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Data No. 30

データ:
登頂日: 1987年11月22日
標高 1,672.7m
場所: 神奈川県
天候: 快晴
登頂時の年齢: 33歳
同行者: 単独行

 

丹沢山

(丹沢主稜縦走)

 


11月21日(土曜) 
【沈む太陽に急かされ、丹沢の稜線へ駆け上る】

  寝坊して家を出るのが遅くなった。丹沢の表玄関、大倉バス停に降り立ったのは既に13:30だ。こんな時間でも、これから登ろうというハイカーが数人居た。日が暮れる前に山小屋に着こうと早足で出発する。

      
                    これから登る丹沢、鍋割山稜を見上げる

  今回は丹沢主稜縦走だが、大倉尾根を真っ直ぐ塔ヶ岳には登らず、鍋割山経由で行く。大倉から畑の中の道をたどり、四十八瀬川に沿った林道を延々と歩く。この付近は表丹沢県民の森だ。50分で二俣に到着し、「鍋割山近道」という道標に従い、進んで行くと、火事で焼けたのかわざと取り壊したのか無残な山小屋の跡があった。またしばらく行くと、「登山訓練所」があるが、人の気配全く無く不気味。

  漸く山道らしい登りになった。単調な林の中の長い登りの末、草原状の山稜となり、頂上が近付いたと期待した。しかし、頂上と思った高みはそうではなく、更に奥に再び登りが控えていた。二回ほどそのような思いをして、16:02鍋割山到着。カヤトに覆われた広い山頂だ。快適そうな山小屋があって、煙突から夕餉の支度の煙が里心をくすぐるように上がる。夕日にシルエットになった富士山が美しい。いっそ、この小屋に泊ってしまおうかと思ったが、明日の行程を考えると、やはりもう少し先に進みたい。沈みかかる太陽に追われるように塔ヶ岳へ急ぐ。

  
         鍋割山頂上にて                         一夜を過ごした塔ヶ岳山頂の尊仏山荘

  鍋割山稜と呼ばれる尾根道を、ミズヒの頭、本沢の頭、小丸、大丸など幾つものピークを乗り越えながら進む。鍋割から凡そ45分で大倉から直登の道と合流する「金冷し」に出る。もう真っ暗になる寸前。懐中電灯を出すのも面倒なので、足元に注意しながら登る。そして塔ヶ岳山頂の尊仏山荘の灯りが見えた時は心底ホッとした。新館が完成し、立派な小屋になっていた。この日、新館は満員とのことで旧館に案内される。私は自炊予定なので、気楽に過ごせる旧館で充分だ。土間の真ん中に温かいストーブが燃えている。

 

【忘れえぬワイン・パーティ、満天の星空と夜景】

  梯子を上った部屋の一番隅に寝場所を確保し、土間のベンチで夕食をとる。食後のコーヒーを飲んでいると、隣の若い男性二人から、「ささやかなパーティに付き合って下さい」と言われた。まだ社会人に成り立てのような彼らは、いろいろな物を持っていた。新酒ボージョレ・ヌーボー、カマンベールチーズ、ウィンナーソーセージ、などなど。私も勧められるままに沢山いただいた。

  初めて飲んだ「ボージョレヌーボー」の癖の無い舌触りにすっかり魅せられた。白カビのカマンベールチーズが良く合って美味しい。私よりずっと若い彼らに、山の楽しみ方を教わったようだ。これからはもっと山の食事に凝ってみよう。燃え盛るストーブの熱が心地良く、ワインの酔いが快い。仕上げに強いラム酒に熱湯とバターを入れた「ホットバター・ラム」をいただいた。それを持って屋外で夜景見物。

  真っ黒な相模湾を囲んで夜景が銀河のように瞬く。左手には三浦半島の灯りが、右手には伊豆半島の灯りが。左手ずっと奥には、不夜城の横浜〜東京の夜景が一際明るい。恰も夜間飛行の眺めだ。北海道函館山の夜景、新宿の高層ビルからの夜景も捨て難いものだが、その高度感と見える広さが全く違う。そして空気が極めて澄み渡っている。頭上には手を伸ばせば届きそうな満天の星。流れ星のように飛行機が夜空を横切る。

  久し振りにロマンチックな気分に浸った自分であった。深々と冷えた屋外から小屋に戻ると、ストーブの熱がものすごく有難い。二人の若者に厚く礼を述べ、ストーブでぬくんだ身体を湿気た布団にくるみ、快眠を貪る。

 

11月22日(日曜)    
【丹沢主稜を快適に縦走】

  良く眠った。北アルプスの夏山縦走のように3時や4時に起床しなくても、丹沢は陽が高くなってからでも充分縦走して下山出来る。5:50に起床し、ゆっくりと朝食をとり、6:45に尊仏山荘を後にする。外は厳しく冷え込んでいた。今日も抜群の快晴だ。標高1,491mの塔ヶ岳頂上からは正面に富士山のオレンジ色の朝焼けがとても美しい。麓の相模平野は白く霞んでいた。

