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 Data No. 63

 データ:
 登頂日: 1995年10月7日
 標高 2,132m
 場所: 福島県
 天候: 晴れ
 登頂時の年齢: 41歳
 同行者: FKさん、MOさん


会津駒ケ岳

 


10月6日(金曜)〜7日(土曜)

【いざ紅葉の会津へ】

  金曜夜、東北道西那須野塩原ICを経て奥会津に向かう途中、栃木・福島県境付近で警察の検問があった。オウム真理教の逃走犯を張っているらしい。この辺の山奥に逃亡している可能性があるのか。行き先を聞かれ、尾瀬だと答えると、今日は雪が降ったから寒いですよ、との忠告をいただく。雪といっても、この秋の真っ只中だから大したことは無いだろう、とこの時には思っていた。

  日付の変わる頃、ようやく桧枝岐に入り、会津駒ケ岳の滝沢登山口駐車場に到着。寒さで歯をガチガチ鳴らしながら、後部座席を平らにして、寝酒を楽しみ仮眠。
 

【思いがけぬ雪見登山】

  5:30、目が覚め、軽食を済ませ、6:10、我々も山に向けて出発。近々、秋季国体の山岳競技が行われるようで、登山口には「のぼり」が立っていた。天候は良好。

  会津駒ケ岳の登山口にて  

  ブナ林の中をジグザグに急登する。紅葉はこの付近では、ようやく始まったばかりという感じ。鬱蒼とした樹林帯の中の登りはしばらく続いた。

  水場標識の場所まで約1時間15分。紅葉がきれいになってきた。やがて、アオモリトドマツの林になり、樹間から白い稜線が見えた時には、思わず驚きの声を発してしまった。昨夜の警察官の言葉は本当だった。山頂は完全な銀世界だ。登るに連れ、木々の背丈は低くなり、遠望が利く。ひときわ高い尾瀬の燧ケ岳が、均整のとれた裾野をひき、山頂付近を白く化粧して、一幅の絵のように美しい。

          雪化粧の会津駒ケ岳

  やがて傾斜が緩み、木道の敷かれた湿原に出る。雪の厚みが次第に増す。右手にはこんもりとした会津駒ケ岳の山頂が、すっかり冬の佇まいで姿を現し、木道の行く手には駒ノ小屋も見えてきた。今回は紅葉見物のつもりだったが、まさか雪見登山になろうとは思っていなかった。困ったのは、木道が雪でつるつる滑ることだ。水平な場所は良いが、坂道はかなり危険だ。   

  稜線に出た場所にある駒ノ小屋の前はベンチとテーブルが沢山あって絶好の休憩場所だが、取りあえずは山頂に立とう。駒ノ池を回り、山頂へ向かう木道を進む。この付近は明るい草原だが、冷え冷えと雪化粧していた。木道上の雪は、気温が低いので堅く締まっているので多少歩き易くなったが、これが解けた後の下りが怖そうだ。

   駒ヶ岳から中門岳方面を望む

   会津駒から燧ケ岳を望む   


  山頂付近はアオモリトドマツの針葉樹林帯であり、樹木はすっかり雪をかぶり、クリスマスデコレーションのよう。雪の重みで垂れ下がった枝を腕で避けながら、階段を登りつめると待望の会津駒ケ岳山頂(標高2,132m)であった。午前9:20。三時間十分の苦労が報われる。樹木に覆われた山頂は360度のパノラマという訳には行かず、尾瀬の燧ケ岳方面だけ視界が開けていた。燧ケ岳の背後は日光連山だ。

    会津駒ケ岳山頂にて  


  山頂は寒過ぎるので、中門岳方面に一旦下る。山頂を僅かに下ると樹林帯が消え、のびやかな中門岳へ続く稜線が見渡せる。歩いている人々が蟻のよう。この稜線一帯は、高山植物の宝庫だと言うが、今は白一色の世界。しかも、木道はきわめて滑りやすく、先を歩いている人々がスッテンコロリするのが良く見えた。と思っていた矢先、私の後ろから「わぁっ!」という叫び声と同時に、ドスンと木道を揺るがすショックに振り返ると、FKさんが尻餅をついていた。転んだ瞬間に手を突いてしまったようで痛そう。そのせいか、中門岳に足を伸ばそうという提案には、彼が真っ先に反対した。

