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Data No. 19

データ:
登頂日: 1987年5月24日
標高 2,228.1m
場所: 群馬県 (尾瀬)
天候: 曇り
登頂時の年齢: 33歳
同行者: Oさん


尾瀬 至仏山


通い慣れたルートで尾瀬へ

  5月23日土曜夜、上野22:45発の越後湯沢行臨時列車に乗る。この列車は、新幹線開通前は長岡行定期列車で、週末ともなればハイカー達で満員になったものだ。しかし、今は発車間際でも悠々と席を確保出来る。

  深夜の沼田駅からバスに乗り、戸倉乗換えで3:45に鳩待峠到着。バスを降りた直後に激しい雷雨になった。肝を冷やす大きな雷鳴が轟き、雨が土砂降り。ところが、明かりのついた休憩所は鍵がかかったままで、係員は全く急ぐでもなく、故意とも受け取れる程、のんびりと準備をする。軒下で雨宿りする大勢の客には全く視線を合わそうともしない。内心腹を立てたのは私一人ではあるまい。30分も軒下での雨宿りを強制された後、「しぶしぶ」(本当にそんな感じ)と入口が開けられ、ようやくハイカー達は雨宿り出来た。奴はバスの到着時刻くらい知っている筈なのに、露骨な意地悪をされたようで気分はすこぶる悪い。

  雷雨はなかなか収まらず、空が白んでくる頃ようや止んだ。こんな天気では面白くあるまいと、至仏山登山を諦めようと思っていたが、雨が止むと同時に登山口に向かう人々が数人いたので、4:45、私も意を決して出発する。


残雪豊富な樹林帯を登る

  ブナやミズナラの樹林帯の中、ぬかるんだ道を緩く登ってゆく。登山道を川のように水が流れていた。この流れは雨ばかりでなく、山腹の雪解け水でもあろう。日本で一番雪深い上越国境に近いこの山は、厚い残雪があった。しばらく登ると、夏道は見えなくなり、完全に雪上の登山となる。広葉樹林帯が背の低い針葉樹林帯に変わると、「オヤマ沢田代」というところ。乳白色のガスの中に、アヤメ平と呼ばれる湿原が望める。

    
           オヤマ沢田代付近にて                           雪山登山の様相

  残雪の樹林帯の中は、はっきりと道が分らず、時折とんでもない所に出てしまう。途中で追いついた大阪から来たという中年男性と共に、道を探しあいながらゆっくり登った。彼は木に巻いてある赤い布の目印を探すのが非常にうまい。私は色弱のため、「ほらあそこ」と言われても、緑の中にある赤色を直ぐに見つけられない。ここで連れが出来て良かった。さもなくば、道に迷い、諦めて引き返したかもしれない。

  そんな苦労をしながら何とか稜線に出たら、白い雪の上に踏み跡が一直線に伸びていて、もう迷う心配は無くなった。その代わり、次第に傾斜が増してきて、息が切れる。夏ならば高山植物の花畑だという場所も、小至仏山も、厚い残雪とガスで殆ど見えない。森林限界を越えると、一面雪の斜面となり、冬山の雰囲気。頂上が近付くと、逆に雪が無くなり、岩だらけの山稜となる。ガスで遠い先が見えない為、近くに岩のピークが見えると、頂上ではないかと勇んで登り、その先にまだ続く道を見てガッカリすることが数度繰り返された。

     
              陽の当る稜線は雪が無く、ガレ場を山頂目指して登る。

 

静かな山頂のひととき

  ひょっこりとガスの中に「至仏山頂 2228m」という立て看板を発見した時は、とても嬉しかった。時刻は8:10。途中、道探しに手間取ったので、標準時間をオーバーして3時間25分かかった。登頂を祝福してくれるように、時折薄日が差し、意外と暖かく過ごせた。残念ながら展望は全く無く、山頂西側の急峻な崖が見えているだけ。しかし、尾瀬を訪れることこれで7回目。数年前の燧ケ岳登山と合わせ、ようやく私も尾瀬の二つの名峰を登頂出来て充分満足であった。いかつい姿で天に聳える燧ケ岳が夫であり、まろやかな稜線を引くこの至仏山が妻で、二人で温かく、この尾瀬の美しい自然を抱きかかえている。これまでは水芭蕉を愛でながら、あるいは秋のキツネ色の湿原を歩きながら、常に見上げるばかりだった至仏山にとうとう登頂を果たし、私の顔の筋肉は嬉しさでほころんだ。

