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Data No. 24 |
データ① データ② |
木曽 御嶽山
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データ ①: 二度目登頂の記録(2012年8月4日) 久しぶりに一万尺の山へ よもや、この木曽御嶽山(おんたけさん)にもう一度登ろうとは、少し前まで考えもしなかった。25年前の同時期、初めて登った時のカルチャーショックが、あまりにも大きかったのだ。そのときは、日本全国民が御嶽教の信者様で、私一人だけが特異な「のけ者」なのではないかという恐怖心にかられたほど、この山は講中登山の人々だけで溢れ返っていた。当時の記録は、この下のデータ②にあります。 あれから、NHKをはじめマスコミが百名山ブームをあおり、全国の山々に高齢登山者がどっと押し寄せるようになった。それもようやくピークを過ぎたか、最近は「山ガール」がブームになっている。それはともかく、FKさんのご希望もあり、今夏の登山計画を練る際に、比較的楽に登頂できる3,000mの山として、また、どんな時代の変化があるのかな、という好奇心も手伝って、御嶽山を再訪することになった。TS夫妻も加わり、4名で訪れる。 快晴に恵まれての登頂 登頂前夜、既に標高2,000mを越す、田の原登山口駐車場に着くと、御嶽山が、満月に近い月明かりの下で、沢筋の残雪を仄かに白く浮かび上がらせ、満天の星空を区切って、一万尺に届く、その膨大な山体を横たえていた。そして、夜間登山をする人々の光の列が、真正面の尾根筋に瞬いていた。ああ、やっぱり「六根清浄」を唱和しながら、講中登山の人々が列を成して登っているんだろう、とこの時は信じ込んでいた。そういえば、団体バスの数が少ないな、とは思っていたが。 今回は、月明かりを頼りに、車の外にテントを張り、しっかり眠ってからの早朝登山とし、5:50に、登山口の鳥居をくぐる。 25年前は、同じルートを登ったが、夜間登山だったし、下山には別の黒沢口ルートをとったので、この登りで、自分の目で見るものは、初めてに等しい。実は前日まで体調が思わしくなく、気力が充実していなかったのだが、田の原からは、槍穂高連峰が見えていたことが、とても私を喜ばせ、元気と活力を与えてくれた。山頂での大展望が楽しみだ。 あれ、白装束の団体様はどこに行った? 鳥居をくぐると、しばらくはほとんど一直線の緩やかな坂道を、遥拝所や社務所を横目に見ながら、登って行く。でも、あれ?何だか白装束の姿が、いやに少ないな...相当な覚悟をしてきたんだけれど。講中登山の団体も全く居ない。しかし、その代わり、「普通の」格好をした老若男女の登山者がひどく多い。 各所にある神像や碑には、お香が焚かれていたり、灯明も点いていて、宗教登山の山である雰囲気は充分に残っているのだが、私にとっては拍子抜けするくらい、前回の記憶と違っていた。 森林限界を過ぎると、ずっと日陰の無い石だらけの道を登って行くようになる。その間、ずっと目標となるべき王滝頂上の白い建物は頭上に見えていた。しかし、それが意外と、いつまで経っても近付かない。 それでも背後の中央アルプスから南アルプスの稜線の上に、「富士見石」という地点から、富士山が頭を覗かせるようになった。着実に高度は上がっているのだ。 TS夫妻も、急斜面の連続で、ややバテ気味になってきたので、ゆっくり登山にした。そんな途中で、私とFKさんは気付かなかったが、少し遅れて登っていたTSさんが雷鳥を見つけて、写真に撮ってくれた。私自身、雷鳥は北アルプスで幾度も見たが、朝霧の中や曇っているときだけだったので、こんなまったく翳りの無い晴天下に出る筈は無いと、最初は疑ってしまったほどだ。この御嶽山には、天敵がいないのだろうか。 変身してしまった御嶽山?! 目標となる王滝頂上は、はっきり見えているし、TS夫妻は、私とFKさんに先に行って、待っていてくれと仰る。まあ、あまり気を遣うのも夫妻にとって重荷になるから、そうさせていただいた。そして、9:30に先行2名が、10:20にTS夫妻も王滝頂上に無事到着。この地点で「十合目」であり、標高も3,023mとある。TS夫妻には、ここで食事をしながら、我々が剣ヶ峰を往復してくるのを待ってもらうことになった。 中腹から噴煙を上げる剣ヶ峰は、すっかり「火山」の様相だ。