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Data No. 7

データ:
登頂日: 1982年10月10日
標高 2,346m
場所: 福島県尾瀬(日光国立公園内)
天候: 晴れ
登頂時の年齢: 28歳
同行者: SI君

 

尾瀬 燧ケ岳

 


奥会津へドライブ

  10月9日夜、SI君の車で十日町から小出へ抜け、会津若松へと通じるR252を飛ばす。六十里越峠の付近は道路工事中で悪路だったが、福島県会津に入ると、平坦な道になってほっとした。只見町からR252を右に折れ、奥会津へと通じるR401に入る。もっと山が深くなるのかと思っていたが、川に沿った広い盆地らしく、夜目にも意外と開けた土地だと分った。幾つかの村を過ぎ、いよいよ山も深くなり、桧枝岐温泉を過ぎるとぐんぐんと九十九折の山道を登るようになり、夜中の3時、御池駐車場に到着した。ここで夜明けまで車の中で仮眠。
 

御池から燧ケ岳へ

  朝6時頃、明るさで目が覚める。簡単に朝食をとって出発。天候は薄曇りで青空も少しのぞくまずまずの条件。眠っている間に、駐車場にはかなり車が増えていた。裏燧林道を僅かに歩くと左手に燧ケ岳登山道入口の標識が見つかる。スズタケの茂る深い森の中の急坂を登る。朝一番だけに非常に辛いところ。寒さに震えながら出発したのだが、すぐに身体は暖まり、汗も滲んでくる。

  いくらか傾斜が緩むと「広沢田代」という湿原に出る。他に誰もいない池塘の散在する湿原の中の木道を歩くと、涼しい風が汗ばんだ身体に気持ち良い。いかにも秋らしいキツネ色の湿原と、はっとするほどに鮮やかな紅葉が美しい。キツイ登りはまだまだこれからだ。再び樹林帯の中を一汗も二汗もかかされて登ってゆくと、今度は広沢田代よりもはるかに広い「熊沢田代」という湿原に出る。我々二人以外は誰も歩いていない広大な湿原の中央を木道が延々と続く。山の登りの途中でこのような広いところがあるとは驚きだった。尾瀬沼や尾瀬ヶ原から眺めるこの燧ケ岳は、すっくと天に伸びていて、まさかその裏側にこのような処があるとは想像もしなかった。

    
   登りの途中にある広大な熊沢田代           山頂から眼下に尾瀬沼、そして彼方に日光連山

  湿原の端部からは、再びぐんぐんとせり上がる燧ケ岳の斜面が、「そう簡単には頂上を踏ませないぞ」と言いたげに待ち構えている。そして、その見かけ通り、そこから頂上までの登りはひたすら根性と忍耐力を試された。苦しいながらも、この一歩次の一歩が着実に頂上へと導いてくれるのだと思い頑張る。さすがにタフなSI君は、私よりもはるかに呼吸の乱れが少ない。

  やがて森林限界を越え、石ころがガラガラの斜面を登り切ると、待望の燧ケ岳頂上であった。御池から3時間余りの随分と早いペースであった(ちなみに標準コースタイムだと4時間10分)。我々は完全に「雲の上の人」である。尾瀬沼と尾瀬ヶ原は、はるか足元に遊ぶ雲の間から覗いて見え、遠く日光連山や上越国境、会津の山々も雲海を突き破って聳えていた。この燧ケ岳の標高2,346mは、東北地方の最高峰であり、日本列島の此処から北には、これより高い山は無い。先ずはタバコを気持ち良く一服し、熱い湯を沸かしてコーヒーを飲み、軽い食事をしながら雲上の楽園を楽しむ。相変わらず我々が登って来た御池方面からは誰も来ないが、メインルートである尾瀬沼方面からは、我々が休憩を終えて下山にかかろうという頃から、続々と人が登ってきた。頂上は次第に賑やかになる。このままでは人で溢れてしまうのではないかと思う程。

     
              燧ケ岳山頂にて                         下山途中、山頂を振り返る

  頃を見計らい、尾瀬沼に向かって下山開始。岩がゴロゴロの山頂直下の急斜面を過ぎ、ミノブチ岳付近の傾斜が一旦緩んだ処から頂上を振り返る。登って来た俎ー(まないたぐら)と柴安ー(しばやすぐら)の双耳峰が、同じ位の高さで競うように天に向かってすっくと伸び上がっていた。快適に下って来れたのは此処までで、後は「ナデックボ」と呼ばれる凹地につけられた樹林帯の中のぬかるんだ道をイヤというほど歩かされた。御池からの登山道よりも歩きにくく、勾配が急だったにも拘らず、殆ど切れ目の無い物凄い数の登山者とすれ違った。折しも、体育の日が重なった連休であり、関東方面からどっと人が押し寄せたのであろう。最初の頃は、「こんにちは」、「頂上まであとどのくらいですか?」という挨拶やら質問にも愛想良く返事をしたのであるが、百回も同じ質問に答え、千回以上も「こんにちは」の挨拶を返すのが本当に煩わしい。SI君曰く、「こんにちは。頂上まであと何時間と書いたプラカードでも持って歩こうか...」。全く出来るものならそうしたい。聞くところによると、今日この道を下山するのは我々が初めてらしい。東京方面から夜行で来た人々には我々の下山時間が驚きなのであろう。それにしても、あの狭い頂上にこれだけの人が登って行ったら「お山の大将ごっこ」でもしなければ、どうしようもないのではないか。
 

