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Data No. 8

データ:
登頂日: 1984年7月29日
標高 3,180m
場所: 長野・岐阜県境(北アルプス)
天候: 快晴
登頂時の年齢: 30歳
同行者: 単独行

 

槍ヶ岳

北アルプス 燕岳〜表銀座縦走

 


初めて憧れの日本アルプスに

  長い間の憧れであった北アルプスを初めて訪れる。入門コースとして燕(つばくろ)岳から大天井(おてんしょう)岳を経て槍ヶ岳に至る、いわゆる「アルプス表銀座」を選んだ。また、先日購入した新品の登山靴にとっても初めての山行となる。
 

7月27日(金曜日)28日(土曜日)

  会社が終わって新宿駅に直行。蒸し暑い駅構内で約4時間待ち、22:30発の臨時急行アルプス53号自由席に席を確保。車内は登山の若者達で通路まで超満員になる。人いきれで暑苦しい車内で精一杯眠る努力をし、甲府を過ぎる頃にようやく眠りについたが、眠り足りずに頭がボーッとしたまま大糸線有明駅に4:30到着。

  有明駅前から一時間バスに揺られて中房温泉へ。バスの進行方向には北アルプスの高峰が屏風のように聳えている。私が今まで登った低山とは、まるで様子が違う。終点の中房温泉の休憩所には、登山客がわんさといた。

  6:00に登山を開始。合戦尾根は、いきなり森の中の急斜面を登るので、睡眠不足の身にはかなりこたえた。所々に丸太のベンチが設けられているが、あまり休まずに頑張る。視界の利かない樹林帯の中をひたすら登り続けると、2時間程で合戦小屋に到着。此処まで来ると木々の背丈も低くなり、眺めも良くなってきた。水を補給し、小屋で温かいミルクを飲んだ。天気はこの時点では非常に良く、青空が一杯に広がっていた。昼寝でもしたくなるような気持ちの良い場所であった。

  合戦小屋を過ぎると、いくらか傾斜が緩む。登山道の両側は、見事な高山植物の花畑だ。しかし、燕山荘(えんざんそう)の建物が見えてきた頃になって次第にガスが発生。雨よ降らないで、と切に祈る。折角初めてやってきたのですから...。

  9:00、燕山荘到着。着くやいなや、見事に尖った岩を天に突き上げる槍ヶ岳が左手遥か彼方に見え、北アルプスの大展望が視界一杯に広がった。思わず「わあ凄い!」と叫んでしまう。3時間余りの苦しい登りの後だけに、感動は大きい。それにしても、あんな尖った山に私は無事に登れるのだろうか。期待と興奮と不安と寒さがミックスし、私は武者震いした。

   
        燕山荘付近から燕岳を望む                             何も見えなくなった燕岳山頂で

  とりあえず、第一目標の燕岳に登ろう。燕岳は白くて異様な形をした花崗岩に頂上を覆われ、小屋の北側にそそり立っている。頂上に向かって歩き始めた頃、猛烈な勢いで麓から湧き上がってきたガスの為に視界がすっかり閉ざされてしまった。道ははっきりしているし、人も多いので、迷うようなことは無かったが、やはり心細くなる。2,763mの燕岳山頂からは何も見えなかった。

  燕山荘に戻り、10:45〜11:50、自炊の昼食。その間、ガスがますます濃くなったので、この燕山荘に泊まろうか、それとも大天井岳まで頑張ろうかと非常に迷う。大天井迄行ってしまえば、明日の行程が非常に楽になるが、寝不足をこの燕山荘で解消すれば、明日馬力をかけられるかもしれない。しかし、ここに早々と泊ってしまい、明日も悪天候の場合、念願の槍ヶ岳山頂を極めることが難しくなる。従って、少しでも前進しておいた方が良いだろうと判断し、大天井まで行くことにした。

  燕山荘からは起伏が少なく歩き易い標高2,600mの稜線のスカイラインだ。景色はガスで何も見えなかったので、ひたすら早足で歩いた。1時間程歩いた処で、とうとう雨がポツリポツリと当たってきた。しまったと思ったが、1時間の道程を引き返すよりも、雨具を装着しても2時間進んだ方が良いだろう。幸い雨は直ぐに止んだ。ほんの時たま、ガスが切れると「銀座通り」の稜線が現れ、大天井岳の三角形のどっしりした姿が望まれる。しかし、燕山荘到着直後に見たあのパノラマはもう現れなかった。