硫黄の香りが漂い、草津温泉を思い出させる。王滝頂上から剣ヶ峰までは、急傾斜の道を凡そ25分。標高3,067mの剣ヶ峰に着いても、講中登山の人々はほとんど居ない。それどころか、山頂で憩っているのは、最新ファッションに身を包んだ若者達が主流だ。25年前は、休憩させてもらおうと小屋の玄関を入ったら、白装束の団体でぎっしり埋まっていて、「いったい何をしにきた?」ってな顔をされ、即座に退去を請われたものだ。それが今は、バッジやカラフルな記念品や土産を軒先に並べ、愛想良く対応してくれる。山頂社務所も、小屋も、売店も、主に若い人が管理していることも、様変わりだ。いったい、あの白装束の団体は何処へ行ってしまったのか、この山に何の変化が起こってしまったのか。 大休止は人が多い剣ヶ峰よりも、二の池に降りてからにしよう。二の池に下る途中、今日はじめて講中登山の白装束の団体が一組だけ居た。これだ!これだったんだあ!しかし、先達が拡声器を使って「♪ろぉ~っこぉんしょぉ~じょぉ♪」の音頭をとっても、後の人々が全然唱和していない。もっと元気を出して、私の思い出を蘇らせて欲しかったのに...ちょっぴり残念。久しぶりに耳にした先達の名調子が、懐かしくて、ちょっぴりジワッときていたんだが。 二の池に下っても、25年前のように、有難そうに水を汲んでいる人々は居ない。私は、手桶で少しだけ味見をした。草津温泉の湯の味がした。池の水よりも、我々には、ここの湖畔で、やっと念願の缶ビールを1本づつ空けて飲んだのが、最高に気持ちよかった。 休憩後、巻き道を王滝頂上に戻り、TS夫妻と再合流し、帰途につく。田の原への下りは、固くて水平ではない岩の上を延々と体重を掛けながら下るので、イヤになるほど疲労した。我々の下山する間も、膨大な人数が山を登っていった。ほとんどは、一般登山者で、白装束はほとんど見ない。今日の山小屋は大盛況なんだろうな。 前回は、心底から私を震え上がらせた、登山道も山頂神社も埋め尽くしていた宗教登山の団体が、ほとんど居なかったことに、私は安堵というよりも、寂しさを覚えてしまった。あまり宗教に熱心にのめりこむ人は、私自身の周囲には少ないが、この日本の国全体として、庶民の宗教心が薄れていくことは、歓迎しても良いことなのか、憂うべきことなのか、私には分からない。 ま、ともかく、我々は、下界の温泉で汗を流し、コテージに気軽に泊り、安くて美味しいビールと食べ物を、誰にも気兼ねなく、ゆっくりいただきましょう。■
木曽御嶽山、二度目の登山行程: 2012年8月3日(金曜) 2012年8月4日(土曜) 2012年8月5日(日曜)
===================================================================================================== データ ②: 初回登頂時の記録(1987年7月26日) 夏でも寒い木曽御岳へ 「木曽のナ~なかのりさん、木曽の御岳さんは、なんじゃらほい、夏でも寒いヨイヨイヨイ...」と木曽節に歌われる御岳(おんたけ)は、堂々とした大きな山だ。日本で数少ない3,000m峰でもあるが、その割に、なぜか登山を嗜む人の間では、話題に上らない山である。その理由は今回の私の山旅で判明した。 7月25日(土曜)~26日(日曜) 東京は午後から激しい雷雨に見舞われ、退社する午後3時になっても電車がストップしたまま。お陰で四ッ谷駅から、遅れている松本行特急あずさに乗ることが出来た。定時運行しても、塩尻と木曽福島で飽きるほど時間を潰さねばならず、いっそ、2時間遅れて特急料金が払い戻しになれば食事代でも浮くな、という無責任なことまで考えた。しかし、幸か不幸か、動き出したあずさは、90分だけの遅れで塩尻に到着。そして乗り換えて木曽福島には、予定通りの22:20到着。ここで午前3時迄バスを待たねばならない。 抹香臭い登山道 待合室ではなかなか眠れず、後の列車で到着した人達と、0:20頃タクシー相乗りで田ノ原まで行く。空には満天の星が輝く。一時間余りヘアピンカーブを揺られ、登山口の田ノ原到着。星空の一角に、そこだけ真っ黒に塗りつぶしたように御岳が巨大な台形の姿を横たえていた。その漆黒の山頂に向かって、一条の淡い光の帯が伸びる。物凄い数の登山者がいるようだ。田ノ原には白装束の信仰登山者の団体が貸切バスで続々到着する。 さすがに寒い。