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Data No.2

データ:
登頂日: 1978年9月9日
標高: 1,818.6m
場所: 福島県会津地方
天候: 快晴
登頂時の年齢: 24歳
同行者: 同僚のAT君

 

会津 磐梯山
 


  同僚のAT君と温泉旅行を計画した。歓楽色の無い、ひなびた所を探そうということになり、私の強引な希望である会津磐梯山登山を兼ねて、熱塩温泉に行くことになった。

9月8日(金曜日)

  AT君と夜8時過ぎに池袋で待ち合わせ、時間潰しにボウリングをした後23:00に上野駅へ。23:55発の最終列車、急行ばんだい6号会津若松行に乗車。幸い、車内は空いていて、4人掛けボックスに足を延ばせた。ボウリングで疲れた足を投げ出し、安いウィスキーとコーラをチビチビ。良い気持になった後、必死に眠る努力をしたが、なかなか眠れない。やっと少しばかりうとうとした頃、郡山駅に到着し、大勢の乗客がホームのそば屋から買ってきたそばやうどんを、夜中だというのに一斉に「ズルズルズルーッ!」「ピチャピチャ、クチャクチャ!」と思い切り激しい音を立ててすすりだす。20分も停車するのだから、他の人が寝ている車内になど持ち込まずに、ホームで食べてくれば良いではないか。折角の眠りを完全に妨害され非常に腹が立った。全く垢抜けないカッペちゃん達よ!

9月9日(土曜日)

  眠り足りないまま、終点の会津若松に5:12到着。社内でも指折りのネボ助であるAT君を揺り起こして下車。バスの時間までかなりあるので、待合室で仮眠し、喫茶店のモーニングサービスを取って時間をつぶす。また、旅館案内所で、熱塩温泉の旅館を一人6千円で予約した。

  9:10、ようやく磐梯高原行バスが発車。凡そ一時間で標高1,200mの猫魔八方台に到着。此処からの登山が磐梯山への最短経路である。ヘビに会うのがイヤなので、一緒に降りた中年夫婦の後を歩こうと思ったが、なかなか歩き出す気配が無く、仕方なしに10:20出発。ジープなら走れそうな山道を30分程歩くと硫黄の臭いが微かに漂う中ノ湯温泉の一軒宿。そこを過ぎると次第に傾斜が急になった。11:00、第一回目の休憩。

  息を切らせて登ってゆくと、次第に視界が開け、裏磐梯の湖沼がきれいに見渡せる。バスを降りた八方台も遥か足元に遠くなった。弘法清水を過ぎた所で二回目の休憩。頂上まであと30分位か。休んでいると、先程弘法清水の小屋で追い越した女性3人が、再び追い越して行った。その内の一人はスカート姿である。あんな格好で段差の大きな山道を歩くとは恐れ入る。赤土が滑りそうな急斜面で、股を最大限に開いて奮闘している彼女らを、間もなく再び我々が追い越した。


    
         (山頂から裏磐梯、檜原湖を見下ろす)

  尚も急坂を登り続けると、不意に行く手を遮る斜面が無くなり、石ころがゴロゴロしている標高1,819mの磐梯山頂上に着いた。正午丁度、所要時間は1:40であった。山頂には10人位の野郎共のグループが居たが程なく下山して静かになる。頂上は思ったよりも狭いが、周囲に遮るものの無い最高の眺め。南側には猪苗代湖が迫り、右奥に会津若松市や飯豊連峰が、北側には檜原湖を始め五色沼の湖沼群がきらきら光る。東には安達太良山も望める。磐梯山の北斜面は、噴火でえぐり取られた絶壁が壮絶な様相を見せているが、南斜面はスキー場もあるなだらかな森林となっている。風の強い山頂で固いフランスパンと麦茶の味気ない昼食をとっていると、先程大股を広げて奮闘していた女性達が到着し、「おにぎりをひとついかが」というので有難く頂戴した。シャケが入っていて、おかずに美味しい卵焼きも付いていた。