        
                                                 燕岳から始まる表銀座の稜線

  5m位の鎖場を下って鞍部に着くと、いよいよ大天井岳の登りになる。ところが、頂上を通らなくても、右側の巻き道を通れば大天井ヒュッテに行けるらしい。ガスの中を苦労して頂上に立っても無駄だから、素直に巻き道を行く。14:50、大天井ヒュッテ到着。燕山荘を出てから凡そ3時間の「銀座歩き」であった。ずっとガスの中を歩いてきたので、小屋の屋根がとても有難く思えた。ごろ寝をしたり、同宿の人々と話をして時間をつぶす。暗くなる前に、自炊場でフリーズドライのピラフを調理したが、気圧の関係か、単に私がへたくそなのか不味かった。口直しにコーヒーを飲んで腹をごまかす。小屋の食堂には、映りこそ悪いがテレビがあった。缶ビールを飲みながら同宿の人達と明日のコースや天気の話をしながら下界の情報に耳を傾ける。20:00、消灯時間となり、6畳程の部屋に10名がひしめき合いながら眠った。
 

槍の穂先を目指して
7月29日(日曜日)

  4:00、夜明けと共に起床。相変わらずの曇り。簡単に朝食を済ませ、5:00大天井ヒュッテを出発。今日は何としても槍ヶ岳を目指す。晴れていれば、此処から大槍がでっかく見えているとのことだが...。牛首岳の中腹を回ると、道は登り下りの激しい痩せ尾根となり、左手の二ノ俣谷側に広がる花畑を愛で、右手の天上沢から吹き上げてくる冷たい風に頬を撫でられながら進む。やがて、赤岩岳のガレ場に出て、山腹を巻いて行くと、発電機の音が聞こえてきて小ぢんまりとしたヒュッテ西岳に着いた。ここで30分休憩。休憩中に空が大分明るくなってきた。少しずつ青空が広がりだし、行く手の槍ヶ岳方面にノコギリ状の北鎌尾根が姿を見せてきた。これならば、槍ヶ岳に着く頃には晴れるかも、と俄然元気が湧いてきた。

  ヒュッテ西岳から勿体無い程急坂を下ると、このアルプス表銀座縦走路で一番低い地点となる水俣乗越(標高2,500m)の鞍部。この鞍部からいよいよ槍ヶ岳東鎌尾根の登りが始まる。痩せた岩稜を鎖や鉄ハシゴなどに頼って高度を稼いでいる内、頭上の雲が切れて、不意にとてつもなく高いところに黒々とした大槍の穂先が一瞬見えた。思わず息をゴックンと飲み込む。物凄い迫力の山だ。感動と同時に、「ヒャーッ!まだあんな高いところに登らなければならないのか!」と怖気づく。しかし目標物が見えたことは有難い。今迄があまりに五里霧中だったから。体力を消耗する辛い登りが延々と続いた。経験の浅い私が今迄登ったどの山よりも辛い登りだ。それでも、先を行く人々を追い越しこそすれ、誰にも抜かれずに登った。歩くスピードだけがやたらと速くて、すぐにバテて座り込んでいる人も目立つ。私以上に素人なのか。

  
       姿を見せた大槍に感動と共に畏怖心を抱く                      高瀬ダムと裏銀座方面の山並

  9:15、ヒュッテ大槍に到着。冷えたジュースを飲んで元気付け、更に登る。大槍中腹の急斜面を斜めに横切る狭い岩だらけの道を30分程登り詰め、9:50、槍ヶ岳山荘に着いた。此処から眺める大槍は、雲が遊び、その尖った岩の塔に大勢の登山者が蟻のように垂直に連なっている。
 

怖い、しかし大感動の大槍頂上

  重いリュックを山荘前に置き、カメラだけぶら下げて私もアタック開始。私にとって、こういう岩山は初めてであるし、下から仰ぐとルートは殆ど垂直に見え、かなり緊張した。何しろ、ハシゴや鎖が付いていて手掛かり、足掛かりは充分とはいえ、万が一踏み外して転落してしまったら、ただの怪我では済まない山なのだ。私のすぐ前を行くベテランらしい中年男のルートを忠実に追って行った。途中まで来た時、若い男が我々を追い越そうとして、ルートを外し落石を起こした上に本人もザザーッと滑って転落しそうになった。私を含め、周りの人は誰もが肝を冷した。初めてやってきて、おっかなびっくりと登っている私の目の前で、よくもこんな馬鹿な真似をやってくれたものだ。本で覚えた「三点確保」を頭に置いてはいたが、こんな馬鹿を目撃した為にビビッてしまい、私は岩にへばりつくように登っていた。

