Data No. 12 & 13 |
データ: |
北岳 ・ 間ノ岳 〜農鳥岳 (白根三山縦走)
| |
日本第二の高峰へ 7月25日(金曜)〜26日(土曜) 富士山に次ぎ、日本で2番目に高い南アルプス北岳を含む白峰三山縦走を目指し、金曜夜23:55、上諏訪行き夜行列車に乗る。しかし、甲府までの夜行は距離・時間共に中途半端で殆ど眠れず。未明3時、甲府駅前は、ひとしきり、この列車から降りたハイカー達で賑わう。大勢のハイカーがバスやタクシーを拾って山を目指す。私は広河原行バスに乗車。しかし、山道を2時間も走る路線なのに普通の通勤用バスで楽ではない。睡眠不足に加え山道の揺れで車酔い気味になり、冷や汗が流れた。あぁ嫌だなあ、と思い始めた頃、空が次第に明るくなってきて、青空と南アルプスの峰々が車窓に見えてきた。「よし、今日は晴れるぞ!」とつぶやいた途端、気力が充実してきて、気持ち悪さが少し収まっていった。 5:05、国民宿舎広河原ロッジ前に到着。未だ寝静まっている宿舎のロビーに入り、トイレを借り、洗面と水補給をして、まだ完全に気持ち悪さが消えていない腹に軽食を詰め込む。 大樺沢の雪渓を登る 楽ではなかった北岳への道 二俣から雪渓とほぼ平行する登山道を登って行く。アイゼンを履いたベテラン達は苦も無く雪渓を直登して行くが、真似をして雪渓に入り込んだ素人は案の定滑ってコケている。途中から一般登山道も雪渓の中央部を登るようになるが、此処はしっかり踏み跡があるので安心だ。雪渓の途中で初めての大休憩。ジュースを雪の中に5分も埋めておけば、すっかり飲み頃に冷えてくれる。日陰の無い炎天下ながら、雪渓を渡る風が爽やかだ。重いキスリングを背負った大学の山岳部員らしい若者が足に痙攣を起こしてひっくり返っていた。 雪渓を登り終えると、沢から離れて「八本歯のコル」への急な尾根の登りとなる。この頃が一番辛かった。足が重くなり、急登の連続で息が切れるので、つい休みたくなる。麓からは近くに見えた頂上はまだまだ先で、登るにつれて山が次第に大きくなり、遠ざかって行くようだ。日本で二番目に高い山だから、そう易々と頂上を踏ませてはくれない。 生憎ガスが山頂付近を包み、遠望は利かなくなった。休憩がてら再び展望が広がるのを待ったが、次から次へと「カメラのシャッターを押してください」と頼まれる。どうやら私の座っているベンチ付近が、山頂標識前の記念写真のシャッターを押すに丁度良い場所らしい。やがて、待った甲斐があって仙丈岳、甲斐駒ケ岳、間ノ岳が姿を現してきた。私も写真を何枚か撮り、日本第二位の高峰からの景色を脳裏に刻む。甲斐駒ケ岳の雪化粧したように白い山頂が特に印象的である。 約一時間山頂で過ごした後、北岳山荘に下る。山荘へは40分程、岩がごつごつした斜面を下る。シナノキンバイ、ハクサンイチゲ等高山植物の花が目を慰めてくれた。 大混雑した北岳山荘 北岳山荘は北岳と間ノ岳の間の広々とした鞍部にあり、標高は2,900mある。宿泊申し込みを済ませ、荷物を降ろして、日向ぼっこがてら外のベンチでビールを飲む。夕食迄時間があるので、横になって睡眠不足を解消しようと思ったが、次々に到着する人々の物音でいくらも眠れなかった。この日は土曜日とあって小屋は凄い混雑になった。各部屋は立錐の余地も無く、敷布団一枚を三人で使う状態だ。寝返りも打てず、人いきれで強烈に暑い。これでは疲れを取るどころか、明日の行動にも差し支えるので、22時過ぎ、毛布一枚だけ持って廊下で寝た。あの地獄に等しい窮屈さと暑さに比べたら遥かに楽であった。
早朝3時頃から周囲がガサガサして寝ていられなくなった。早起きは勝手だが、静かに行動してもらいたいものだ。幸い、廊下を挟んだ部屋に隙間が出来たので、そちらに移動して再び目を閉じた。しかし、熟睡はおぼつかなく、諦めて4時に起床。 4:50、北岳山荘の裏手で御来光を拝む。天気の崩れる気配は無さそうだが、あまりスッキリした晴天でもない感じ。昨夜のうちに用意してもらった弁当を食べ、5:40に北岳山荘を出発する。ラジオを持った人の話では、いよいよ関東地方が梅雨明けしたらしい。 白いガスに覆われたハイマツの稜線を緩やかに登って行くと、時々雷鳥が親子連れで歩いているのが微笑ましい。満足に空を飛べない雷鳥は、天敵から身を守るため、このようにガスの発生した早朝に一番良く行動するのだと言う。特に際立ったピークでもないが「中白峰」(3,055m)に達した時、ボーッと伊那側のガスの中に大きな光の環が出来て、人の影が中央に浮かんだ。これがいわゆる「御来迎」、「ブロッケンの妖怪」と呼ばれる現象であり、中央の「神様」は私自身なのだ。小説などで知識は持っていたが、山登りを始めて以来、初めての体験である。これは山の稜線上で、太陽を背にして、反対側の谷にガスが湧いている時にのみ起こるもので、ガスの濃度や太陽の角度などが一定の条件にならないと、そうやたらと見られるものではない。私が両手を大きく振ると、神様ももっと大きく手を振った。今は科学的に解明された現象だが、昔の人々は「神様のお出まし」と畏怖し、跪いて拝んだと言う。「神様」はやがて消えてしまい、再び現れることは無かった。 谷を見下ろす雷鳥
