Data No. 183 |
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志賀高原 岩菅山 |
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信越国境の秘境を守ってきた山 岩菅山(いわすげやま)を訪れるのは、ずいぶん後回しになってしまった。南越後に生まれ育った私は、志賀高原とその周辺には、幼少の頃から頻繁に訪れていたし、夏の避暑にも、温泉にも、スキーにも、軽登山にも、数え切れないほど足を運んできたが、岩菅山はこの日まで登る機会を得なかった。 苗場山、鳥甲山、白砂山をはじめとする、この周辺の山は、上信越高原の最奥地であり、平家の没落以来、数百年間にわたって、戦の世を忌み嫌って落ち延びた人々の隠れ住む、秘境「秋山郷」を俗世間から隔絶し、守ってきた地域である。それゆえ、特別な根拠も無く、奥深く、歩きにくく、熊が出没しそうな山では、という懸念が私の足を遠ざけたのかもしれない。しかし、近年、ネットで他の皆さんの登山記を拝見すると、意外と手軽で、明るい展望の山であることを認識し、機会をうかがっていた。 猛暑の夏が収まるのを待ち、天気予報で好天の約束された9月の三連休初日、深夜に自宅を勇んで出発。 静かな、静かな、山頂への道 午前7:10、志賀高原一ノ瀬の、岩菅山登山口を出発。登山口には関東ナンバーの他の車が2台あったのみ。晴天の三連休初日にしては、静かな山を楽しめそうだ。といっても、私はあまり人気の無い山も好きではないが...。凛と空気の冷えた、雑木林の中、熊鈴を鳴らしながら歩く。 階段状の登山道は、前日までの雨で、ぬかるみを心配したが、比較的水捌けがよいのか、案じたほどではなかった。10分ほど樹林帯の中を登ってゆくと、「小三郎小屋跡」という地点に出て、そこからしばらくは、用水路に沿った水平道が延々と続いた。鼻歌交じりで歩ける快適なひとときだった。 快適な水平道は、澄んだ水が音を立てて流れる「あらいた沢」を木橋で渡るところで終わった。そこからは、ようやく本格的な山登りとなる。道は極めて良く整備されていた。要所はテンポのとりやすい階段状になっていて、木の根をつかむような急傾斜も無く、靴をひどく汚すような泥濘も無かった。しかも、一本調子の登りの連続ではなく、時々傾斜がゆるむのも体力の落ちた私には有難い。 水平道が終わり、あらいた沢を渡る 雑木林の中の道は、次第に頭上に青空が増えて、尾根が近くなったことを教えてくれる。そして、左手に、目指す岩菅山本峰が、明るい緑の笹原に覆われて姿を見せてきた。稜線に出て、東館山から来る道と合流するところが「ノッキリ」と呼ばれるところ。そこから左に進路をとり、岩菅山への最後の急登だ。 稜線の分岐点ノッキリ 息の切れる苦しい登りであったが、次第に大展望が広がり、長野盆地を隔てて、北アルプス全山が、軍艦の編隊のように威容を現してきた。 絶景を独占した岩菅山頂上 もう、若い頃のようなラストスパートは利かないので、一歩一歩を着実に踏みしめて、9:15に標高2,295mの山頂に到着。先客は、同年輩の男性二人だけで、それぞれ単独行。山頂標識前で写真を撮りあい、ひとりは裏岩菅山へ出発、もうひとりも周辺の写真をたくさん撮りまくっていたが、やがて下山して、快晴の山頂は、私ひとりに完全貸切となった。 素晴らしい展望に囲まれた。大いに満足してしまい、裏岩菅への遠征は、きっぱり諦めた。今まで体験したことの無い角度から、上信越の山々を山座同定する。周囲はスキーのメッカ志賀高原のゲレンデが各所に見える。北アルプスの右手には、越後の妙高山や火打山が大きい。裏岩菅山の右奥には、苗場山の山頂湿原が見渡せる。そして上越国境の谷川連峰は墨絵のようなシルエットを見せる。此処に立っていても、北側は山また山の世界で、白砂山の奥、苗場山の麓に人の住む秘境があろうなんて想像もできない。山々は、まさしく天然の城壁だったのだ。 たったひとりだけの山頂は無風快晴、秋の日差しが心地よく、大きな平べったい岩の上で、思い切りリラックスして山頂の憩いを楽しむ。ひとりの時は、ガスを使っての調理は面倒なので、食料はコンビニ調達したもので充分だ。 10:05、足元のノッキリ付近にこれから登ってくる人々を見かけ、そろそろ私への山頂貸切時間は終了と認識し、腰を上げる。この日にすれ違った人々は、20人以下。今はやりの「山ガール」は、残念ながら居なかった。■
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行 程 |