  駒ノ小屋への分岐点付近に格好のベンチがあったので、そこで昼食宴会を催す。足元に奥只見湖の湖面が光り、平ヶ岳をはじめ、会越国境の山々を望める絶好の展望台だ。寒さを堪えつつ、ビールとワインを飲み、焼肉、野菜炒め、スープなど身体の温まる食べ物を楽しむ。陽が射すと別世界のように身体が温まるが、太陽が雲に隠れると、ストーブを消したように直ぐ冷える。そんな場所で、かれこれ2時間も昼餐を楽しんだ。

     下山路は、かなり雪が融けていた

  帰路は、山頂を巻く道を小屋へ下る。樹木に積った雪が融け、雨のように雫をザーザーと落とし、襟首から冷たい雫が侵入するので、逃げるように駈け抜けた。幸い、ゆっくり昼餐を楽しんでいる間に、木道上の雪はすっかり融けて滑る心配はなくなった。しかし、木道の道が終わり下界が近付くと、朝は凍って硬かった土がぐちゃぐちゃに融けて不快なぬかるみを延々と歩く。

   麓に近付くと、ようやく紅葉の世界になる  
 

【奥会津の快適な宿の一夜】

  この季節の雪は融けるのも早い。登山中には真っ白だった山頂は、下山中に見ると、緑の草原に、すっかりと衣替えしていた。往路をそのまま下り、14:00に滝沢登山口帰着。桧枝岐部落に下り、14:40に民宿「松源」に投宿。

  陽の高い内に宿に落ち着き、温泉を楽しんだ後の夕食が、大いなる楽しみ。ここの夕食の嬉しいのは、料理が一度に並ぶのではなく、作り立ての温かい料理がその都度運ばれてくることだ。山菜と山椒魚のてんぷら、骨まで食べられるほど良く焼いた岩魚の塩焼き、鹿肉と茸のホイル焼き、はっとう、蕎麦の吸い物、などがたっぷりと一時間半をかけて賞味出来るフルコースなのだ。ちょうど良い頃合で料理が出てくるので、お燗酒が進む。その夜は、疲れと酔いでぐっすり眠る。

10月8日(日曜)

  翌朝は雨。我々の到着前日は雪が降り、今日は雨。昨日一日だけの好天だった。幸運に感謝。マイタケご飯の朝食もとびきり美味しい。4連休のまだ二日目なので気持ちのゆとりが全然違う。ゆっくり休憩し、チェックアウト時間ぎりぎりに帰路につく。

  ここ桧枝岐は、その昔は凶作が続くと、生まれてきた子供を養えず、口減らしを余儀なくされた山奥の寒村であった。その供養として、着物を着せた水子地蔵が村の道路沿いに祭ってある。それが、尾瀬の観光が脚光を浴び、浅草からの鉄道も会津に延び、マイカーや大型観光バスが列をなし、老若男女を尾瀬に運ぶようになると、この寒村は見違えるように大勢の人々が闊歩する土地になった。それでも、他所の観光地と違って、ここに住む人々が俗化されず、素朴な人情が残り、伝統を大切にしているのが嬉しい。群馬側の尾瀬の登山口より、こちらの方が私の肌に合う。

  ひとつひとつ、目標としていた山々が私の登山歴に記されるのは嬉しい。もっともっといろんな山に行ってみたい。しかし、素晴らしい思い出の地は、また訪れてみたいもの。桧枝岐は尾瀬の行き帰りに、何度訪れたことだろう。最後に残った会津駒ケ岳を登ってしまった後、さしあたっての目標は無くなったが、この民宿で美味しい料理を食べに来るだけでも、決して悪くはない。■

 

会津駒ケ岳登山行程

1995年10月6日(金曜)
入間20:45==小手指21:15==(外環道、東北道)==西那須野塩原IC==1:30桧枝岐

10月7日(土曜)
滝沢登山口6:12---7:25水場7:30---8:50駒の小屋8:55---9:20会津駒ケ岳山頂9:30---9:40中門岳分岐点付近で昼食11:30---11:45駒の小屋---12:42水場12:55---14:00滝沢登山口14:10===14:40桧枝岐、民宿松源に投宿

10月8日(日曜)
桧枝岐9:15===9:20アルザ尾瀬の里10:00===11:40会津田島で昼食12:40=== 14:00 中三依温泉14:50===18:30大泉学園19:30===20:30小手指===21:00入間、帰宅

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