  
                     大槍をアタック、天候は回復の兆し

  頂上に着く直前、それ迄山頂を取り巻いていた雲があれよあれよと言う間に消え去り、青空が見る間に広がって、全身に太陽の光を浴びるようになった。下りルートを行く人々が、「わあ、ずるい!」、「ちくしょお!」と悔しそうな声を発する。

  10:20、まるで私の到着を待っていたかのような天気の回復と共に、待望の標高3,180mの槍ヶ岳頂上に着いた。今朝の天気が信じられないような、素晴らしい360度のアルプスのパノラマが広がっていった。南には穂高連峰が、東には昨日今日とひたすら歩いてきた表銀座の稜線が「お疲れ様、良かったね」と言うように姿を見せた。ガスの中を心細い思いでひたすら歩いてきた苦労がいっぺんに報われ疲れが一度に吹き飛ぶ爽快感だ。本当に来て良かった、よくもこれだけ歩けたな、と涙さえにじむ。若かりし頃から、新田次郎の山岳小説はことごとく読んだ。そしてその小説で北アルプスの各所も数限りなく登場したので、山名の知識だけはかなりあった。しかし、遭難の舞台に頻繁に登場する北アルプスという名前に怖気づき、この30歳になるまで足が向かず、東京近郊の山ばかり訪ねてきた。ああ、どうしてもっと早くこんな素晴らしい北アルプスに来なかったのだ。大いなる感激と共に、大いなる後悔も感じた槍ヶ岳山頂である。

      
     槍ヶ岳山頂で。怖くて立っていられない                山頂直下の槍ヶ岳山荘を見下ろす

   狭い頂上には小さな祠が祭ってあり、大勢の登山者がひしめき合って陽なたぼっこをしながら景色を楽しむ。ただ、あまりに狭い上に、周囲が切り立った断崖絶壁だから、立っていると恐怖感を感じるので、私はずっと座っていた。特に北鎌尾根方面が一番急峻である。

  30分程、頂上でアルプス一万尺を満喫し下山にかかる。岩山の場合は登りよりも下りの方が恐い。登りは上を見ているだけで良いが、下りの場合は足元の崖下が否応無しに目に入るから。しかも、登りの時に墜落しそうになったあの馬鹿男が自分の直ぐ上から続いて降りてくるではないか。思い切り背筋が寒くなった。あんな馬鹿男と心中するのは真っ平だ。安全な所に降りるまで生きた心地がしなかった。

  11:00、槍ヶ岳山荘に帰着。此処で1時間半程、ビールを飲み食堂で牛丼を食べて休憩。小屋の中より外で日向ぼっこをしている方が気持良い。一時はどうなることかと思ったこの山行も、一番のハイライトである槍ヶ岳で超快晴に恵まれ、もう何も思い残すことは無い。今日も天気が悪かったら、此処の山荘に泊まって明日に賭ける心算だったが、充分に満足したので、今日中に降りられる所まで降りてしまおう。

   
           槍沢から仰ぐ槍ヶ岳                                       日本離れした風景だ

  12:20、山荘を出発し槍沢を下る。歩きにくいガレ場をひたすら下り、槍ヶ岳殺生ヒュッテを過ぎると、新田次郎の小説「槍ヶ岳開山」で知識を得ていた、播隆上人が籠っていたと言われる「坊主の岩小屋」がある。振り返って仰ぐ大槍は、実に雄大で濃い青色の空を突き刺すようである。今迄写真でしか眺めたことの無い「日本のマッターホルン」は、想像よりも遥かに素晴らしい山だった。自分はあんな高い山に登ったのかと改めて感激する。山登りらしきものを始めてかれこれ10年。本当に何故もっと早くアルプスに来なかったのかと返す返す思った。私はすっかり北アルプスに魅せられた。しかし、今まで秩父や奥多摩近辺の低山との差を知ったからこそ、一層この感激が大きいのかもしれない。

  ガレ場を過ぎると雪渓が現れて、登山靴で気持ち良く滑り降りる。きれいな高山植物の花が至る所で私の目を惹き、とても楽しい気分で歩けた。新しい登山靴の履き心地は抜群であった。今迄のキャラバンシューズは、山へ行く度に必ず私の足の何処かを痛め、帰宅後私を数日間ぐったりさせたが、この靴はしっくりと足に馴染み、爪先や踵にも全く疲労や痛みを感じさせない。あまりに楽しく、早く下ってしまうのが惜しくもあったので、スローペースで歩いた。清澄な湧き水がある度に喉を潤し、顔や手を洗い、花を見る度にカメラを構えた。しかし、谷が次第に深くなり、樹林帯に突入して景色がつまらなくなると、俄然ペースを上げた。15:10〜15:45に槍沢ロッジでジュースを飲んで休憩後、風呂に入れるという横尾山荘迄一目散に歩いた。