  12:45、下山にかかる。喘ぎながら登った坂道を口笛でも吹きながら快調に下る。何時の間にか雲が広がり、ちょっぴり雨が降ってきたのでジャンパーを頭から被ったが、暑いので止めた。幸い、ほんの通り雨で直ぐに止んだ。40分程で中ノ湯に到着。ここから八方台への道から別れて檜原湖畔に出る道を下る。勢いにまかせて下って行くと、噴火でえぐり取られた磐梯山の裏側斜面が露わに見えてきた。草木も生えず、白っぽい地肌がいまだに生々しい感じ。途中には気持悪い程真っ赤な色をした沼もあった。湖畔までの距離はかなりあった。スキー場の斜面を下り、車も通れる砂利道を延々と歩き、くたくたになった。途中で、道路工事のおっさんが近道を教えてくれ、15:10、漸く檜原湖畔の磐梯高原バス停に到着。自動販売機で買った缶コーヒーが渇いた喉に最高に美味かった。振り返れば、今下ってきた磐梯山が「お疲れ様」と労ってくれているよう。

     (裏磐梯から仰ぐ荒々しい磐梯山)

  15:20、バスで猪苗代に下り、列車を乗り継ぎ喜多方に。さて、喜多方から熱塩温泉に行くには、朝晩に3往復のみで、日中に列車の走らない「日中線」に乗るのだが、発車時刻が迫っているのに改札から覗いても列車の姿も人の姿も見えない。不審に思って改札をくぐると、一番ホームのずっと外れの階段の隠れた所に4番ホームがあり、そこに2両編成の列車が居た。いくら人が少なくたって、駅のアナウンスくらいあっても良さそうなものだ。18:32、日中線のガラガラの最終列車が発車。熱塩まで僅か11qの距離を30分もかけて走る。これでは人が乗らないのが当たり前。今朝、会津若松駅前の旅館案内所でも、列車で行くと言ったら笑われたのだ。この日中線は国鉄自身からも地元民からも見放された存在なのか。

  列車がやがて真っ暗な処にゴトリと停まったら其処が終点の熱塩駅だった。駅は裸電球が一つ点いているだけで外は漆黒の闇。どっちへ行ったら良いのかさえ判らない。漸く通りがかった人に道を尋ね、暗闇をさ迷い歩き、やっと明るい温泉街に辿り着いた。これだけ立派な温泉街を抱えていながら、日中線のあのうらぶれた姿は一体どうしたことだ。国鉄には会津若松から直通列車を走らせるなり、スピードアップするなり、このローカル線を育てる熱意がもっとあっても良い筈だ。

  という訳で、19:30、ようやく熱塩温泉「ホテルふじや」の部屋に落ち着くことが出来た。早速、弱食塩泉で「子宝の湯」、皮膚病に効くと言われる温泉に入浴して山の汗を流し、その後たらふく飯を食べた。AT君とおひつ一つでは足りずに、お替りをして、二人とも動けないほど満腹になった。歩き疲れてヒリヒリする足をゆっくり休めて、その晩はくつろいだ。

9月10日(日曜日)

  7:55、女中さんの声で目が覚める。良く眠れたが、さすがに足が痛い。眠り足りないというAT君を部屋に残し、一人で朝風呂に入る。その後、朝飯も二人でご飯が空っぽになるまで平らげた。女中さんはびっくりしたに違いない。

  8:55、バスで喜多方に出る。周遊券で乗れる列車は乗りたくても走っていない。会津若松の「御薬園」でのんびり時間をつぶし、14:32の急行奥只見で小出に向かう。見事にガラ空きの列車だった。ひなびた山間の谷間を急ぐでもなく走る我々の貸切同然の列車から初秋の風景を楽しむ。この路線は、きっと紅葉が素晴らしいだろう。小出に着くと、やっと文明世界に戻ったような気がした。小出から18:01発の特急「とき11号」に乗車。のろのろとローカル線を走ってきた我々には、「とき」のスピードがえらく速くて快適であった。

  翌日、無理やり私に付き合い山登りをさせられたAT君は、ふくらはぎにサロンパスを貼り、足を引きずって出社していた。さぞかし私を恨んだことであろう。


行  程

9月8日(金曜日)〜9月9日(土曜日)

上野23:55==(急行ばんだい6号)==5:12会津若松9:10 ==(バス)== 10:15猫魔八方台10:20 --- 12:00 磐梯山頂上(1,819m)12:50 --- 15:10 磐梯高原 15:20 ==(バス)== 15:56 猪苗代駅16:23 ==(磐越西線)== 18:12 喜多方18:32 ==(日中線)== 19:00熱塩

9月10日(日曜日)
熱塩8:50 ==(バス)== 9:20喜多方10:26 ==(急行あがの1号)== 10:41会津若松14:32 ==(只見線急行「奥只見」)== 17:58小出18:01 ==(特急とき11号)== 20:49上野

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