紅葉の尾瀬沼〜原〜三条の滝を周遊

  挨拶と急坂の下りにいい加減飽きた頃、ほっとしたように傾斜が緩み、沼尻湿原が現れて待望の尾瀬沼畔にひょっこりと飛び出た。深い緑と美しい紅葉に囲まれて静かに漣を立てる尾瀬沼は、人間が遠い昔に忘れ去った手付かずの自然をそのまま残し、思わずジーンと来るような郷愁を誘うように佇んでいた。尾瀬が初めてのSI君は、この雰囲気が大分気に入った様子。しばし休憩の後、尾瀬ヶ原へと向かう。

  白砂乗越から段小屋坂にかけての紅葉、黄葉は見事であった。燃え盛る炎に包まれて歩くようだ、なんて言ったら大袈裟であろうか。数年前、私が初めて此処を歩いた時は、ただ疲れて、一刻も早く尾瀬ヶ原に着けば良いと願った。そして景色には今程目をくれる余裕も無かった。今日は、その時よりもはるかに辛い燧ケ岳を登ってきたのだと思えば、満足感で足取りも軽い。

      
        素晴らしい紅葉を愛でながら歩く                       豪壮な三条ノ滝

  見晴十字路に着いたのは丁度お昼頃だった。しばし休憩後、キツネ色に染まった尾瀬ヶ原を左手に眺めつつ、三条ノ滝に向かう。温泉小屋付近の紅葉も見事であった。道は燧ケ岳裾野の傾斜地を横切るように、只見川に沿ってつけられてある。ほどなく、樹林の間から、巨大な洗濯板に水を流しているような「平滑ノ滝」が樹間に覗き、谷が深くなってゆく。三条ノ滝が近付くと、一本の木道を大勢のハイカーが行き来し、また急なハシゴを登り下りしたりする為にかなりの渋滞が発生し、大分時間を食う。その渋滞の先頭には必ず軽装の女性グループがいた。こんな所に会社に出勤すると同じような靴でやってきて、手提げバッグをぶら下げている。

  人込みと渋滞にウンザリしながらも、此処まで来て、もう引き返す訳にも行かず、我慢我慢で歩いた。遠くからも、かすかに聞こえていた「ドーッ!」という音が次第に大地を揺るがすような大きな音になり、いよいよ三条ノ滝に着いた。深い森の樹木に遮られて、滝の上部だけしか見えないが、物凄い大きな滝だと分った。遥か下の見えない滝壺から巻き上がる飛沫が周囲の樹木の葉っぱを忙しそうに揺るがし、高い展望台に居る我々までしっとりと皮膚や衣服が濡れてくる。正確な規模は分らないが、日光の華厳の滝よりも水量が遥かに勝り、那智の滝よりも高く、私がこれまでに見た滝の中では最も豪快で見事である。滝の落ち口をじっくり見ていると、目が回り、吸い込まれそうな気分になる。この流れは只見川となり、会津を貫流し、阿賀野川に合流し、新潟市から日本海に注ぐ。最近この水を関東へ引っ張ろうという計画があるらしいが、私は地元贔屓の目を捨てても、大反対である。自然体系を無理矢理変えようとすれば、必ずや大自然は人間にしっぺ返しをするだろう。需要が増えたからといって、無制限に全ての水を関東に流しては絶対いけない。大雪の苦労も知らない、節水の心掛けも持っていない都会人に、易々と太古から会津や越後に流れてゆく水を持っていかれては堪らない。尾瀬の水は、いつまでも永遠に、日本海に流れて行って欲しい。

  三条ノ滝を後に、混雑しているルートを僅かに戻り、裏燧林道に入る。すると嘘のようにパッタリと人が居なくなった。燧ケ岳の裾野を巻くように御池まで通じるこの道は、今まで人だらけの場所ばかり歩いてきたので、耳鳴りがする程に静かであった。木道を、「こんにちは」攻勢から開放され、のびのびと歩いた。のびのびと歩けるのは良いが、このルートは結構距離が長くて、身体も大分疲れが溜まり、さすがに飽き飽きとした。三条ノ滝から丸々二時間歩き続け、秋の陽がとっぷりと暮れる頃、出発点の御池に帰着した。


奥会津の宿でリラックス

  時間的には十分に十日町まで帰ることが出来るが、SI君は折角の休みだから帰りたくない、何処か民宿か旅館に泊まってゆっくりしたいと言う。私も同意見なので、車に乗り込み、麓に下りながら宿探しをする。生憎、桧枝岐温泉には全く宿が空いていなかった。それでも麓に進めば何処かに一軒くらいは泊まれる所があるだろうと車を進める。民宿の看板が出ているところはちらほらあるのだが、どうもあまりぱっとしたのが無い。かなり麓に下ってから、伊南村というところで、釣り客相手の民宿で泊めてもらえることになった。

  その民宿も実際は満室であったのだが、平から来たという女性二人に別の部屋に移ってもらい、私とSI君に無理矢理部屋を確保してくれた。そこまでしてくれなくても、と思ったが、女性達がそれでも良いと言うので、お言葉に甘える。夕食後、女性達へのお礼を兼ねて、我々の部屋でビールを振舞った。垢抜けては居ないが、人懐っこそうで好もしい人達であった。彼女らも尾瀬帰りだ。疲れているにも拘らず、夜更けまで楽しく騒いだ。

  翌朝、ゆっくりと起き、朝飯を食べてから十日町へ戻る。帰路、田子倉ダムも見物した。疲れて爪先が痛い足には、SI君の車の中仁あったサンダルが有難かった。■


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