急峻で苦しそうに見えた農鳥岳への登りは、身体が慣れてきたせいもあり、楽にこなせた。30分程で西農鳥岳の3,050mの頂上に着く。農鳥岳本体はまだこの先なのだが、3,026mの本峰よりもこちらの方が高い。私の縦走はこの農鳥岳を下ったら終りであるが、南アルプスの山並みは、ここから更に大きなうねりを持って南に続く。3,000mを越す山の数が北アルプスよりも遥かに多く、山一つ一つがとても大きい。ここから見える鉄兜のような塩見岳、悪沢岳、赤石岳なども優に3,000mを越す山で、超然とした姿を誇っている。いつか私もあの峰々にも登ってみたいものだ。 農鳥岳本峰は西農鳥岳から更に30分だった。この縦走中で5つ目であり最後の3,000m峰である。生憎、ここではすっかりガスに覆われてしまい、何の景色も見られなかった。小休止して下山開始。 大門沢を下り、秘湯奈良田温泉へ 大門沢下降点迄約30分。そこで、いよいよ3,000mの稜線からお別れとなり、ガイドブックの言葉を借りると「脳天までショックが伝わる程の急降下」が始まる。森林限界を越えて気持ち良かった稜線から、深い樹林帯に突入し、ジグザグを切りながら下って行く。こういう鬱蒼とした樹林帯の下りは嫌いである。何も考えず、ひたすら足を運ぶのみ。一時間半程で漸く大門沢に出る。冷たい水で汗を拭き、しばし休憩。暗い樹林を抜けてホッとする。大門沢小屋には12:15に到着。冷えたビールを買って約1時間休憩し、昼食をとる。ずっと同じコースを歩いて来た初老の男(Mさんという)が、私より1時間遅れて着いたが、殆ど休憩せずに歩き始めた。私も腰を上げる。 もはや急ぐ必要など無かったが、退屈な下りは短時間で済ませたい。沢に着いたり離れたりの下りが延々と続く。途中の八丁坂の樹林帯でヘビを踏みそうになり、「うわ〜っ!」と大声を上げてからは、殆ど駆け足になってしまった。再び明るい河原に出て、前を歩く人を見てホッとした。もうヘビを見るのは嫌だから前の人達に一定の間隔を置いて歩いて行った。吊橋を何度か渡り、沢沿いに登り下りを繰り返して行くが前を歩く若者達は遅足であった。ええい、もういいや、と度胸を決めて追い越す。再び自分のペースを取り戻し、スピードを上げ、15:30に車道が通る発電所前に到着。 天国のような一夜 奈良田温泉の旅館の人たちが客引きをしていた。しかし、一人では部屋を取りにくいとのことなので、休憩所で相部屋承知の単独行者が来るのを待っていたら、例のMさんが降りてきた。Mさんは相部屋快諾で、奈良田温泉「白峰館」に一緒に泊ることになった。マイクロバスで10分下った所にあるその旅館は、一泊1万円の料金だったが、新築したばかりの非常にきれいな建物であった。 Mさんははるばる大分からいらしたそうで、61歳の高齢ながらも、精力的に各地の山々を歩いておられるとのこと。総ヒノキ造りの浴槽で、ぬるめの温泉に浸かり、全身の汗をきれいさっぱり流した後、夕食となる。大広間で白峰三山縦走中に顔を見知った人々と一緒に、山菜豊富な夕食を、ビールグラス片手に、山談義に花を咲かせながら、楽しくいただいた。部屋に戻ってからもMさんとしばらく話をしたが、さすがに二日間の疲れで、夜10時頃寝入る。北岳山荘での布団一枚に3人という窮屈さと人いきれに比べたら、此処は正しく天国だ。冷房不要の山間のひなびた温泉宿で、翌朝まで一気に眠りこけた。 爽やかな目覚めの後、ひと風呂浴びて朝食。旅館を9時にチェックアウト後、白旗史朗の山岳写真館を見学。同じ山に登っても、どうしてプロはあんなに素晴らしい写真を撮れるのだろう。ため息をつきながら素晴らしい映像の世界に浸った。 9:45、身延行バスに乗り込み、2時間かけて身延駅に到着。12:24の甲府行列車に乗り込み、Mさんが買ってくれた身延饅頭を頬張りながら車窓を楽しむ。梅雨が明けて猛暑の一日だ。息子さん家族に会うため諏訪方面に行くというMさんと甲府駅で別れ、中央線上りの各駅停車に乗って帰路につく。冷房の効いた電車内でも窓ガラスを通して真夏の陽射しが容赦なく私の身体を加熱する。冷涼な一万尺の稜線が無性に恋しくなるが、あの山小屋のひどい混雑だけはカンベンだから、まいいっか...。■
| |
白峰三山縦走行程 7月25日〜26日 7月27日 7月28日 |