その背後には槍ヶ岳の姿もある。笠ヶ岳の姿も凛々しい。南方には乗鞍岳の大きな山体がどっしりと聳る。

  稜線の飛騨側はガスが湧き出してきたが信州の上高地側は晴天のまま。不気味な山頂だったが、MKさんが剥いてくれたナシが乾いたのどにものすごく美味しい。

                  
                         長居をする気になれなかった焼岳山頂にて

  やはり火山は恐い。山頂の憩いはそこそこに安全地帯へ下る。噴気の湧く山頂部を下り、先刻の稜線に出た箇所から更に北に進んだところが焼岳展望台だ。以前登山禁止の時には、ここまでしか来られなかった場所だ。山頂にガスが湧き出した焼岳を眺めながら、ようやく腰を落ち着けて昼食休憩。その後、焼岳小屋を経由して帰路につく。幸い、この山行中に大きな地震には遭遇しなかったが、数日後に震度5の揺れがあって上高地側の登山道が一時閉鎖されたらしい。

        
                                       焼岳展望台でやっとゆっくりとランチタイムを楽しんだ

  焼岳小屋で登山記念バッジを購入。この小屋の管理人が昔焼岳が噴火の際に、大怪我をしながら、命からがら麓に逃げ下ったという話を読んだことがある。ここから山頂はかなり遠くに感じるのだが、ひとたび大自然が牙を剥けば、想像を絶する阿修羅の世界であり、人間なんてほんのちっぽけなものであろう。

     中尾温泉露天風呂で山の汗を流す

  往路を下り、13:30、中尾温泉に帰着。その後、キャンプ場の温泉露天風呂で汗を流し、完成したばかりの安房トンネルをくぐって帰途につく。近畿の山、奥飛騨白川郷、そして北アルプスの山と、奇妙な組合せの旅行だったが、ま、こんなのもたまには良いか、と妙に満足しながらハンドルを握る。■
 

伊吹山と白川郷、上高地焼岳登山ツアー行程

1998年8月5日(水曜日)
入間19:30===20:05小手指駅===(中央道)===春日井===(名神道)===関ヶ原===(伊吹山ドライブウェイ)===2;00伊吹山山頂駐車場

8月6日(木曜日)
駐車場7:00---伊吹山山頂ハイキング・コース周遊---10:00駐車場===10:30関ヶ原合戦場見学11:00===13:00郡上八幡14:00===16:00白川郷、平瀬温泉「ふじや旅館」に投宿

8月7日(金曜日)
平瀬温泉9:30===10:00白川郷荻町合掌造り集落11:00===15:00新穂高温泉郷、平湯温泉「中村館」に投宿

8月8日(土曜)
平湯温泉5:45===6:15
中尾温泉焼岳登山口6:30---9:45焼岳山頂9:55---10:30焼岳展望台で昼食11:30---焼岳小屋---13:30中尾温泉登山口===13:40中尾温泉キャンプ場露天風呂14:30===(松本、中央道)===19:30八王子===(途中で夕食)===21:10小手指駅===FK宅===21:50入間、帰宅

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