     
                   至仏山頂上にて                      尾瀬ヶ原が見えてきた

  天候の先行きも不安なので、30分の休憩だけで下山開始。尾瀬ヶ原へ向かって急降下する。森林限界の上は雪が融けて夏道を歩けたが、麓に近付くにつれて、次第に林が深くなり、残雪が厚くなっていった。森の中の残雪というものは厄介で、表面が固そうで平らになっていても、中がガラン洞になっている所が頻繁にあった。踏み抜いてしまうと深いところでは腰まで一気に沈んでしまう。踏み跡がある所でこういう目に遭うのだから避けようが無い。

  やがてスーッと音がするようにガスが切れ、眼下に広大な尾瀬ヶ原の風景が広がった。ようやく雲の下に出て来たのだ。ほっと開放された気分である。池塘が鏡のように光る。この季節は、湿原に緑は乏しく、冬の深い雪に閉ざされていた草木がようやく顔を出したばかりなので、ベージュ色にくすぶっている。
 

水芭蕉と語らいながらの帰路

  10:50、尾瀬ヶ原の山ノ鼻到着。山小屋が居並ぶ広場は、歩け歩け大会が始まる前の会場の如く、老若男女が大勢屯していた。殆ど人気の無かった至仏山の登山道からひょっこりと抜け出して、こういう光景を見ると別世界に来てしまったよう。此処で腹ごしらえをして水芭蕉見物に行く。

  尾瀬ヶ原中央の大堀川まで足を延ばそうと思ったが、木道ですれ違う人のあまりの多さと、「こんにちは」攻勢に辟易し、疲れてもいたので途中で引き返す。普段、山ですれ違う人と挨拶を交わすこと自体は、とても清々しいことで抵抗感は無いのだが、それも程度問題だ。これだけ大勢の人が行列状態で歩く場所で、「こんにちは、こんにちは、こんにちは・・・」とやられ、いちいち挨拶を返すのが礼儀だとしたら、静かな尾瀬の雰囲気など台無しである。こんなことを言う私は傲慢であろうか?色々人の意見を聞いてみたい。

  それでも水芭蕉は充分楽しめた。山ノ鼻から鳩待峠へ戻る途中の小さな湿原にも、くすんだ湿地を白く鮮やかに染めて可憐に咲き競う姿は、やはり尾瀬ならではのもの。多人数のグループとすれ違いそうになると、水芭蕉に見惚れた振りをして視線を逸らし、「こんにちは」を免除させてもらう。そんな自分を見ている水芭蕉が、「あなたも因業な人ね」と笑って、哀れんで、蔑んでいるような気がする。「分ってるよ。でも、自分が浸っている感傷を人に邪魔されたくない時だってあるだろうよ...。」ぶつぶつと言い訳がましいことを考えながら、鳩待峠へ登る。

    水芭蕉の群落

  13:15、出発点の鳩待峠に帰着。振り返れば、頂上は相変わらず雲に隠れたままであるが、残雪の白い衣を中腹に纏った至仏山は、圧倒的に大きな姿を誇示していた。

  「感動を有難う。今度はもっと天気の良い日に、花を眺めに、きっとまたやって来ます。」■

 

至仏山登山行程

5月23日(土曜)
上野 22:45 ==(上越線)== 1:38 沼田 1:50 ==(バス)== 3:15 戸倉3:20  ==(バス)== 3:45 鳩待峠

5月24日(日曜)
鳩待峠 4:45 --- 6:45 オヤマ沢田代 --- 8:10 至仏山頂上(2,228m) 8:35 --- 10:50 山ノ鼻 11:45 --- 尾瀬ヶ原散策 ---山ノ鼻 12:30 --- 13:15鳩待峠 13:45 ==(バス)== 14:10戸倉 14:35 ==(バス)== 16:05 沼田 17:03 ==(特急谷川8号)== 18:43 浦和 ==(武蔵野線、西武)== 20:00 入間帰着


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