       朝日を受けた富士山を見る

  塔ヶ岳の山頂を踏んだのはこれで3回目だが、此処から奥の丹沢核心部に足を踏み入れるのは初めてだ。小屋の横を通って、先ずは丹沢山へ向かう。朝日を浴びながら気持ちの良い稜線歩きだ。小さな隆起を幾つか越し、竜ガ馬場という広い草地を経て、しばらく汗の吹き出る登りを頑張ると、標高1,567.1mの丹沢山頂上である。丹沢山塊の代表とも言える名前を持っているのに、山頂は木立に囲まれて視界が利かない。しかし、芝生の庭のような山頂は昼寝でもしたら気持ち良さそう。

        
                       馬の背のような尾根道を歩く

   
           丹沢山頂上にて                          遠く相模湾方面を見る

  丹沢山から、更に奥に進む。しばらくすると勿体無いほどの急降下が始まる。下り切ると明るい草原となり、陽光を浴びながら鼻歌気分で歩く。やがて樹林帯に入り、不動ノ峰を越え、青い屋根の休憩所を横目に見ながら更に進むと、ようやく丹沢の最高峰である蛭ヶ岳(ひるがたけ)が姿を現す。丹沢の縦走路は小さな起伏が頻繁で、意外と体力を消耗する。9:00、標高1,672.7mの蛭ヶ岳山頂に到着。こんもりとした、眺めの良い頂上であった。

  
         最高峰、蛭ヶ岳山頂にて                 野生の鹿が食べ物をねだりに近付いてくる

  富士山は正面にでんと構えている。富士山から遠い山で、富士山が見えると感動するものだが、丹沢山塊では当たり前のように常に見えている。そして、山頂での記念撮影は、どうしても富士山が背景になってしまう。他に背景となる魅力的な被写体が乏しい。

  丹沢最高峰で、静かな小春日和を楽しみながら休憩。山頂には野生の鹿が居て、登山者がくるとエサをあさりに寄ってくる。最初は珍しいので一緒に写真を撮ったりエサをやった人も、何時までも離れない鹿を持て余し気味だ。「しっ!」と追い払えば逃げて行くが、立派な角を生やしているので少々怖い。人間のせいで、自分で食べ物を探すことを忘れた野生動物は哀れだ。

        
                         最高峰、蛭ヶ岳を振り返る

  蛭ヶ岳から西に延びる尾根を下る。赤土が露わで滑り易く、歩きにくい。ぐんと下って笹の茂る斜面を通り、登り返すと標高1,460mの臼ヶ岳。樹木が茂り山頂らしくない所だ。振り返れば降りてきた蛭ヶ岳が堂々とした姿で聳える。臼ヶ岳から右に進路をとり、急坂を下り、激しく崩壊した鞍部を通過し、また幾つかのコブを乗り越えて金山谷乗越に着く。

  次の目標の桧洞丸の姿が見えないので、かなり疲れを感じた区間だ。そこから始まった桧洞丸の登りはジグザグを切っていない急坂で、体力を消耗する。やがて、ひょっこりと林の中に青ヶ岳山荘が現れ、頂上が近付いたことを知る。苦しい登りはこれで終る。小屋で缶ビールとバッヂを買って、最後の山頂へ。

  12:05、この縦走で最後の峰である標高1,551mの桧洞丸に到着。山頂はブナの大木に覆われていて全く展望は無し。しかし、西丹沢からこの山だけを登りに来る人が多く、縦走路中で一番賑やかだ。もう後は下るだけだ。ゆっくりと昼食休憩する。

  
          縦走最後の峰、桧洞丸                      秋色の山を下ってゆく

  ツツジ新道を西丹沢に下る。既に目標を失った山の下りはいつもながら辛い。とにかく一刻も早く麓に着きたい一心で、景色には、もう関心が無い。急坂の下りを終えると、ゴーラ沢に出て、のどを潤し、傾斜の緩んだ道をひたすら歩き、西丹沢バス停に15:10に到着。15:25のバスで新松田駅に出る。

  駅で新宿行ロマンスカーの切符を買い、駅前の食堂で冷たいビールと共に焼肉をたらふく食べる。疲れて、ほろ酔いで、満腹の身体にロマンスカーは優しかった。

  丹沢の山々はかなり歩いたが、正直言って単調で魅力に乏しい。大都会に近い為に人気があるが、将来今回のコースをもう一度歩けといわれたら、私は気が乗らないだろう。ただ、尊仏山荘でのボージョレヌーボーと、麓の夜景、そして熱いホットバターラムが、忘れられない思い出になることは間違いない。■

 


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