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Data No. 6 |
データ: データ@ データA |
木曽駒ケ岳 絶景満喫ハイク |
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データ@: 3度目登頂の記録(2012年9月29日) 度肝を抜かれた人出の多さ 前日夜、駒ヶ根のゴンドラ乗客用バス乗り場駐車場にて、マイカーホテルで仮眠。そして、午前4時半にトイレに立って、一気に眠気のさめる光景を見た。まだ夜も明けていないのに、広い駐車場は知らない間に満車に近く、バス乗り場には数百人が大行列していた。バスの始発は6時過ぎだと聞いていたのに、これは一体どうなることか。顔から血の気が引く思いで、係員に尋ねたら、5時から臨時バスを出して、ゴンドラもピストン運転するからとのこと。 私にとっては、同じ季節で、3度目の来訪だが、過去の例から予想もしなかった人出の多さだ。それでも、我々が朝食をとり、支度をしているうちに、大分混雑は緩和し、当初予定していた6時過ぎのシャトルバスと、接続するゴンドラには、なんとか余裕で乗車できた。ということは、既にあの夜明け前の大群衆が山に入っているのだ。この先はマイカーは締め出しで、バスとゴンドラの会社(中央アルプス観光)が独占管理の山岳観光地だ。 絶景、絶景、また絶景 ここまで時間のロスは無く、午前7時過ぎ、標高2,612mの千畳敷駅に到着。ここからは、過去2度と、ほぼ同じコースを歩いて標高2,956mの木曽駒ケ岳山頂を往復するのだが、解説は止めて、主に写真を紹介することにします。
一挙に増えた山ガールと若者 数年前まで、各地の山は熟年登山者ばっかりで、若者の姿はあまり無かった。しかし、ここにきて、マスコミがどんどん煽るので、「山ガール」ブームが到来し、若い男性達も、そんなガール達を放っておくわけには行かず、負けじと山に来るようになった。40年近く、山をいろいろ楽しんできた私の目には、バブル期の頃から続いてきた中高年登山者のブームが、やや衰退気味で、山が静けさを取り戻しつつあるのかな、と思っていたところ、今度は別の「人種」で、また爆発的なブームが到来したようです。 でも、いいんじゃないかな。ここ数年、私が見ている限り、若者達は皆謙虚で、マナーがとても良いし、一部の熟年達のように、後ろから追いつかれても頑として道を譲ろうとしない人や、知識や経験も浅いくせに、ベテランぶって、周囲に聞こえよがしに眉唾モノの自慢話をする人も居ない。というより、若さゆえ、ブームもまだ浅いし、ベテランには、決してなりえないけどね。山ガールをはじめ、若者達が多いと、たとえ登山道や山頂が混雑していても、雰囲気が華やいで、明るく、爽やかさを感じます。これがほんの数年の淡いブームで終わらずに、何より健康的でもあるし、皆さんの生涯の楽しみとして、根付いてくれれば良いですね。まあ、自分もよいトシをこいてきたので、人から失笑されたり、煙たがられる老人には、ならないように気をつけようっと。(^_^)v ■
2012年度、3度目の木曽駒ケ岳行程 2012年9月28日(金曜) 2012年9月29日(土曜)
============================================================================================ データA: 初回登頂時の記録(1981年9月28日) 「聖職の碑」を訪ねて 新田次郎の小説「聖職の碑」で、この山にまつわる悲しい物語を知った。明治時代、この麓の小学生が山登りに来て大量遭難死したという実話である。このような悲劇の痕を見たかった訳ではないが、木曽駒ケ岳は中央アルプスの最高峰であり、ロープウェイで気軽に高所まで運んでもらえることから、私の登山目標の一つになった。ちょうど、長い旅が終り、職探しの最中でもある。良い気晴らしにしたい。 こういう無職の特権は、平日に山登りが出来ることだ。日曜の下り夜行急行「アルプス17号」は空いていて気楽に過ごせたが、身体を真っ直ぐにして眠れないことはやはり辛い。しかも失業中で、昼間眠って夜勉強するという習慣になっていたので、車中では殆ど眠れなかった。9月28日早朝、辰野駅に到着し、飯田線に乗り換える。一時間程で駒ヶ根に到着。東の空から陽が昇りはじめた。曇っていた空も、太陽が昇るにつれて青空が広がってきた。7時、バスに乗り込み、約1時間で終点のしらび平に到着。
初めてのアルプス、一万尺の山頂 空は非常に良く晴れ渡り、反対側には南アルプスの山々がきれいに見渡せた。しらび平からロープウェイに乗り、僅か7分で一気に標高2,600mの千畳敷迄上る。このロープウェイは日本一の長さを誇るそうである。これだけ高い所に来ると、景色は益々素晴らしく、南アルプス連嶺の彼方には富士山の姿も浮かんできた。また、そんな遠くばかり眺めなくても、太古の氷河地形である此処千畳敷カールと、それを見下ろすように聳えている宝剣岳の岩山が秋色に彩られて、とても見事である。 「聖職の碑」は、あまりに寂しく 寒い頂上で長居は出来ず、例の遭難記念碑の所まで行ってみることにした。その場所はかなり遠く、駒ケ岳山頂から稜線に沿って一時間も離れていた。碑は「慰霊碑」ではなくて、「記念碑」と彫ってある。このいきさつは新田次郎氏の小説に詳しく書かれているが、それにしてもこんな寂しい場所で、真夜中の暴風雨に曝されて命を落としていった少年達の無念さが胸にずしりと伝わってくる。温かい自分の家や、優しい母親を恋い焦がれながら絶望の淵に叩き落される残酷さは想像するだけで、あまりに痛ましい。 宝剣岳や駒ケ岳の頂上にはハイカーが沢山いたが、駒ケ岳から此処までの往復の間、とうとう誰にも会わなかった。黙祷を捧げて、「記念碑」を後にする。 帰路は往路をそのまま戻る。辰野駅からは特急あずさ16号に乗車。21:30頃帰宅。■
木曽駒ケ岳登山行程 9月27日(日曜日) 9月28日(月曜日) |