ヤッケを取り出してかぶり、午前1:40、ヘッドランプを灯して真夜中の行列に加わる。全ての登山者が先達に導かれた信仰登山の団体だ。 一種異様な雰囲気が登山道に満ちていた。ひとりで登る私は、まるで場違いなよそ者だ。御岳が山屋に人気の無い理由がすぐに分った。とてつもなく抹香臭い。先達が「六根清浄」、「お山は晴天」、「登らせたまえ」、「散華散華」などと音頭を取り、後ろに続く信者達が、一斉に声を張り上げて唱和する。失礼して追い越し、静かに歩こうと思ったが、追い越しても追い越しても、信者の列は途切れることが無かった。 登山道は溶岩地帯の急坂だが、よく整備され歩き易い。ところが、ヘッドランプの電池が切れかかってきた。真っ暗な山道をランプ無しで歩く訳にはいかず、仕方無しに、団体の信仰登山者のゆっくりしたペースに合わせ、彼らに囲まれた状態で歩く。ノイローゼになりそうな登りを2時間我慢。 午前3:30、神社の境内のような王滝頂上に到着。狭い台地状の頂上は続々到着する信者達でごった返していた。私は猛烈な眠気に襲われ、ポンチョを被って膝を抱えながら一眠りと思ったが、そんな僅かなスペースさえ確保が難しい。しかも汗が冷えて、文字通り「夏でも寒いヨイヨイヨイ」の御岳であるから、眠るのを諦め、剣ヶ峰山頂で御来光を迎えるべく、再び歩き始める。 僅かに明るくなり始めた道を剣ヶ峰に向かう。左側の地獄谷から吹き上げてくる硫黄ガスの臭いにむせながら、グチャグチャの泥道を登る。そして30分程で、いよいよ海抜3,063mの御岳最高地点「剣ヶ峰」に着いた。午前4:35。着くと同時に東の空から御来光が始まる。オレンジ色の太陽が雲海の彼方に顔を見せ始めると、顔がポーッと温かくなり、寒さで強張っていた筋肉がホッと緩み始める。しかし、日の出と共に下から猛烈な勢いで雲が動き出し視界を遮る。雲の動きが落ち着くと、雲海の上に中央アルプスと南アルプスが顔を覗かせた。向うの山々が無性に恋しい。あちらでは何の宗教にもとらわれない山男・山女が、楽しく語らいながら温かい山小屋やテントの傍で、この御来光を眺めていると思うと、この山の抹香臭さがとても居心地が悪い。 爽快とはいえない山頂のひととき 木曽御岳は南北中央アルプスからは離れた位置にあり、完全に独立した3,000m峰なので、高度感は素晴らしい。過去にこれだけの広大な雲海を見たのは富士山だけである。次々やってくる講中登山の人々の中には高齢者も多い。彼らはこの山頂の展望よりも、有難い御岳神社に参詣することの方が余程大事なことなのだ。第一級の山岳に、このような人々を「登らせ給う」信仰の力というのは凄いものだ。不信心の私もバチが当たらないよう、御岳神社に敬意を表して参拝し、下山にかかる。
一刻も早く俗世間に戻りたい! この山自体も、花が咲いているわけでもなし、岩登りを楽しめる山でもなし、溶岩がゴロゴロしているだけの砂山である。日本一高所にあるという「二ノ池」付近でも、有難そうに水を汲んで持ち帰る、白装束の人達の邪魔をしながら記念写真を撮ろうという気分にもなれない。私以外の全ての日本人が、御岳教徒ではないかという「恐怖感」に駆られる。ごく当たり前の何処にでもいる老若男女なのに、信仰の力の成せる技か、皆の目付きを、私はとても不気味に感じ、一刻も早く下界に戻りたかった。 下っても下っても、講中登山の行列は途切れない。黒沢口下山道9合目にある覚明堂小屋付近の大きな岩の上で、しばし避難を兼ねて休憩した以外は、ハイピッチで麓を目指した。森林限界を通過すると次第に森が深くなる。ウンザリするほど歩いて草臥れ果てた頃、6合目の中ノ湯小屋に着いた。 「中ノ湯」というから、気持ち良い「温泉」があると期待したが、浴槽はひとつだけで、男女の別が無い。「今女性が入浴中なので空いたらどうぞ」とのことで、20分ほど待ち、ようやく汗を流す。しかし、お湯が熱く、とても浴槽に入れない。おまけに男性の入浴時間なのに、タオルで前も隠さないオバさん達が堂々と入ってきた。「あらやだ、ご免なさい」と引き返すかと思ったが、全く当たり前の顔をしているのには、こちらが驚いた。 中ノ湯に着いたのはまだ朝の8:40。普段なら、まだ仕事も始まっていない時間だ。お陰で予定よりもずっと早く、10:15のバスで木曽福島に向かう。早く松本に下りて、全身に染み付いた抹香臭さを洗い流し、美味しいものでも食べながらビールを飲もう...。■ 御岳山登山行程 7月25日(土曜日) 7月26日(日曜日) |