                   
                    可憐な花畑に慰められて槍沢を下山する

  16:45、槍ヶ岳山荘から4時間余りをかけて横尾山荘に到着。とてもきれいな宿であった。民宿と設備的には何ら変わらない。部屋はちゃんと新しい畳が敷いてあり、アルミサッシの窓の内側には障子戸まである。但し、やはり10畳間に十数人が押し込められた。でも、山小屋だからこそ、混雑しても泊めてもらえるのだ。下界のように満員だからお断りと言わないのが山小屋の有難いところ。風呂に入って二日間の汗を流したら極楽気分であり、部屋の窮屈さなど全く気にならない。もう粗末な自炊食は飽きたので、夕飯は山荘の食堂で食べた。下界の水準と比較しなければ、温かいご飯と味噌汁、それに温かいおかずが、とても有難いものであった。

  夕食後、缶ビールを片手に外に出ると、燕岳、大天井ヒュッテ、槍ヶ岳、と全く同じコースを同じペースで歩いてきた人の姿を認め合い、微笑ましい気分で互いに挨拶を交わす。同室の客は皆気持ちの良い人達ばかり。大阪の二人連れと、会津の只見から来た二人連れと意気投合し、消灯時間まで楽しく語らいのひと時を過ごした。会津のあんちゃん達と、大雪の苦労話などを大阪の人に話して聞かせた。皆、都会に居たのでは見当たらない素朴で、我を主張しない良い人達ばかり。山が人を良くするのか、それとも良い人ばかりが山に来るのか...。

 

名残惜しき帰路
7月30日(月曜日)

  朝5時に目が覚める。窓を開けると前穂高岳の東壁が、きれいに朝焼けしていた。雲ひとつ無い素晴らしい天気である。この天気が一日前にずれていたら、私はもっと素晴らしい景色を見ていたのかもしれないが、それは今となってはどうでも良いことだ。

      
          前穂高岳の朝焼け                           上高地にて、次回は是非あの穂高岳へ!

  軽く自炊の朝食を済ませ、6:00に上高地に向けて出発。梓川の清流と穂高の岩峰を右手に見ながら、平坦な道を気持ち良く歩く。これから山へ向かうハイカーも上高地方面から続々と歩いてくる。私も休暇があるのなら、本当に引き返したい。井上靖作の「氷壁」の舞台となった徳沢園を過ぎると、ハイカーに混じってワンピースや革靴姿の観光客が増えてきて、いよいよ下界に戻ってしまったという寂しさが湧いてくる。

  明神橋を過ぎ、上高地に足を踏み入れると、そこはもう軽井沢か原宿かという賑やかさ。河童橋には穂高岳をバックに記念写真を撮ろうという観光客が鈴なりになっている。やはり、これだけ多くの観光客を惹き付ける魅力がこの上高地にはあると思う。橋から眺める梓川の清流と穂高の岩山は実に素晴らしく、絵になる風景だ。日本の国でこれだけ美しく雄大な山岳風景を見せてくれる場所を私は他に知らない。私は来年は、あの穂高岳立ってみようと心に誓った。

  バスで上高地を後にして松本に。松本で昼食後、あずさ12号自由席に乗り、夕方入間帰着。素晴らしかった山行の思い出を胸にゆっくり風呂に入って布団にもぐりこむ。ああ、それにしても明日から会社であのボスの顔を見るのが憂鬱だ。無性に山に戻りたい。■

 

槍ヶ岳登山行程

7月27日(金曜日)
新宿22:30 ==(急行アルプス53号)== 4:30有明

7月28日(土曜日)
有明4:40 ==(バス)== 5:30 中房温泉 6:00 --- 8:00 合戦小屋 8:15 --- 9:00 燕山荘(燕岳往復)11:50 --- 14:50 大天井ヒュッテ(宿泊)

7月29日(日曜日)
大天井ヒュッテ5:00 --- ヒュッテ西岳 7:00 --- 9:15 ヒュッテ大槍 --- 9:50 槍ヶ岳山荘 --- 10:20 槍ヶ岳(3,180m) 10:50 --- 11:00槍ヶ岳山荘12:20 --- 15:10 槍沢ロッジ 15:45 --- 16:45 横尾山荘(宿泊)

7月30日(月曜日)
横尾山荘 6:00 --- 8:30 上高地 10:00 ==(バス)== 11:30 松本 13:03 ==(特急あずさ12号)== 15:51 八王子 ==(八高線、西武線)== 17:50 入間、帰宅


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